第162話 父と名乗る男
生みの親と、現在の親代わりのような人の激しいにらみ合い。
どうしたものかとオロオロしていると、母親が根負けした。
「……貴女、カタギじゃないのね。――少しだけ上がっていって。お茶ぐらい出すわ」
「あら奥さん、おかまいなく」
拍子抜けするような美咲さんの明るい声に張り詰めた空気が一旦解けた。
――生きた心地がしない。
家の中はそれなりに片付いているようだ。
掃除は苦手な母さんだったけど、無理やりやらされているのかと思うと物悲しさを感じてしまう。
母さんを酷い目に合わせるのは一体どんな男なんだ……。
見るからに虐待されているような痕跡に胸が張り裂けそうになる。
「貴女の事は知っているって言ってしまったわね。うっかり口を滑らせてしまったわ……雪代美咲さんでよかったかしら。蒼真がお世話になってる方への非礼をまずはお詫びします」
「ええ、私も貴女の事は蒼真から聞いています。蒼羽さんですね。ただ、まずは話し合いましょう。お互い誤解や偏見をもっていても良い結果にはならないでしょうし」
美咲さんは一体どれだけの修羅場をくぐってきたのだろう。
今この状況でこんなにも冷静に話を進めようとしている。
彼女の言うことは、とにかくぐうの音も出ないほど真っ当だ。
母さんも観念したようで、その重い口を開き始めた。
「あの人は今パチンコに行ってるわ。お金はかなりもっていったからしばらくは戻ってこないはず。それまでに話せることは……何から話せば良いのかしらね……」
「まずは写真をいつ誰が撮ったか、それを教えてください」
「あの男が貴女の店に行ったのよ。十一月の頭ぐらいだったかしら。私も迂闊だった。蒼真の今現在の様子をうっかり知られてしまったから」
母の言葉にゾクッとした。俺を探って何をしようとしたんだ。
「なんで母さんの愛人が俺に興味を持つんだ? 意味分かんないよ」
「蒼真……あの男を愛人って呼ばないで……お願いだから……」
――母の懇願に衝撃を受けた。
反社の男に囲われている現状は本意でない。つまり無理やりってこと? そんな馬鹿なことがあるのか?
美咲さんと目が合い、頷きあった。
「Cかなあ……」
ぼそっと美咲さんがつぶやく。と、その時。
「くっそ! あっという間に10万溶けた! ん? 何だこの靴……おい蒼羽! 誰かきてんのか!」
野太い男の声が聞こえ、ドカドカと威圧的な足音が響いてくる。
母さんは途端に震え始めた。顔面は蒼白に、落ち着き無く体を揺さぶる。
「なんでもう帰って来るの……もうお金なんてないのに……」
部屋に入ってきた男は二人の来客を見て一瞬訝しんだが、途端にニヤーっと笑い出した。
まるで獲物がかかった罠を見た猟師のように――。
「おお~! なんだなんだ! すげえ客がきてんじゃねえか! キッチン雪代のオーナーと我が息子の蒼真も!」
……こいつなんて言った? 我が息子?
190センチを優に超える巨漢。金髪パーマに顎ヒゲ、首には喜平のネックレス。胸元からわざと覗かせている入れ墨が、俺に「近づくな」と突きつけてくる。吐き気を催すほどの悪辣さだった。
美咲さんは男を一瞥すると、にこっと微笑む。
「おじゃましています。雪代です。お店にも来られたことがありましたね。確かランチで何度か」
「覚えててくれたのか~。嬉しいねえ! 今日の服もエロくて良いじゃねえか! エプロン越しにその巨乳を見せつけてくれたからな~」
――醜悪なゲスっぷりだ。何だこの男。吐き気と同時に沸き起こるのは敵愾心。今すぐにでもその口を黙らせたい……。
「蒼真、何だその目は! てめえは俺に挨拶ねえのか? まあこれからきっちり教育してやらねえとな! それより美咲ちゃん! いやあめっちゃイイ女だよなあ! 初めてみたときからずっと気に入ってたんだよ! 蒼羽みたいなババアとはえらい違いだ!」
そう言って美咲さんの隣にどかっと座り、馴れ馴れしく肩に手を回す。
美咲さんは何事もないように涼しい顔で、されるがままだ。
頭が怒りで真っ白になる――。
「美咲さんに触るんじゃねえよ! なんだよ我が息子って! ふざけんじゃねえよ!」
俺の言葉に不機嫌そうに顔をしかめる。
「なんだ蒼羽、言ってねえのかよ。俺の息子の可能性の話」
「言えるわけ……ないでしょ……」
そこまで言って母さんは、わっと泣き出した。
「ぴいぴい泣くんじゃねえよ。ったく! お前の母さんな、俺とヤッた日が逆算するとお前の出来たときとビンゴなんだよ! ほら、俺とお前、顔似てるだろ。そう、そのメンチ切る顔なんてそっくりだ!」
「なんで……なんで蒼真にそれ言うんだよ! あんたが私を無理やり襲ったんだ! ふざけんな! 」
「ああん? てめえだって最後は気持ちよさそうに腰振ってたろ。思い出すよなあ、最初は今みたいにぴいぴい泣いてたっけ――」
「黙れ……あんたなんか……あんたなんか死ねばいいんだ!」
見たことないような形相の母さんが近くにあったハサミを握り男に突き立てようとする。
「ひっ!」
その手をパシッと受け止めたのは美咲さん。
「蒼羽さん。なんとなくですけど、事情は分かりました。少し落ち着きましょう……ね。」
「なんで、なんで止めるのよ……うわああ……」
泣き崩れる母さんを見ると、今起こっていることがまるで現実味を感じない。
「蒼真はあんたの子なんかじゃない。拓真と私の子なんだ……」
母さんの言葉が虚しく響く……。
妙に頭がふわふわする。
考えることを拒絶したくなる。




