第16話 みえてはいけない
月曜の朝。空は澄んでいて、空気もひんやりと気持ちいい。朝の支度を終えて玄関を開けると、ちょうど羽依がこちらへ向かって歩いてきていた。
「おはよう~! タイミング良かったね。」
「おはよう~。7時丁度に家出たからね。毎日この時間に行ってるの?」
「うん、朝勉強って捗るんだよね。おすすめだよ~」
学年2位の彼女が言うんだから間違いないだろう。俺も毎日頑張ろう!
羽依がちょっと悪戯な表情で、俺の顔を覗く。
「蒼真、昨日の写真はお役に立てた?」
言ったそばから顔を真っ赤にして恥ずかしそうにする羽依。恥ずかしいなら言わなけりゃ良いのに……。
「黙秘権を行使します」
「黙秘は肯定とみなします」
「ひどい! 横暴だ! 弁護士を呼んでくれ!」
「さあ捌け! いたしたのか、いたさなかったのか!」
羽依に詰め寄られるが、内容がとてもセンシティブだ。鬼か。
「んふ、お役に立てたのならよかったよ~」
羽依がニヒヒと笑ってる。俺、何にも言ってないのに。
まあ否定もしないけど。
「――学校行くのやっぱりちょっとだけ怖かったんだ。蒼真が一緒でよかったよ」
「そりゃ彼氏だもの、一緒に登下校ぐらいしないとね」
俺がそう言うと、羽依は満面の笑みを浮かべて俺の手を握った。
「頼りにしてるね、彼氏どの!」
俺たちの通っている学校『私立神凪学院』は、長い坂の上にある。1学年300人ほどの生徒数で、運動部にも力を入れている学校だ。
うちから徒歩30分ほどの道のりで、通学だけでも最初の頃はきつかったが、今は体を鍛えているから平気だ。筋肉は裏切らない。
早朝とはいえ、かなりの人数が登校していた。羽依はちょっとした有名人なので注目度も高い。
そんな子が、無名な俺と手を繋いで仲良く登校してるんだから視線が刺さる刺さる。
まあ計画通りではあるわけだけど、好奇の眼差しや悪意の眼差しが色々あって、さすがに肝が冷える。
教室に入ると、生徒の3分の1はすでに登校していた。朝勉組がこんなに居たとは驚いた。
教室に入る時は、繋いでいた手を離したが、俺は敢えて「羽依、多目的スペースで一緒に勉強しよう」と言った。
俺と羽依が仲が良いのはクラスのみんなは知っていたと思うけど、名前で呼び合うような仲ではなかったので、注目を浴びてしまう。
羽依もちょっと意識した様子で「うん、じゃあ行こう、蒼真……」と併せてきた。
一際強い視線を送ってきた子が居た。結城真桜だ。
「おはよう藤崎くん、随分早いのね」
「おはよう結城さん。ちょっと勉強の遅れを取り戻そうと思ってね」
彼女は唯一俺と同じ中学の同級生で生徒会長だった。もっとも中学の時は話したことがなかったが。
彼女は何かと俺に気をかけてくれていた、わりと仲の良い子だった。
黒髪のロングヘアで切れ長の目。羽依とはまた違ったタイプの美人だ。例えるなら、太陽と月、向日葵と薔薇、犬と猫。まあそのぐらい全く違うタイプだ。
「雪代さんと一緒に勉強するのね。彼女はとても頭が良いから、色々教えてもらえるかもね。」
と、学年1位の彼女がおっしゃってる。もちろん嫌味じゃないのもわかる。お互い才女同士、認め合ってる感じだ。
「わからないことあったら私に聞いても良いのよ。頑張ってね」
そういって自分の勉強を始める結城さん。クールだけど、とても優しい。でもたまに意地悪なところも魅力だった。
校内のこのパブリックスペースには、いくつかのテーブルが置かれ、パーテーションでゆるく区切られている。
生徒が自由に使える多目的な場所で、二人で勉強するには会話もしやすくて、ちょうどいい環境だった。
「頑張ろうね蒼真!」
「よろしくお願いします羽依先生」
HRまでの短い間だけど、朝は頭の回転が思った以上に良かった気がする。夜ふかしで勉強するより、こっちのが良かったのかな……。
朝勉を終え、教室に戻る。HRが始まる前に、前の席の高峰隼が後ろを振り返って興奮気味に話しかけてきた。
隼はこの学校で一番の友だちだ。知り合ってまだ一ヶ月だけど、親友と言ってもいいぐらいだと思う。
背が高く1年生ながらサッカー部のレギュラーでイケメン。おまけに学年5位の成績と、天が何物も与えすぎた超人だ。俺にもちょっとわけてくれ。
「蒼真、ついに雪代さんと付き合ったんだって? へたれなお前がよく告白できたな!」
「うっせ。それより隼、俺と羽依が付き合ったって話、もう知れ渡ってるの?」
「なんだよ、もう呼び捨てで呼んでるのか。展開早いな! ――噂の広がり方はすごいな。写真まで出回ってたぞ」
ほれ、とスマホの写真を見せる隼。俺と羽依の手を繋いで登校している姿がばっちり収められてる。
「俺は部活の朝練のときに送られてきたんだよ。今の時代は怖いな。すぐ噂が広まってしまう」
「だな。まだ1時間も経ってないぞ……」
もう苦笑するしか無い。どうやって周知をさせようと悩んでいたが、その必要がないぐらい知れ渡ってる。現代社会怖すぎる。
「俺はお似合いだと思うぞ。よかったな! がんばれよ!」
そう言って笑顔で前を向く隼。
――あれ? 何か胸が痛い……。
偽装ってみんなに嘘つくことなんだよなと、今更ながら気がついてしまった。
昼休み、ぼーっとスマホを見ていたら結城さんに声をかけられた。
「藤崎くん、ちょっと良いかしら」
結城さんに呼ばれて自販機まで行く。ジュースを買ってベンチに座ろうとするも埋まっているので、少し離れた隅っこで二人しゃがんでジュースを飲む。
この学校の制服は可愛いけど、やたらスカートが短いのが難点だ。
しゃがんだ結城さんから、見えてはいけない水色のものがちらっとだけ見えてしまっている。紳士な俺は、彼女に恥をかかせてはいけないので黙っておくことにした。
「雪代さんと付き合ったんですって?」
「あ、うん。もう噂聞いたんだ?」
真桜の瞳が怪しく瞬いた。
「聞いたけどね。偽装でしょ」
「ブーーッ!!ゲホッゲホッ な、何言ってるんですか!そんなことないわよ!」
激しく動揺する俺に、結城さんは頭を抱えた。
「何でそんなことするのかは、少しだけ理解できるわ。優しいのね、蒼真」
いきなり呼び捨てで呼んできた結城さんに、少し焦る。
「雪代さんを守るため。で、あってる?」
「……」
「沈黙は肯定よ。蒼真」
俺は何も答えられずにただ下を向いていた。決して結城さんの本来隠れているべき場所を覗いているわけではない。
「何かあったら相談にのるわよ。あとパンツ見すぎ」
「――ありがとう……真桜」
ちょっと顔を赤くしながら、ひらひらと手を振って教室へ戻る真桜。
――本当に優しいな。