第161話 母親
クリスマスパーティーを終え、羽依を家まで送りアパートに帰ってきた時、美咲さんから電話が来た。
「蒼真、急に電話悪いね。明日だけど暇だろ?」
なぜそれを……明日は羽依と真桜二人で買い物に出掛けるので俺は自由だった。何をしようかワクワクしていたのだけど……。
「はい。暇です」
「なら、明日お母さんのところに様子を見に行ってみようよ。蒼真も気になってんだろ? こういうのはあまり間を置かないほうが良いと思ってね」
美咲さんの俺を思う気持ちに、ちょっとでも面倒だなと思ってしまった自分を大いに恥じる。
休みでのんびりしたいだろうに。
もちろん反対する理由なんて全くない。
「すみません美咲さん。ホントありがとうございます」
「良いんだよ。明日朝そっち迎えに行くよ」
――そして次の日。
美咲さんと一緒に千葉までやってきた。
母親は現在、反社の男に囲われているという話だ。
浅見さんが情報源だけど、父親の反応を見る限りデタラメではないと思う。
あまり良い状況ではないのかな。
両親が好き勝手やった結果が現状なら仕方ないとも思っていたが、話をしないと分からないことは多い。
その学びは生かさないと駄目だと思う。
「蒼真、また難しいこと考えてるね」
運転中の美咲さんがちらっと横目に声をかける。
「――いや、なんか車に酔ったっぽくて……」
「おばか! 早く言いな! 次サービスエリア寄るよ!」
まあ難しいことを考えてたのは間違いないけど、やたらと胃がムカムカしてきたのは緊張のせいだろうか。
サービスエリアに到着し車を降りる。
冬枯れの山間の景色にも趣があって、外を少し歩いただけで気持ちがすっと軽くなるのを感じた。
少し休憩したらすぐに良くなりそうだった。
ちなみにお店の仕入れ用のこの車はフルスモークなブラックボディーのワゴン車だ。そして運転中は真っ黒のサングラスをかけている美咲さん。
はっきり言ってガラが悪い。
サービスエリアでは誰も隣に車を停めないと思う。
緩めのニットは胸元がほんのり見えて彼女の豊かな胸部を強調している。ボトムスはタイトなデニムを格好良く履きこなす。
相変わらずの美人さんだけど、なんだってこんなに迫力があるんだろうか。
「大丈夫かい蒼真」
心配そうにサングラス越しに俺の顔を覗き込む美咲さん。
「はい、すみません美咲さん……。せっかくの休みなのに」
「良いんだよそんなことは。――色々はっきりしておいたほうがいいだろうしさ」
「そうですね……」
「筋の通ったヤクザの幹部とかならまだしも、犯罪者集団に囲われてたりしたらお母さんを助けださないと。――蒼真自身に被害が及ぶよ」
普段は見せない真剣な表情の美咲さん。本気で俺の事を心配してくれているのがよく分かる。
母さんの相手がどんな人なのかはまだ分からないが、他人に迷惑をかけるタイプの人間であることは間違いないだろう。
美咲さんが心配しているのは母親も犯罪の片棒を担がされた時、俺にも犯罪者の息子というレッテルを貼られること。そうなったら目も当てられない。
世間に石を投げられるような男に自分の娘は任せられないだろうな……。
ただ、あくまで今日は様子見ということで、母親の姿を見て、出来れば話をして今の生活状況を知るのが目的だ。
「最悪の事態を考えてプランA~Cまで考えてあるんだ。Aは様子見、つまり現状維持だね。Bは要対策、何かしらの手を打つ必要がありそうな場合だ。Cは緊急事態。即時お母さんを回収だね」
「はあ……なんかスパイ映画みたいですね……」
「あは! 不謹慎だけどさ、ちょっとは楽しまないとね! なんてったって今日は日曜日、ドライブデートだ!」
美咲さんは笑いながら俺の背中をぽんと叩いた。
その明るさにはホント救われる。
思えば美咲さんと二人で遠出なんて初めてだ。
確かに楽しむ気持ちも大事かもな。
母の住んでいる場所は俺が住んでいたところの隣町。
都心のベッドタウンとして栄えている街だ。
街中から少し離れた場所にその家はあった。
近くのコインパーキングに車を停め、徒歩で移動する。
美咲さんは俺と腕を組んで歩く。
「こうしてたらカップルに見えるかな?」
ニヤッとして俺の顔を覗き見る。
「あー……まあ……見えるんじゃないかな。うん、見えます!」
瞬間的に危機回避能力を発揮して最適解を答える俺。
美咲さんは満足そうに腕に力を込めてぎゅっとしがみついた。
胸がめっちゃ当たってるんですが……って、まあ今さらか。
羽依のスキンシップ好きは美咲さん譲りなんだろう。
目的地の住所には古めかしい平屋の戸建住宅がある。庭はあまり手入れをしていないようで、雑草が枯れてみすぼらしかった。
「ここっぽいですね」
「うん。人は住んでるようだけど、なんか雰囲気あるねえ……」
美咲さんは俺から手を離し、さらに近くまで寄ってみる。
「……え……蒼真?」
背後から聞き覚えのある声が。――母さんだ。心の準備が出来る前の再会に心臓が跳ねる。恐る恐る振り返ると――。
「かあさ……えっ……」
声をかけてきた人物は俺の知ってる母さんとは大分違っていた。
髪は黒から金髪に染まっていた。
それ以上に目を奪うのは、顔に殴られたようなアザがいくつもあること。
中肉中背だった体は、今はげっそりとやせ細っているように見える。
――言葉を失った。
たった半年で一体何が……。
「蒼真くんのお母様ですね。雪代と申します。この度は突然の訪問、誠に申し訳ございません」
何事もないように美咲さんは丁寧に挨拶をするが、母は緊張した面持ちで足元に視線を落とした。
「貴女の事は知ってます。あの人が写真を見せてくれましたから。悪いことは言いませんからこのまま帰ってください!」
写真って……もうすでに店は反社にマークされていたのか?
――雪代家に危機を呼び寄せたのは間違いなく俺だ……。そんな絶望感が胸の奥に広がっていった。
「母さん、何するつもりなんだよ……俺たちと離れてやりたかったことって犯罪の片棒を担ぐこと? それって俺や父さんよりも魅力だったのか? 大体美咲さんたちは関係ないだろ! なんだよ写真って!」
「……蒼真、余計なお世話よ。ここに居てはだめ……さあ帰って……帰りなさい!」
母の拒絶に、立っているはずの地面が揺らいだ。それ以上声を出すことができない。
その横で、美咲さんが俺の肩に手を置き、一歩前に出る。
「帰れるわけないだろ? 写真を撮られた時点で、うちはもう当事者だ。あの人ってやつを呼んでこい。――きっちり見極めてやる」
その声に、ぞくりとするほどの怒りを感じた。
ふと顔を見れば、そこにいたのはいつもの優しく綺麗な美咲さんじゃない。
まるで別人――直視できないほどの激情をまとった姿だった。