第14話 お母さん
昼下がりに、羽依の家へ二人で向かう。羽依の家は『キッチン雪代』というレストランで、お母さんが一人で切り盛りしている。お店は人気店で、SNSなどでも評価がとても高かった。
「オーナーが美人」「料理が美味しい」「美人の作るものは何でもうまい」「とにかく美人」「注文は待つけど全然許せる。むしろ嬉しい」
……。
とにかくお母さんの評価が絶大だということはよく分かった。
「口コミでくるお客さんも多いけどね、常連さんが多い店なの。みんなお母さんのファンなんだよ~」
羽依がちょっと得意げに話してる。自慢のお母さんなんだろうな。どんな人か、すごく気になってきた。
俺のアパートからほんの数百メートルの道のりだけど、裏通りを抜けるため、夜道は暗くて女の子一人では不安な道だ。
通りを抜けるとキッチン雪代が見えた。
羽依がお店の入口の鍵を開けて中に入る。
「ただいま~」
店内には、閉店中のレストランならではの静けさが漂っていた。営業中じゃないお店に入るって、なんか特別な気分になる。まるでスペシャルゲストみたいだ。
一昨日ぶりに来たけど変わった様子もなく、落ち着いた雰囲気の店内だ。
お母さんって、どんな人なんだろう。羽依の様子からすると、穏やかな人なのかもしれない。
「ちょっと待っててね。今コーヒー入れるからさ、好きなところに座っててね」
俺は表からあまり見えない場所に座り、テキストを広げた。思った通り勉強が捗りそうだ。
というか、娯楽がないので勉強するしかない。家だとつい甘えてしまうので、最適な環境だと思う。
客のいない静かな空間は、やることがなければ居たたまれなさを感じてしまうが、今は勉強という目的があるので逆に集中しやすい。
コーヒーを挽く音が店内に響く。
羽依が丁寧にドリップポットを傾け、ゆっくりとお湯を注いでいく。
湯気とともに、じんわりとコーヒーの香りが広がってきた。
「おまたせ~。さあ頑張ろう!」
羽依先生のマンツーマンによる指導の元、俺の理解度はかなり上がった気がした。俺の苦手とする場所をよく理解し噛み砕いて説明してくれる。
嫌な顔ひとつせず、丁寧に教えてくれる姿に、ちょっと感動してしまった。
「ありがとう羽依。なんかすごく進展した気がする」
俺の言葉に、羽依はとても嬉しそうに破顔する。
「蒼真にそう言ってもらえると嬉しいな。今まで勉強頑張ってきた甲斐があるよ。私、人に教えるの好きみたい」
この子は女神か。
知り合って一月程度だけど、一昨日から彼女の見方が随分変わった気がする。
学校では天然な雰囲気で、ほわほわした感じだった。なんで勉強そんなに出来るのかななんて思ってたりもした。
天才ではなく努力で身につけた知識だからこそ、自分のつまずきポイントを理解し、それを噛み砕いて説明できるんだなと、改めて気づき、尊敬した。
――からんからん~
入口のドアが開き、誰かがやってきた。お母さんかな?
「ただいま~!あ~疲れた~!」
「あ、おかえりお母さん! 今お客さん来てるよ~!」
――すっごい美人。女優さん?
実の母親だから少なくとも30代後半なんだろうけど、羽依と姉妹でも通じそうなルックスだ。黒髪のショートカットで、顔立ちは羽依と似てはいるものの、なんていうか、迫力がある美人だ。ちょっと怖そう。
「いらっしゃい、羽依がお世話になったんだってね。ありがとうね」
俺の方を見てニコッと微笑む。艶やかながら、愛らしい笑顔はさすが親子だなと思った。ちょっとドキってしてしまった。
「藤崎蒼真です。こちらこそ羽依さんにはいつもお世話になってます」
俺がそういうと、羽依のお母さんはまじまじと俺の方を見る。あれ?なんか変なこと言ったかな?
「羽依……。この子もらっていい?」
「だめ! 絶対駄目だからね! 怒るよ!」
珍しく羽依がムキになって怒り出した。
なんかいきなり親子喧嘩勃発!?
「冗談だよ、そんなに怒んないの。改めて自己紹介だね。雪代美咲、羽依の母親だよ。2日も泊めてくれて本当にありがとうね」
「いえ、あ、全然だいじょうぶです。一人暮らしなんで」
いったい何が大丈夫なんだろう。我ながら何言ってんだって感じだ。
「あはは! 緊張しなくてもいいよ。羽依からはいつも話聞いてるからね。今日の藤崎くんで」
「ちょっとお母さん! 余計なこと言わないで!」
顔を真っ赤にしてぷりぷり怒る羽依。お母さんには結構厳しいんだな。もっとも美咲さんは全く気にしてない様子だけど。きっとこれがいつもの親子の会話なんだろうな。
というか、そんなに話題にされてたの俺?
「腹減ったかい? お世話になったからね、いい肉買ってきたよ! 早速支度するから、勉強の続きやってな」
そう言って美咲さんは厨房の方へ向かっていった。
「まったく、お母さんてば……。気にしないでね蒼真。お母さんの冗談だから」
「え、あ、うん。気にしない……って、いや無理じゃね? 何かお母さんに言ってるの?」
「あはは……」
羽依は明後日の方を向いて頬をかいてる。ベタなリアクションだなあ……。
ごまかされたまま、勉強の続きを始めた。
しばらくして肉の焼ける匂いがしてきた。いい匂いすぎる……これはもう勉強にならない。羽依がよだれを垂らしそうな顔をしてる。実際、頭を相当使ったのでかなりカロリー消費した気がする。我慢の限界だ。
「おまたせ! キッチン雪代スペシャルメニュー 和牛1ポンドステーキだ!」
美咲さんが笑いながら見たことないような大きさのステーキを持ってきた。でかすぎね?
「羽依にはでかすぎるだろうからね。蒼真くん、手伝ってあげてね!」
「いや、俺にもでかすぎるかと……」
美咲さんは笑いながら「高校生だから大丈夫!」と謎の太鼓判を押してた。
その圧倒的な肉の塊にナイフを入れる。すっと柔らかい感触、滴る肉汁。俺はおもわず喉を鳴らす。あまりの見た目に、ちょっと緊張してきた。
「いただきます……」
ほぼ俺と羽依が同時に食べる。お互い目を見開き衝撃を受ける!
「「美味しい~!」」
一口噛むと溢れる肉汁、噛めば歯の抵抗を感じさせない柔らかさ。味付けはワインと塩コショウ、ニンニク少々か。シンプルながら肉本来の味わいを活かした調理は、さすが人気店って感じだ。
「お店にこんなメニュー無いよ~! お母さん、値段つけるとしたらいくらにする?」
ちょっと興奮気味の羽依の言葉に、美咲さんはニヤッと笑い、人差し指を立てる。
「1万」
その言葉に俺はひっくり返りそうになる。
なんかすごいの食べちゃった……。
もてなし方の豪快さに、俺は美咲さんの人柄を少し理解した気がした。