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第152話 黒猫の破壊力

 九条先輩に案内され邸宅に入る。


 玄関は二階まで吹き抜けになっていて、磨き上げられた白大理石の床に俺の靴音が澄んで響いた。

 壁面には大きな一枚の絵画が掛けられ、シャンデリアの光を受けて荘厳に浮かび上がっている。


 黒檀の棚の上には、庭から摘んできたのだろうか、深いワインレッドの薔薇が花瓶に生けられていた。晩秋にまだ咲き残っているのは珍しく、その存在がいっそう重厚な雰囲気を添えていた。

 とても個人宅とは思えない――まるで美術館と高級ホテルを掛け合わせたような空間だった。


「こっちがリビングよ。そこのソファーに腰掛けてね。今コーヒーを淹れるわ。あ、こら、クロ!」


 黒い物体が九条先輩の足元をするするとすり抜け、俺の膝へと飛び乗ってきた。


「にゃあ!」


 艶やかな黒毛はシャンデリアの光を受けてきらめき、小さな宝石みたいに目が輝いている。

 ふわりとした温もりと軽い重みが膝に伝わり――思わず顔がにやけてしまった。

 膝の上に乗ってきたのは九条先輩の飼い猫“クロちゃん”だ。

 か、可愛すぎる……! いや、いきなり膝の上に乗るか? こんな人懐っこい猫は見たことない!


「クロちゃん! 会いたかったよお……。何この子、可愛すぎる!」


 そっと背中を撫でると気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らした。


「え……嘘、そんな急に慣れるもの? 普段、私以外は見向きもしないのに……」


 コーヒーを持ってきた九条さんが驚いた様子で俺とクロちゃんを見つめている。


「良い子ですね! なんだこの可愛さ……この子って保護猫だったんですよね?」


「そう。私には慣れたんだけど、それまではすごく大変だった。今も私以外の人にはあまり近づかないの。だから驚いちゃって……」


「へえ! じゃあクロちゃんのお眼鏡に叶ったのか。ん~可愛い! この毛並みといい、整ったお顔立ち! 俺も君のこと大好きだ!」


 やばい、もうデレデレになってしまう。元々猫は好きだったけど、自分で飼う事なんて考えたこともなかったな。


 しばらくの間、存分に撫でた。クロちゃんは俺に満足したのか先輩の膝の上に移った。


「あ……そっか。やっぱ先輩のほうが良いんだね……」


 俺の寂しそうなつぶやきに先輩が声を立てて笑った。


「あはは、そ、そんながっかりしないで。――蒼真くんってホント面白いわね」


「そうですか? 別に楽しいことも言えないし、流行りとかも全然わからないですよ」


「ふふ、流行りなんて私だって知らないわよ。――でも、そのわりに君、モテてるわよね。私の知ってるだけで貴方のこと好きな人は四人居るわよ」


 ニヤニヤと、ちょっと悪そうな笑顔を浮かべる九条先輩。――四人? 二人は分かるけど他に誰が居るんだ? まあ先輩流のジョークなんだろう。


「そんなモテてますかね。――そんなことよりも、そろそろ今日の本題なんですけど……バイトの件ですね」


 俺の言葉で先輩に緊張が走るのが伝わってきた。


「そう、ね。ごめんなさい蒼真くん。君からその話に触れられると、その、意識しちゃって……。いきなり弁護士の人が住み込みのバイトの斡旋とか、意味わからなかったでしょ。迷惑でしかないわよね……」


 九条先輩は常識人だったんだな。俺の困惑した事をしっかりと理解してくれていた。


「いやあ、びっくりもしたし、今まで知らなかったこととか知れたし。でも、良かったと思ってますよ。何も知らないままだったら対応できないことも多かっただろうし」


 俺の言葉にホッとした様子の先輩。


「そう言ってくれると救われるわ。この話はね、夏休み明けにあったの。夏祭りの時は貴方達を見て……イラッとしちゃったからあんな態度とってしまったけど。――後悔したわ。ほんとなんで私ってああなんだろうって……」


 夏祭りで会った時は確かに威圧感半端なかった。

 今にして思えば、真桜と一緒に居たからだろうな。

 そのわりに副会長に任命というのがよくわからない。二人の関係は俺が思うより複雑なんだろう。


「話が逸れたわね。――それでね、貴方のお父さんとうちの会社はとても良い関係だったらしいわ。でも、それは景気の良い時の話で、再起が見込めなくなった途端に私の父が藤崎コーポの優秀な社員を引き抜いた。多分ここまでは浅見さんから聞いてるわよね。」


「ええ、なんとも……厳しい話ですね……。まあ仕方ないんでしょうけど」


「そうね。私も蒼真くんもこの話は蚊帳の外だから結果しか知らない事。問題はここから。父が貴方のことに興味を持ったのは寝耳に水だったの。父としては、蒼真くんのお父様への配慮なのかしらね。――正直私もわからないの」


「え……。ってことは今回の件って先輩にとっては偶然……?」


 九条先輩は黙って頷いた。


 彼女の介入があったわけではなく、単純に先輩のお父さんが俺の事を九条先輩のお世話係にしたいと……。


 浅見さんも確かに九条先輩の意見とは言ってなかった。

 夏祭りの九条先輩は含みを持った言い方をしていたので、俺が勝手に自分の腑に落ちるように解釈していた。

 悪く言えば、先輩が俺に気があるので暗躍していたと。まあ思い上がりも甚だしいな……恥ずかしい……。

 

「じゃあ、先輩の気持ちとしては今回の住み込みバイトは望んではいないと」


「望んでない……って言ったら嘘になるわ」


 みるみる頬を染めて、視線を逸らした。


「むしろ……バイトに入ってくれたら嬉しい。すごく」


 ちょっとだけ気まずい空気が流れる。

 なんとも返しの難しい内容だ。俺の想像は全く的を射てないわけでもなさそう……。

 もちろん彼女の好意に応えることは不可能だ。


 ――ふと思いついた。


「……ちなみに、今って一人暮らしなんですよね。先輩、こう言ったらなんですけど、色々不用心じゃないですか?」


 ちょっとだけ悪戯心もあったし、忠告の意味もあった。

 意地悪な質問をしたら彼女はどういう反応をするだろうか。


「この家に賊の侵入は不可能ね。それに私の声帯認証で数分以内にセキュリティーがかけつけるようになってるわ。ある程度の護身術も習っているし。――チャレンジしてもいいわよ?」


 少しだけ冷たい視線を放つ先輩。


「いえ……遠慮しておきます……」


 だめだ……まずその前に目力で殺される……。

 俺のたじたじな反応に満足したのか、先輩は緊張をゆるめた表情を浮かべる。


「実際、生徒会長になってから忙しさで家事は滞っているの。留学の準備もあるし、何かと大変なのよね」


「そりゃ確かに大変そうだ……。アメリカの大学って前から決まってたんですか? バイトは1年って聞いてたから、話が違うなとは思ったんですよ」


 九条先輩は途端に苦々しい顔を浮かべる。


「父が強引に決めてしまったの。私も海外の大学に行くことには異存はないわ。それなりの準備もしていたし。日本の大学に行ってから編入って考えてた。でも、それでは遅いって……」


 九条先輩はお父さんには逆らえないようだ。

 一体どんな人なんだろう。

 俺に興味を持ち、九条先輩と一緒に住まわせようとしてる。その思惑が余りに謎すぎる……。


「九条先輩のお父さんってどういった方ですか?」


「九条グループのトップが会長のお祖父様で、父はナンバー2で社長なの。まあ何考えてるかわからない人よ。でも、私の事は第一に考えてくれてはいるみたい。我儘言ってこの家は私一人で住んでるけど、自由にさせてくれているわ」


 お父さんとの関係性は悪くはなさそうだ。

 強引さはあるものの、きっと良かれと思ってのことだろう。

 そもそも、こんなでかい家の管理を一人で頑張るってのが難易度高すぎだ。掃除だけで一日が終わりそう。


「九条先輩はこの家にどうして一人で住んでるんですか? ちょっと広すぎて管理も大変そうだし、学生向きのマンションのが良さそうだけど」


 彼女は怪訝な表情を浮かべる。なんか変なこと聞いちゃったかな……。


「私の趣味はガーデニングなの。蒼真くん、貴方だったらこの庭を手放せる? この芝の管理を他の人に任せられる?」


 雷を打たれたような衝撃を受けた。そりゃ無理に決まってる。俺はなんて馬鹿なことを聞いてしまったんだ……。


「すみません。質問を忘れてください……」


「良いのよ蒼真くん。誰だって間違いはあるわ。――一人暮らしをしている理由は、私がそうしたいから。庭を荒らされたくないの。これでいいかしら?」


「はい。って、俺がバイト受けたら一人暮らしじゃなくなりますよ?」


「だからこそなの。忙しくなりすぎて手が回らない。でも、赤の他人にこの家に入られるのは嫌。蒼真くんが来てくれるのなら、この庭を託すことができるわ。――そう考えると、父が蒼真くんを選んだ理由も、その辺りを見越していた可能性もあるわね」


 そうか、俺が芝好きだから適任と。いや、そんなことあるか?


 ――それからしばらくは九条先輩と色んな会話を楽しんだ。

 思えば、色んな不信感がすっきり解消されてから、初めて二人きりで語り合っている。


 学校では見せないような明るい笑顔がとても魅力的に感じる。

 時折見せる姉っぽい仕草に、もし姉が居たら、こんな人なのかもしれないな。ふとそんな事を思った。

 

 時刻は十七時を過ぎる頃、表はすっかり暗くなってきた。

 すぐに帰るつもりが、思った以上に長居をしてしまった。

 

「そろそろ帰りますね。――バイトの件は返事がまだできなくてすみません。人手、欲しいですよね……」


「こっちの都合だから気にしないでね。でも来てくれたら嬉しいというのが私の正直な気持ち」


「わかりました。じっくり検討させてください。――最後に、クロちゃんとの2ショット撮ってもらっていいですか?」


 九条先輩は笑いながら俺たちの写真を撮ってくれた。


 先輩に別れを告げて自転車で帰宅する。

 辺りはとっぷりと暗くなっていた。夜風が身にしみる季節になったな。


 バイトの件は実に悩ましい……。

 高額報酬に芝と猫のセットはあまりに魅力的すぎる。

 九条先輩の悩みも十分に理解できた。

 後は俺次第か……。


 やっぱり父さんと話をしよう。仕送りの事や九条家の繋がりとか、あとは母さんのこと――。

 知らなければいけない事はまだ多い。

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