第137話 真桜の両親、そして今
10月も後半。週末の土曜――いつものように、真桜の家で古武術の稽古に向かう予定だ。
羽依は美咲さんとお店の仕入れに向かった。
出発前に「真桜の事も大事にしてあげてね」なんて言ってきたけど、やっぱり色々気にしてるのかな。
今していることは恋愛初心者の俺たちには難易度が高いのは間違いないからな……。
雪代家から一旦帰宅し、手土産の手作りコーヒーゼリーを保冷バッグに詰め込み自転車で向かう。
爽やかな秋風を受けながらのサイクリングはとても心地良い。たまにはもっと遠くに行きたいな。
――山とか良いかも。もうすぐ紅葉の時期だし一人自転車の旅とか楽しそうだ。
簡単なキャンプ道具を100均で買って、紅葉を眺めながら焼き鮭とか良い感じかも。皮をよく炙って、おにぎりと一緒に食べたり……ああ、腹減ったな。
そんな妄想をしていたら、あっという間に結城道場に到着した。
焼き鮭を妄想していたからか、そんな香りまで漂ってきてる気がするし。妄想力すごいな俺。
チャイムを鳴らすと、待っていたかのように真桜が出てきた。黒いロングヘアを一つにまとめ、ロングTシャツにデニムのパンツ姿の彼女は家着っぽさと格好良さを両立していた。
切れ長の目が涼しげに俺を見つめてくる。そんな彼女は間違いなく誰から見ても美人だと思う。
「いらっしゃい、さあ上がって」
「今日もよろしくね。これ、お土産。冷蔵庫いれておいてね」
「あら、今日は何かしら。――ふふ、毎週ありがとうね。結構楽しみにしてるの」
真桜は機嫌良さそうに鼻歌交じりにキッチンへ向かった。
焼き鮭の香りはどうやらキッチンからのようだった。香ばしい香りが食欲を刺激する。
ほどなくしてお昼ごはんになった。
メニューは焼き鮭、だし巻き玉子、ほうれん草の胡麻和え、きゅうりと大根の漬物、豆腐と油揚げの味噌汁。
毎日でも食べたい和食の王道だな。
「いつもご馳走ありがとうね。たまたま焼き鮭の事考えてたからびっくりしたよ。なんか嬉しいな」
「ふふ、なんでそんな事考えてるんだか。私も毎週蒼真とお昼食べるのがとても楽しみなの。一人で食べるのはやっぱり味気ないわよね」
そう言って笑顔でぱくぱくご飯を食べる真桜がとても可愛らしい。
「真桜はさ、一人で東京でてきて寂しくなったりしない?」
「お祖父様が居るから寂しいって事はないわね。それに、家でたかったし……」
ぽろっと出た真桜の本音に驚いた。それだけ俺に心を許してくれているんだろうな。
「家でたかったって……家族と折り合いでも悪いの?」
「……厳しかったのよ。何もかもが。でも、多分私は厳しくされて強くなるタイプだったのね。言われた通りの事をしてきたから今の私があるんだけど」
なんとなく厳しい家庭で育ったんだろうなとは思ってたから腑に落ちた。
「じゃあ今は親と連絡とったりしてないの?」
真桜は照れたような表情になって首を横にふる。
「それがね、離れて暮らしてからのほうがよっぽど仲良くなれたの。中学の時は普通に話せないぐらいだったのに、今は、特に母親には友達のように接していられるわ。父親のほうも、前は怖くて口がきけなかったのに今は全然平気なの」
「真桜がそんなに恐れてた両親ってのも何かすごいね……」
「厳しかった原因は分かってるの。――うちのお祖母様が厳しかったって話、前にしたでしょ」
「ああ、美咲さんもやっつけられたって話だったものね。強烈なおばあさんってイメージだ」
確か、美咲さんを柱にくくりつけて説教してたんだっけ。怖すぎだろ。
「そのイメージで間違ってないんだけど、だからこそだったのよね……お祖母様は私に勉強と武術のノルマを課してたわ。両親はお祖母様を恐れて私にその倍を課してたの。お祖母様は、『これだけやれば十分という意味で課してた、気づかずにごめんね』って……」
「……なんだろ、気遣いが裏目にでたって話なのかな」
「そうね……離れて暮らしてるから状況が分からなかったのよね。――お祖母様は敢えてスパルタになりすぎないように気遣ったものが、両親の解釈違いで超スパルタになったんだから、私にしてみればとんだとばっちりよね……」
そのおかげと言って良いものなのかは分からないけど、結果として真桜は文武両道の極みみたいな存在になったわけか。
「でも、おばあさんやご両親のこと、悪く思ってはいないようだよね」
「今は感謝しているわ。当時は死にそうになってたけど――大げさじゃないのよ?――結果を出せたから。私の才能を引き出してくれたのは間違いなくお祖母様と両親の指導の賜物よ」
混じりっけのない明るい笑顔でそう言ってくれた真桜。
聞きたかった両親の事が聞けたのは何となく嬉しかった。
過去の事にとらわれず、むしろ感謝までしている真桜の健康な精神が彼女の強さの秘訣でもあるのかな。
食後に俺が持ってきたコーヒーゼリーを出してくれた。
「相変わらず手作りなのね。本当マメよね……あまり他の男の子の事知らないけど、みんなこうなの?」
「うん~どうだろ? 普通じゃないかな? それよりこのコーヒーゼリー、そのまま食べても美味しいけど、やっぱクリームかけるとアガるよね……」
そう言って、持ってきたクリームをたっぷりかける。
「ふふ、蒼真も悪いわよね……なんて罪深いのかしら……」
「ふふふ……」
なんだこのやり取りは。
お腹いっぱいになって食休み。真桜は手早く片付けを済ませ、俺の隣に座った。
「生徒会長選挙も週明けから本番って感じだね。今のところ、手応えはどうかな?」
真桜は神妙な面持ちになり、俺に向き合う。
「旗色はあまり良いとは言えないわね……。やっぱり1年生だからっていうのと、……こればかりは仕方ない話なんだけど、やはり理事長の孫って言うのがマイナス要素になってるわね……」
「教員側って見られちゃうのかな? 分からなくはないけど……」
「それと、九条遥自身にかなり人気あるのよね。良いところのお嬢様だし、噂の出元は知らないけど、生徒会長になった暁には各部への多額の寄付も用意があるとか……」
「うわ……そりゃ不利だな……」
正直詰んでないか? って思うぐらいの不利さだ。真桜の表情も頷ける。
そこまで言ってから真桜はくすっと笑い、俺にピタッとくっついてきた。
「あ~あ、落選したら落ち込むわね……そしたら慰めてくれる?」
「そりゃまあ、もちろん。全力で慰めるよ……」
俺を見上げるように覗き込む。端正な顔がかなり近い。いつの間にかしっかり歯を磨いてきたようで、吐息がミントの良い香りだ……。
「――ねえ、あれから羽依と……した?」
「えー……今それ聞くかあ……? また腹パンされたら部屋汚すよ?」
「そんな事しないわよ。でも、そっか。またしたんだ」
なんだろう……責めるようでも怒っているようでもなく、事実確認をした様子の真桜。その表情に真意を見出すことは難しい。
「真桜は羽依にヤキモチ妬いたりする?」
「……難しいわね。私が妬かれる方が筋な気がするけど」
真桜も首を傾げて悩んでる様子。
「私の気持ちを無理やり言語化するとしたら、蒼真のことは好きなの。でも、羽依を好きな蒼真は更に好き。これって一体何ていう気持ちなのかしらね……」
「うーん……カプ推し……?」
「そんな蒼真に触れたり触れられたりしたいの。これは?」
「ん~……寝取り属性……?」
「言葉で端的に表すと、ホント俗っぽいわね……」
真桜は何とも苦々しい表情を浮かべる。
そんな彼女が可愛らしくも可笑しくなってしまう。
「羽依と俺の気持ちがそこに入ってないからだよ。3人集まればそれは俺たちなりの“新しい関係”って言葉になるんじゃないかな」
俺の言葉に一瞬きょとんとしたが、すぐに納得したように頷いて満面の笑みを見せる真桜。その顔を見れる事に幸せを感じるほどだった。
「ふふ、そうね。ちょっとすっきりしたわ。ありがとう蒼真」
そう言って俺の首に手を回しキスをする真桜。
「でも……。今の私はこれで十分満足なの。蒼真と、その……したくなったら……襲うから……ね」
真っ赤な顔になって目をそらす真桜がとても可愛らしい。
「ええ……何その犯行予告。――俺から襲う事は想定外?」
「想定外ね。そんな甲斐性、期待してないわよ」
端っから諦めてるような小馬鹿にした態度だ。
ちょっと挑発的じゃないか?
本気でそう思っているのか、それとも誘っているのか。
まあ確かに、俺にそんな甲斐性はないな。
でも、そっと体を預けてくる真桜に触れたい気持ちが強く存在するのも確かだ。
真桜の後ろに回り込み、うなじに唇を落とす。髪と肌からとても良い香りがする。
真桜は自分の匂いにやけに敏感だけど、俺はすごく好きなんだよな。
ちょっと舌先で舐めると、真桜はびくっとしながらも我慢する。
真桜のシャツの下に手を滑らせてお腹の辺りをさすると、腹筋の強さを感じる。
もう片方の手でシャツの上からそっと胸に手をあてがう。
その時、真桜が振り向き抗議をするような表情をしてきたが、俺はかまわず口付けを交わした。
真桜は俺の唇を少しだけ強く噛んだ。
「いたっ……」
「そこまでよ、蒼真。――ちょっと煽りすぎたわね……ごめんなさい」
「ううん、こっちこそごめん……嫌だったかな」
「そうじゃないけど……私はもっと、ゆっくり進みたいの。我儘でごめんね」
ちょっとしたプライドの高さを感じるのはとても真桜らしい。
俺はおかしくなって笑ってしまったけど、真桜のことがますます好きになったのを感じた。
真桜も妙に嬉しそうに俺の胸に顔を埋めていた。
その後の稽古は何故か苛烈を極めた。
さっきまであんなに甘々だったというのに……。
あまりの厳しさに、殺意があるのではと感じてしまうほどだった。
俺を投げて締めて愉悦に至る表情は、彼女の歪んだ性癖の表れなのだろうか……。
彼女にはもう少し忖度や加減というものを覚えてほしいと切に願う。
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