第156話 甘い湯けむりの中で
稽古は理事長よりも真桜のほうがよっぽど良いと思っていた。
でも、久しぶりの彼女の指導は熱が入っていた。それもかなり。
そういや性癖暴露大会から初めての稽古だった。
生き死にの話で言えば、真桜のほうがよっぽど死に近いと思った。それぐらい彼女の指導は厳しかった。
「お祖父様の色に染まってきてるのは許せない。私色に塗り替えるの」
そう言って嬉々として俺を絞め落とそうとする真桜。
いっそ殺して?
地獄の稽古が終わった後はゆったりと湯船に浸る。
いつもはシャワーで済ませるけど、今日は特別に薬湯を用意してくれた。
準備の良さにありがたいと感じつつ、ふと気づいてしまう。
打ち身打撲前提だったのかなと……。
結城家の風呂は広い。
昔は門下生がみんなで入っていたのかな。美咲さんや佐々木先生もきっとこの湯船に浸かったことはあるんだろう。
そんなことを考えながら今は俺一人で入っているけど、なんとも贅沢だと思う。
――本当に真桜は来るのかな。
一緒に入ると言っていたけど、恥ずかしがり屋の彼女だからな。前に肌を見た時は殴られて気絶したこともあったし。
ラノベだったら暴力ヒロインは嫌われるぞ。
「蒼真、はいるわね」
そう言って風呂場に入ってきた真桜。
彼女は体を隠すタオルを持っていなかった……。
目のやり場に一瞬戸惑うが、それ以上に釘付けになってしまうのは男の性なのか。
そっと手で隠す体が……とにかく言葉に尽くしがたい。
もっと見たいし、今すぐにでも触れたい。
「真桜の肌、やっぱり綺麗だね……よく見せてくれるんだよね。手、どかして」
「……意地悪。さっきの仕返し?」
そう言いつつも大事なところを隠している両手を、戸惑いながら後ろに組む。
恥ずかしがり屋の彼女の精一杯の頑張りだ。
瞳はじっと俺を見つめ、歯を食いしばるその表情だけで、俺はもう……。
湯けむりに包まれた彼女の体はとても綺麗だ。しっかり鍛えられているが、女性らしい膨らみも兼ね揃えている。
きっと多くの女性が羨む理想的な体だ。
俺から見てももちろん魅力的すぎた。
「ずっと見ていたくなるよ。――その肌を傷つけるのは絶対駄目。さあ体を洗うね」
真桜は黙って頷いた。
後ろにまわり、手にボディーソープを取る。
真桜が振り返り何かを言おうとしているので、唇で塞いだ。
時間をかけてじっくりと体を洗い終えたときには真桜は息も絶え絶えになっていた。
声を押し殺して我慢する真桜は俺の嗜虐心を存分に満たしてくれた。
「ヘタレの蒼真はどこ行ったのよ……。いつもならもっと恥ずかしがるでしょ……」
ちょっと悔しそうな彼女が可愛くも面白かった。
俺もいつまでもヘタレじゃないってところを見せられて嬉しく思う。
……果てそうになるたびに素数を数えてみたり理事長の顔を思い出したりしたけども。
シャワーで体を洗い流し、シャンプーを手に取り彼女の髪を洗う。
「蒼真、順番逆じゃない?」
「え? 順番とかあるの? 」
「普通は髪を洗ってから体でしょ。トリートメントが体についちゃうし」
「あ~そっか、なるほど」
女の子には色んなこだわりがあるんだろうな。単に俺が常識を知らないだけかも。
呼吸が整ってきた真桜。髪を洗われて気持ちよさそうにしているのがちょっと子供っぽくて可愛らしい。
「手で体を洗うなんて羽依みたいよね。……あの子にもこうやって洗ってるの?」
「羽依にはしたことはないね。それに裸で二人きりで風呂に入ったことって、まだ一回しかないよ。それも付き合う前だけど」
「え……それもまたすごいわね。……付き合う前って偽装カップルのとき?」
「そうそう、その後にさ、『俺のこと好きなの?』って聞いたらブチギレられちゃって……鈍感すぎるって」
「……そりゃ好きでもない男と一緒にお風呂は入らないわよね」
「その言葉、そっくりそのまま言われたよ。……それでその後に付き合ってと告白したらさ、うっかり噛んじゃって……後日やり直し」
「あはははは! ちょっと! ネタでしょそれ!」
「ネタじゃないんだなこれが……」
真桜は可笑しそうに腹を抱えて笑っている。
センシティブな流れが一気に台無しになった。
やっぱりこの話は墓場まで持っていくべきだったか……
トリートメントを流し終え、真桜と交代する。
すでに体は洗い終えてるけど、彼女は納得できないようだ。
「私も手で洗ったほうが良い?」
「くすぐったくて死んでしまうからタオルが良いな……」
「私だってくすぐったかったわよ!――羽依と蒼真には全身くまなく触られたわね……ホント酷い二人だわ……」
「恥ずかしかった?」
「当たり前でしょ!」
そう言ってタオルで背中をこする真桜。
「あいたたた! もっと丁寧に!」
絶対やると思ったけど避けようがない。
なんだかんだ俺も隅々まで洗われた。やっぱり結構恥ずかしいな……。
体を流し二人で湯船に浸かる。
「やっぱ気持ちいいね、ここのお風呂は」
「そうね。私は慣れちゃったけど贅沢だと思うわ。こうして好きな人と一緒に入れるのはすごく幸せね……」
真桜の言葉に幸せを噛み締める。
今、二人の女性に好きと言われている。お互いいがみ合うこともなく、むしろこの関係を望んでいる。
その事実があまりに奇跡のようで、いつか失う時がくることが今は何よりも怖かった。
「……この先の事とかって考えたことある?」
「あるわよ。この前羽依と話し合ったわ」
「二人で買い物に行った日?」
「ええ、貴方と九条遥が浮気していた日」
急に抉ってくる真桜の辛辣な言葉。冗談とは分かっていても心臓に悪すぎる。
「そんな酷いこと言わないで……俺はそこまで器用じゃないよ……」
「ふふ、それは知ってる。そんな器用じゃない貴方にこの上ないほど器用さを求めている私たちの矛盾も」
「……後ろめたさすらも裏切りに感じるからね」
俺に出来ることは二人を全力で愛することと思っている。それが間違っているかどうかを判断出来るほど、人生経験があるわけじゃない。
「だから貴方には何でもしてあげたい。苦しさは必ず付きまとうだろうから。でも、もし本当に限界が来たら言ってね」
「今は楽しいし幸せって思えてる。後は深く考えないようにしてるかな。でも、真桜が辛いって思ったら俺は……」
「私は貴方に好きと言う事も出来なかった。それから比べたら今はとっても幸せよ。蒼真、大好き!」
辛さを全く見せずに嬉しそうに口付けをする真桜。確かに今はとても幸せそうに見える。
「……それで、羽依とどんな話をしたの?」
「限界まで愛し合おうって。わりと具体的な話もしたわ。私と羽依に蒼真の子どもが出来たらきっちり認知してもらおうとか」
――そんな具体的な話まで出てるのか。女子のほうがやっぱり現実見てるんだよな……。もちろんその時は絶対に責任を取る覚悟だ。
「もちろん認知するよ。精一杯働いて良い父親になるんだ。でも、しっかり避妊はしていかないと。美咲さんとの約束でもあるわけだし、俺みたいな事だってあるわけだし……」
「そうね、責任重大ね。……なんか生々しい話ばかりね」
くすっと真桜が笑った。今考えたって仕方のないこと。そんな風に感じた。
その後、俺の方をじっと悪戯な目で見つめてきた。
「蒼真、私の体を見てもっと感想はないの?」
「唐突だな……でもホントきれいだと思う。真桜の腹筋すごいよね。今でも毎日しっかり鍛えてないとこうはならないよね。足もとてもスラッとして長くて綺麗だし、胸も結構大きいよね。先も綺麗で名前と同じ桜色……いだだだだ」
お湯の中で脇腹を抓られた。泣きそうなほど痛い。
「振っておいてなんだけど! その辺でやめて!」
「まだ褒めたりない。真桜の良いところをもっと言いたい」
まったく……と真桜がこぼしながらも、満更でもない表情を浮かべる。
「じゃあ、続きは部屋で。ね……」
風呂を出てから真桜の部屋に入った。
散々悪戯しあって出来上がった二人の体は、さらなる繋がりを求めた。
――俺の欲求以上に、真桜の好奇心や探究心は凄まじかった。
羽依が言っていた真桜はむっつりというのは確実に的を射ていたようだ。
俺が帰る頃にはとっぷりと日が暮れて、宵闇が街を覆っていた。
「じゃあまた学校でね」
振り返ると、真桜はいつまでも手を振っていた。
次に二人きりで会えるのはいつだろうか。
生徒会で多忙になった真桜をいくらかでも癒やすことは出来ただろうか。
心の奥の微妙なわだかまりに蓋をして、力強く自転車を漕いで家路についた。