第172話 遥さんの本音
遥さんに誘われ大浴場へ。
きっと彼女なりの気遣いなんだろうけど……。
「えっと、女湯ですか……」
「貸し切りにしたから大丈夫よ。女性利用者は私しかいないはずだし」
まあ遥さんに男湯入れとも言えないな……。
「では先に入ってますね」
入口で待ってもらい、先に水着に着替える。
ボクサータイプのフィット感の強い競泳用の水着だ。
サイズがちょうどぴったりだ。さすが九条家の調査機関。
……ちょっと怖いぞ。
廊下の遥さんに声をかけてから大浴場に入る。
足を踏み入れた瞬間、思わず息をのんだ。
タイル張りの無機質な風呂を想像していたのに、そこに広がっていたのはまるで温泉旅館のような趣深い造りだった。
大きな岩を組んだ浴槽に、丸いジャグジーや小ぶりな薬草風呂。さらに屋外にはサウナと水風呂、檜の露天風呂まで備えられている。
――研修施設ってレベルじゃない。これはもう完全にリゾートだ。
「おまたせ。やっぱりちょっと恥ずかしいね……」
振り返ると水着姿の遥さんがいた。
長身のシルエットに、紺地に黒い縁取りのセパレートタイプの競泳用水着がよく映える。
スレンダーな体つきながら、女性らしい曲線をきちんと備えた見事なプロポーションだ。
肌の露出も多く、浴場の柔らかな光に照らされたその姿は、健康的でありながらどこか大人びた艶を漂わせていた。
「いやあ……格好良くて綺麗です。すごく素敵ですね……」
「あ、ありがとう……。でも、あまり見ないで……誘ったのは確かに私だけど、思った以上に恥ずかしいの……。可愛い水着なんて持ってなかったから、普段使ってる競泳用をの着ちゃってるし」
「いやっ! むしろ全然有りです! 競泳水着のテカり感はやっぱり良いものだと思います!」
俺の欲まみれの力説に、遥さんはかぶりを振る。
余裕ゼロなんだな……。
羞恥で真っ赤に染まる彼女の顔は、見ていて気の毒になるほどだった。
「そうだ、ジャグジー入りましょうか。きっと泡で見えにくいですよ」
遥さんはぎゅっと目をつぶりながら何度も頷く。
あまり恥ずかしそうにされると、なんだかこっちまで恥ずかしくなるな……。
ジャグジーに入ると、強めの水流がとても心地良い。マッサージのように全身がほぐれていくようだ。
「あー良いなこれ……」
「私もジャグジーは好きよ。泡の感触を楽しむなら裸のほうがもっと良かったかもね」
「あはは……じゃあ脱ぎます?」
彼女に余裕が出てきたようなので、つい軽口が出てしまった。
嗜めるように、遥さんはじっと一睨み。
「ふうん……責任取ってくれるなら……脱ぐわよ?」
「あう、ごめんなさい……」
水面に沈む俺を見てくすくすと笑う遥さんは、とてもお姉さんな感じだった。
そんな他愛のない会話を交わしつつ、ゆったり浸かっていた。
こんな広くて綺麗な大浴場を貸し切りだなんて、贅沢だなって思う。
そうだ、前から気になっていた事を聞いてみようかな。
裸の付き合いなら本音も語れるかも……。
「遥さんは真桜のことって、実際のところどう思ってます?」
俺の問いに、遥さんはちょっと思案顔を浮かべる。
「仲悪そうに見えてるんでしょうね。蒼真くんは結城さんと仲良しだから……私たちの関係は気になるわね」
そう言った後に寂しそうな笑顔を浮かべる。
「最初から仲が悪かったわけじゃなかったの……」
やっぱり何か原因があってのことなのか。
夏祭りのときは一触即発の雰囲気だったからな。
「蒼真くん、私が偽装で彼氏がいた話を覚えてる?」
「ああ、かなり衝撃な話でしたからね。でもうまく行かなかったって」
「ええ……私の消したい汚点の一つ……」
悔いるような表情の遥さんが淡々と語りだした。
中学の時、遥さんには告白が多かった。
毎回丁寧に断っていたが、真面目な彼女には苦痛でしかなかったそうだ。
学校一のやんちゃな男が自分に告白してきた時、偽装を提案された。いわゆるお試しでというやつだ。
形だけでも恋人が出来れば余計な苦労をしなくて済む。
そう言葉巧みに押されたそうだ。
「ホント浅はかで無知だった……。今でもあの頃を思い出すと頭がキュッてなるの……」
男の思惑は手に取るように分かるが、当時の彼女にはまだ分からなかったんだろう。
告白が減るのは彼女も望ましいことだったので迂闊にも承諾してしまった。これが間違いの始まりだった。
九条さんの彼氏という立場を男は悪用しまくった。
学校内外でトラブルを度々起こしたが、その度に九条さんにも飛び火し、火消しをすることになる。
真桜は最初のうちは遥さんのことを慕っていたそうだ。
でも、遥さんの彼氏が余りに酷い男なので、事あるごとに咎められた。
下級生に強く言われるのはプライドの高い九条さんには耐えられず、その度に衝突するようになる。
終いには意見が何もかも噛み合わなくなったそうだ……。
「彼女の言葉は一々的を射てるのよ。それが相手に苦痛を与えてることを分かって欲しかった」
「それは、何となく分かる気はします……」
正論は時に暴力のようにも感じるからな……。
次第に男の矛先が真桜に向かう。
遥さんの知らないところで様々なハラスメントを行ったが、真桜はずっと我慢した。
でも、結局最後に一発だけ殴り病院送りにしたそうだ……。
それが今から二年前。俺が中二の時の話だ。
「それって、俺にも突っかかってきた、あの先輩ですよね」
「そうそう、それで貴方に返り討ちにされてちびっちゃって、結城さんに病院送りにされて、私に振られて。ほんと笑っちゃうでしょ……」
そう言って寂しそうに笑う遥さん。
結果だけ見れば胸のすく話だったが、当時は失ったものも大きかった。
俺は学校内の孤立を。遥さんと真桜は決定的な亀裂が入ったわけか。
「……まあ、今がよければ良いのかな。真桜とならきっとまた仲良くなれますよ。そんな気がします」
「だと良いわね。でも、今の関係も案外気に入ってるのかも。お互い毒を吐き合える仲って貴重でしょ?」
「傍目から見たら心臓に悪すぎますよ……」
俺の辟易した表情を見て、遥さんは悪戯っぽく笑った。
その後サウナで汗を流し水風呂で整うを3セットやってみた。
その良さは少しだけ分かった気がした。
ただ、禁欲生活と辛そうに汗をかく遥さんの組み合わせはとてもよろしくない。たびたび漏れる吐息が色っぽすぎた。
俺はぴったりフィットの競泳パンツ。なんだこの拷問は……。
素数を数え、腿をつねり、母との添い寝を思い浮かべる。
そうやって俺の尊厳はどうにか保たれた。
ありがとう母さん。
最後は外の檜風呂でゆったり浸かる。冬の寒さと湯の温もりが良い塩梅に心地良い。
満天の星に流れ星がいくつも見えた。今日は流星群なのかな。
「綺麗な星空ね……。あ、また流れ星!」
「ほんと良い風呂ですね。四日目にして知ることになるとは……」
「ふふ、じゃあ誘ってよかったわね」
ああ、リアルお嬢様と心ゆくまで風呂を楽しむとは、なんて贅沢で罪深いんだろう。
……ここまでなら浮気じゃないよな?