第159話 サプライズのお手本
タワマン勉強会は講師が三人に増えてかなり捗っている。
燕さんには真桜が、志保さんには羽依が付きっきりで見てくれている。
なにげに驚いたのが飯野さん。彼女はキャラ的に講師っぽさはないと思いきや、かなり良い先生だった。
俺と隼を見てくれているが、俺のミスを的確に見抜いてくる。
「美樹はなにげに勉強できるんだよな。俺もよく教わってるし」
「なにげにって何よ! 隼もナマイキじゃなけりゃ私の彼氏にしてあげたのにね~」
二人は以前からの知り合いなようで、飯野さんを呼び捨てで呼ぶぐらい仲が良かった。
ただ、飯野さんの俺に対しての距離感にハラハラする。太ももが俺の足に当たり、大胆な胸元がよく見える。サイズが慎ましやかなので、見えてはいけないものがさっきからチラチラと……。
絶対この人わざとやってる。さっきからニヤニヤしっぱなしだし……。
強めな香水に頭がくらくらしてくる。
羽依と真桜が勉強に集中してくれてるのが幸いだ。
バレたら本気で面倒なことになるぞ……。
「なんか蒼真くんってさ、初めて見た時よりどんどん格好良くなってるよね。三年の間でも話題になることあるよ」
「そうなんすか? 別に変わったとこないと思うけど」
「あー蒼真は変わったな。まず見た目っつうか、背が伸びたんじゃね? 入学した時いくつよ」
「167cmぐらいだったかな……今いくつだろ」
隼がコンベックスを持ってきた。壁に俺の身長の印をつけ計測する。
「173cm……すげえ伸びたな。良い栄養と運動のおかげかもな。俺に感謝しろ」
「あー……ありがとう? まあお前のトレーニングメニューはめっちゃ役に立ってるよ。全部毎日こなしてるからな」
隼が目を見開いて驚いた。
「はあ? おまっ! あれ全部こなしてんの? 俺と同じ量だぞそれ。最終目標ってことでめっちゃハードル上げてたのに……運動部でもないのに、やるじゃん蒼真!」
「まあな。目標があったから良かったんだよ。サンキュな。それよりお前こそさらにでかくなったんじゃね?」
今度は隼を測定してみた。188cm……でかすぎだろ。
「うはは! まだ負けねえな。でも入学時より5cmか。蒼真に伸びしろ負けたな。もちっと食うか! ――姉さん! 勉強そろそろいいんじゃねえか? 腹減っちまったよ」
時刻は十七時を大分過ぎていた。みんなここぞとばかりに勉強に夢中になっていたようだ。
多忙な燕さんと志保さんが講師してくれる機会なんて早々ないだろうからな。
「よし!じゃあパーティー始めようか! 注文の品がそろそろ来るかな」
燕さんの言葉と同時ぐらいにチャイムが鳴った。
「来たみたい。ちょっとまってね」
迎え出た燕さんが戻ってくると、板前さんの格好をした老紳士を招き入れた。
「毎度ご贔屓に。江戸前寿司銀の田口です。本日はよろしくお願いします」
「今日はサプライズで出張寿司を頼んだの。みんなじゃんじゃん頼んでね!」
みんなぽかーんとしていたが、状況を飲み込み理解したとたん喝采した。
「すごーい! お寿司だって! 眼の前で握ってくれるんだ!」
羽依は興奮して俺の肩を掴んで揺さぶってきた。真桜も同じように興奮したようで頬を赤らめてる。
「ホント燕さんってサプライズ好きなのね。確かに度肝を抜かれたわ……」
飯野さんと志保さんも知らなかったようだ。そして隼も。
「まったく、姉さんにはやられるよな……敵わねえなあ……」
「気づかない隼がどうかしてるのよ。冷蔵庫に食材大量に入ってたでしょ」
呆れた顔の燕さん。でもみんなの様子を見てご満悦なようだ。
ホントしてやられたって感じだな。
早速田口さんがキッチンで魚をさばき始める。
ホワイトボードに今日のメニューが記載されている。
マグロ、大トロ、中トロ、タコ、イカ、ウニ、イクラ、アワビ、ハマチ、鯛、卵焼き、赤貝、コハダ、ボタンエビ、シャコ、鉄火巻。
豊富な品数にビビる。食べきれるかなと思うけど、まあ隼と真桜がいる限り余ることはないか。
「田口さん、遠慮はいらないからじゃんじゃん握ってね! みんなめっちゃ食べるからさ!」
「おっ! 嬉しいねえ。燕ちゃんのためにも最高の握りをみんなに提供しよう」
きっと以前からお付き合いがあるんだろう、田口さんと燕さんのやりとりに、彼女の顔の広さを感じる。
ダイニングに次々に運ばれる寿司をみんなで片っ端から食べていく。
ネタはどれも鮮度が良く、赤身の照りやイカの透け感が美しい。
寿司の一つ一つがまるで宝石のようにキラキラと輝いている。
「おいひぃよう……蒼真……私幸せだあ」
羽依は目をとろんとさせて恍惚の表情を浮かべる。
「シャコって見た目すごいわね……食べられるのよね……」
真桜はシャコを見て固まってる。
「なんだ食わねえのか? 食ってやろか」
手を伸ばそうとする隼の手をピシャリと叩く真桜。
「食べないって言ってないでしょ。いただきます……」
恐る恐る口に運び、もぐもぐと咀嚼する。
「……あ……。え、すごい……。こんなに甘いのね。エビよりも濃いのに、全然くどくない……」
真桜はすっかりシャコを気に入ったようだ。確かに見た目はアレだけど、めっちゃ美味しいからな。
「蒼真握ってるとこずっと見てるよね。今度家でもやってみるの?」
「寿司はさすがに難しいからね。でもチャレンジしてみたいんだよね」
俺は田口さんの所作をつぶさに眺める。少しでもテクニックを盗んでやるつもりだ。眼の前で一流の職人さんの技を見れるまたとないチャンスだからな。
そんな俺の様子に気がついた田口さん。
「ちょっと兄さん、手伝ってくれないか。手を見せてみろ……爪は大丈夫だな。手をよく洗ってな」
田口さんは寿司の握りを指導してくれた。これって、ありえないぐらいラッキーじゃないか?
「そう、シャリを握る感覚を大事にな。適量を一回で決めるんだ。シャリを捨てるのは所作として駄目だ。そう、強く握るのはおにぎりだ、寿司はデリケートにな。そんな長く握っちゃだめだ。ネタが腐る。」
細かい注意点までしっかり教えてくれるのはありがたすぎる。
最初はいびつな形も最後にはしっかりした寿司っぽくなってきた。
「蒼真へのサプライズプレゼントになったね。滅多にない経験でしょ」
「燕ちゃんにちょっとしごいて欲しい子がいるって言われたんだよ。誰でもって訳じゃないからな」
「そうそう、見どころがなくちゃ教えてやらんよって言われちゃったけど、蒼真気に入られたね」
いかにも職人気質な田口さん。きっとお金を払ってでも教えを請いたい人も多いだろう。
「あんないかにも技を盗みますって目で見られちゃあな。やる気ありそうで教えがいがあるじゃねえか。高校卒業したらうちの店で修行するか?」
「それもめっちゃ魅力ですけど、今は洋食屋さんで修行してるんで遠慮しておきます」
田口さんは残念そうにしつつも、しゃーないなと笑ってくれた。
大量にあった食材もみんなの胃にほとんど収まったようだ。
みんなからは満足感あふれる笑顔が浮かんでいた。
真桜は依然食べ続けていた。ペースが遅くも早くもない。淡々と延々と食べ続けていた。相変わらずだな……。
後片付けをすませ、田口さんはみんなに挨拶をして帰っていく。
「蒼真、今度店に来いよ。店で食えば考えもまた変わるかもな。じゃあまたな!」
そう言って笑顔で俺の肩を叩いてマンションを出ていった。得難い経験をさせてくれた田口さんと燕さんには本当に感謝だ。
「蒼真、田口さんは皇族や海外のVIPにもお寿司を提供する人だよ。よかったね~」
「オーラがすごいとは思ったけど、そんなすごい職人さんだったとは……って、そんな人に出張サービスさせたんすか!?」
燕さんは「ダメ元で言ったらOKしてくれた」と笑顔で答えた。
ホントすごすぎるだろこの人……。




