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第170話 焼肉奉行

 研修四日目の夜。


 黒川さんは俺と遥さんを連れて焼肉店に向かう。


「お嬢様。お足元にお気をつけて」


「ありがとう黒川。でも、貴方は今は休暇中のはずでしょ? そういうのは止めましょう? ――ね、駿兄さん」


「――そう呼ばれるのも久しぶりだな、遥。じゃあ今日はお兄さんがガッツリ千葉の美味い肉をご馳走するか!」


 つい今まで執事とお嬢様って感じの二人だったが、途端に幼馴染か親戚のような雰囲気に。


「二人ってどういった関係なんですか?」


「駿兄さんは九条家の分家の方で小さい頃から私のお世話をしてくれているの。以前は警護的な事もしてくれたんだけど、今は九条グループの最年少役員になったから何かと忙しいの」


「え? あの大きい会社の役員!? そりゃめっちゃ偉い人じゃないですか!」


「蒼真、俺名刺渡したよな……そういうのはちゃんと確認しないと駄目だぞ」


 嗜めるような表情の黒川さんに俺は視線を泳がせた。


「そんなすごい人がなんで俺の講師をしてくれてるんですか?」


「お前って人間を知るためだよ。どこの馬の骨かわからないやつにお嬢様を任せられるか?」


 ぐうの音も出ないほどの正論に言葉を詰まらせる。


 思い返せばこの40時間の講習自体がそうだった。たったこれだけの時間ですべてのスキルを覚えられるはずがない。

 すべては俺の適性を測るための研修だったのか……?


 黒川さんは俺をじっと見つめる。


「この研修の意図がやっと分かったみたいだな。おっ! 肉が来たぞ! 今日はビールも飲むかな!蒼真とも 明日でお別れだからな。いわば卒業祝いだ!」


 そんな黒川さんの言葉に俺の良心の呵責がうずいてくる。


「……もしですよ? 俺がこのバイトを断ったら……俺って酷いやつですよね?」


 遥さんと黒川さんが顔を見合わせる。


「蒼真くん。それは違うよ。貴方の選択肢は私たちが決めることじゃないから、そこだけは勘違いしないでほしいの」


「もちろんバイトに来てくれたら遥も喜ぶだろうな。でも、適正の有無はまだ判断されてないからな。こっちからお断りする可能性だって残っているんだ。全部の材料が出揃ってからお前自身で決めろ」


 二人の言葉の暖かさが身にしみる。俺も気持ちを切り変えて焼き肉を楽しむことにしよう。


「遥、行儀が悪い! その肉はまだ“待て”だ。蒼真! 何回もひっくり返すな! 旨味が逃げる!」


 黒川さんは焼肉奉行だった。

 俺と遥さんはすべて任せ、食べることに専念することにした。


「いやあ、ここの肉めっちゃ美味いっすね! 」


「千葉の外房は隠れた肉の名所なんだよ。安くて美味い!」


「なんだかこの三人で焼き肉を食べるなんて……不思議な感じ」


 遥さんは妙に感慨深そうにつぶやく。


「そうだなあ……つい先日までは蒼真のことを可哀想な子だとも思ってたから」


「え? 可哀想?」


「駿兄さん! ちょっとビール飲み過ぎじゃない?」


 黒川さんの言葉に遥さんが咎めるように遮る。俺が可哀想って……?


「んむむ。まあもう良いだろう。事態は以前よりも色々変わったようだしな。それも良い方に」


 黒川さんはこれまでのことを教えてくれた。

 どうやら以前から父さんの会社の件に一枚噛んでいたようだった。

 内容は藤崎コーポの主要社員のヘッドハンティング。

 社長の命令だったが経営難の藤崎コーポにとどめの一撃を加える格好になってしまった。


 仕事だから仕方ないと割り切るも、社長の息子である俺の存在を知り心を痛めてくれたようだった。


「遥の後輩を路頭に迷わせるかもって思うとな。なんとも後味の悪い仕事だった。――だがそれも社長に考えがあっての事だったようだ。蒼真、明日社長に会った時に何か話があるかもな。ついでに色々聞いてみると良いだろう」


 父さんから聞いた話と整合性は取れているようだった。

 可哀想な子どもになりそうだったのも事実だ。


 今は全く状況が変わった。

 反社という不安要素がなくなった今、安心して雪代家で住み込みバイトをすることができる。

 または、九条家で高額報酬を半年間で得られるバイトも存在する。

 どっちも魅力的で悩ましい選択だ。

 つい先日までは薄氷の上を歩くような状態だったが、自分で選べるという幸せと悩ましさに今は翻弄されている。


 ふと遥さんを見ると、ホルモンをじっと見つめている。


「すごい見た目ね……脂身? 美味しいのこれ?」


「ああ、それは牛の大腸ですよ。めっちゃ美味いけど、食べるタイミングが難しいんですよね。黒川さんが皿に置いてくれてるから大丈夫ですよ」


「へえ~。大腸なんだ……なんかぶよぶよしてる……」


「こら遥っ! 箸でつっつくなんて行儀が悪いだろ! 良いから食ってみろ」


 黒川さんの言葉に従い、おっかなびっくり口に運ぶ。

 ここで遥さんの四白眼が登場だ。相変わらずリアクションがとても可愛い。


「甘くて美味しいのね。きっと私一人じゃ頼まないな~」


「みんなと食べると色んな発見があって楽しいですよね」


「うん! 今日は楽しい! 駿兄さんありがとう」


「その顔が見れるなら連れてきた甲斐がありますよ。お嬢様」


 そう言ってウインクするイケメンな黒川さん。

 そういや、今はカジュアルな服装で、髪型もオールバックではなく降ろしている。こうなると歳がわからないな……。


「黒川さんって歳はいくつなんですか?」


 俺の質問に黒川さんは一拍置いた。


「――いくつに見える?」


 ここで外すと明日の午前中で死ねる。最適解を――!


「初めて会った時は四十歳ぐらいと思ったけど、今こうしてみるともっと若そうですね。三十五ぐらい?」


 俺の答えに遥さんは肩を震わせている。

 黒川さんは苦々しい顔でビールを飲み干した。


「俺はまだ三十だ。悪かったな、老け顔で!」


「あ~、そうかな~とも思ったんですよ!? うん、貫禄あるな~って……はい、すみませんでした」


 遥さんはこらえきれず爆笑した。



 店を出ると外は深々と冷えている。北風の寒さが身にしみた。


「あ~楽しかった! またいつかこの三人で来たいな~」


 とても満足そうな遥さん。その表情は学校ではなかなか見られない等身大の女の子って感じだ。


「そうですね。良いお店だったな~」


「こんな機会は早々ないだろうけどな。でも、いつかまた来れたら良いな」


 淡い期待を胸にしまい、空を見上げる。


「すごい星空……降ってきそうだ」


「そうね……東京ではまず見られないわね……」


「やっぱ千葉は良いな。都内に住んでると心が荒む」


 満天の星空をしばらく眺めていた。

 明日で最後だと思うと名残り惜しくもあるな。

 研修に来て本当によかったって思えた夜だった。


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