第140話 初めての……。
日曜日。今日は、以前から羽依と約束していた――中間テストのご褒美をもらえる日だ。
……けれど、昨日の出来事を聞いた今となっては、正直そんな気分にはなれなかった。
俺の居ないところで羽依が危険な目にあっていた。
燕さんから電話でその話を聞いたとき、全身の血が引くような感覚に襲われた。
まさかあの後藤が、また羽依を襲うなんて……。
その後羽依から詳細を聞いた。出会ったのは偶然らしいけど、どうやら逆恨みしてたらしい。
この先一体どうすれば良いんだろうか。
覚悟を決めて、復讐する気も起こらないぐらいに痛めつけるとか?
――出来もしないこと考えるのは止めよう……。
まだ文化祭準備の時の事件が起きてからそんなに経っていなかったからな。
やはり出来るだけ羽依と一緒にいるべきだったか……。
でも、昨日の俺は真桜と……。
なんだろう……この感覚。
俺は羽依を裏切っている……?
ひとたび何か事件が起こるだけで激しく揺れ動く心に、“新しい関係”と言うものの困難さを痛感してしまう……。
その時、玄関から鍵を差し込む音が聞こえた。
いつものように、羽依がやってきた。
ドアを開けた瞬間、思わず息を呑んだ。
――なんというか……やばい。これは反則だろ。
淡いグレージュのショートニットに、肩が大胆に開いたオフショルデザイン。下はタイトめな黒のニットミニスカート。脚線美がまるっと露出してる。
「……な、なんか、すごいな……今日の服……」
「えへへ~。志保さんにもらったの。おうちデート用にぴったりかなって思って~」
服装はとにかく可愛く、俺好みなのは間違いない。けれど、昨日の事など、まるで何もなかったかのような羽依の様子に戸惑いを隠せない。
「羽依、昨日は大変だったね……。ホント怪我とかしてないの?」
羽依はニンマリとしてシャドーボクシングを始めた。
それがまた、やたらキレが良く、やけに様になっている。
「ちょろいね。あんな雑魚、私にかかればワンパンだよ!」
あれ? なんか変な方に調子に乗ってる?
「ま、まあそれなら良かったけど……その、あんまり無茶しないでね」
俺の言葉に、羽依はやや憮然とした表情を浮かべる。変なこと言ったかな?
「それより蒼真! 昨日は真桜とどこまでしたの?」
まじまじと俺を見つめる羽依。その問いかけは、俺の心を一瞬で凍りつかせた。
「えっと……キス……しました……以上です……」
羽依は俺の目を覗き込む。大きい瞳がまじまじと俺を見つめる。吸い込まれそうで、なんか怖い……。
「胸さわったよね?」
「はい! 服の上からですが、胸を触りましたあ!」
なんで知ってんの!? もう筒抜けすぎて嫌だあ……。
羽依は俺の顔を見てきょとんとしている。その心理は一体なんなんだろうか……。
「なんて顔してんの蒼真。別に怒ってないよ?」
確かに怒ってる様子は見られない。もちろん嬉しそうでもないが。なんだろう……無?
「そうなの……? でも、昨日羽依が大変な目にあってたって思うと……」
羽依はニコッと笑って俺の胸におでこをつける。
「絶対気にしてるって思った。蒼真は優しいね」
「そりゃ彼氏だもの。彼女のピンチに何も出来なけりゃ価値ないよ……」
――すっと俺から離れ、上目遣いに俺を見つめる羽依。どことなくその目は寂しそうだった。
「ピンチに助けてくれたらそりゃ嬉しいよ。でも、世の中、弱い男の人だっていくらでも居るでしょ。その人達がみんな価値がないって事はないよね」
あ……そうか……。そりゃそうだな……。
ぐうの音も出ない俺に、羽依は捲し立てるように続ける。
「四六時中守る事なんてできるはず無いんだよ。隕石降ってきたら打ち返せる? 蒼真にそこまで期待してないし、なんでも責任感じる必要なんてないんだよ」
優しく諭すような言い方が、やけに引っかかる気がした。
羽依を守るために自分を鍛えているし、毎週武術だって習ってる。その努力を――否定されたような気持ちになった。
「……責任感じるのは俺の勝手だよ。羽依は特に襲われやすいんだし、もう少し大人しくしておくべきだったかなって」
羽依は俺をキッと睨む。――何か地雷踏んだかな……。こんな顔されたのは初めてだからビクッとした。
「確かに私は弱かったし守られるのも嬉しかった。でも、だからって私の自由がなくなるのは絶対嫌」
「いや、自由を奪うつもりなんてないよ。ただ、ついこの前襲われそうになったのに不用心だったかなって思ったんだ。実際危ない目にあったわけだし」
「だったら怯えて家に過ごしてろって言うの? それとも志保さんと遊びに行くのに蒼真も付いてきたかった? 」
「そんな事言ってないだろ……」
「ああ、わかった! 蒼真は志保さんにも気があるのかな!」
「いいかげんにしろよ! そんなはずないだろ!」
支離滅裂な羽依の言い草に、俺は流すことが出来なくなっていた……。
いつもの羽依からは想像もできないような表情を俺に向けてくる。怒りや悲しみのような感情がひしひしと伝わってきた。俺は何かを間違えたんだろうか……。
「……今日は帰るね……これ以上話しても余計拗れそう」
「……好きにしろよ」
振り返らずに羽依はアパートを出ていった。
玄関の扉がパタリと閉まる。
嫌な余韻だけが部屋に漂っていた。
――なんだろ、今の会話は。どうしてこうなったんだ。
きっとこれがバッドコミュニケーションなんだろうな……。
思えば初めての喧嘩だな……。
ちくしょう、謝るもんか……。