第134話 いつもの週末
金曜日の夜、少し遅れながらもバイトに入る。
お店はすでに満席状態だった。
「すみません、遅くなりました!」
「蒼真、お疲れ様! 3番オーダーよろ!」
羽依がさっと指示を出したので、注文を伺いに行きながら状況を把握する。
厨房に注文を通すと、美咲さんからも指示が飛ぶ。
「蒼真、待ってたよ! じゃあ早速だけどこれ、5番テーブルよろしく!」
美咲さんに頼まれた品をお客さんに運びながら、空腹をひしひしと感じる。まかないを食べ損ねたせいで、どの料理もやたらと美味しそうに見える。腹減ったな……。
「蒼真、カツサンド作ってあるから合間に食べな」
「うわっ、嬉しすぎる! ありがとう美咲さん!」
返事代わりに美咲さんからニコッと笑顔を頂いた。それだけでモチベがぐっとアップする俺はきっと単純なんだろうな。
慌ただしい中で隙間を見つけて食べるカツサンドは至福の味だった。美咲さんの愛情を感じるなあ。
慌ただしい時間はあっという間に過ぎた。
20時半になり、俺と羽依は仕事を上がる。
「お先失礼します~」
リビングに入ると、ぐったりした俺に羽依は甘えるようにくっついてきた。羽依からほのかに漂う汗と制汗剤の香りが鼻腔に染み込む。羽依はなんでいつもこんなに良い香りなんだろうか。
でも、今の俺はきっと汗臭いよな……。
そんなそぶりを見せることなく羽依は猫のようにゴロゴロとすり寄ってくる。
今日はいつもより甘えたいようだった。
「蒼真は明日、真桜と稽古だよね。――その、真桜とも……する?」
いきなり踏み込んだこと言ってきたのでびっくりした。するって……アレの事だよな……。
「しないよっ! ――その、この前の事も……すごく嬉しかったし、止まらなくなっちゃったけど……やっぱりまだ早かったかな……とは思ってる」
俺の言葉に羽依は意外そうに目を丸くして驚いている。
「……蒼真ってやっぱり真面目だよね~。男の人なんて一度しちゃったら猿になるって話だったのに」
「……それどこ情報なのさ」
「一般論だよ。主にスマホのTL漫画」
「その情報ソースは信憑性に欠けると思う……」
そう言い切って良いものなのかどうなのか。そりゃいつでもしたいに決まってる。でも、そればかりになるのは嫌だった。
こんな俺にはもったいない彼女がいる。それなのにふと感じてしまう――恋愛って、怖いなって。
両親のことを思い出す。あの二人も、きっと感情のままに動きすぎて、壊れてしまったのかもしれない。
本能に忠実すぎると、人は不幸になる。そんな気がして、少しだけ身がすくんだ。
「蒼真はまた難しいこと考えてるね。すぐ分かるんだよ。ちょっと眉がきゅってなるの」
「うっそ! そんなに分かりやすいの俺!?」
羽依はくすくすと笑いながら俺の膝の上に寝転がる。
「蒼真の事はなんでもお見通し! だから真桜の事好きなのも分かっちゃうの」
その言葉にビクッとする。そんな俺の反応にますます可笑しそうに笑う羽依。完全に手玉に取られてる……。
「……羽依の事が好きなのは伝わってる?」
「ん~どうだろう? もうちょっと態度で表してもいいよね」
そう言って両手を伸ばす羽依。そんな可愛らしい事言われたら、そりゃ抱きしめるしかないよな。
そっと抱き寄せて口付けを交わす。
彼女の首筋にもそっとキスをすると、羽依の艷やかな吐息が漏れた。
それからしばらく、二人の甘いひとときが続いた。
やっぱりムラムラするよな……。理性と本能のコントロールは本当に難しい。
――これ以上は更に踏み込んでしまいそうなので、そっと離れると、羽依は物足りなさそうな表情を浮かべた。
そんな彼女の頭をそっと撫でると、目を細めて満足げな顔になった。
とにかくかまわれたいのが乙女心ってやつなのだろうか。
「明日は御影先輩とお出かけなんだよね。――何だか急に仲良くなったよね。いつの間にか名前呼びにもなってたし」
「そうだね~。志保さんってさ、他の人みたいな“嫌な感じ”がしないの」
「嫌な感じ?」
「そう、いやらしかったり嫉妬だったりとかね。私、そういうのを敏感に感じちゃうからさ」
……察しの良さがきっと仇になってしまうんだろうな。
羽依は良くも悪くも注目を集める。容姿、学力、運動能力、どれを取ってもレベルが高すぎるからだ。
妬みとか羨望の眼差しでも、人付き合いの苦手な羽依には苦痛でしかないようだ。
「真桜もそうなんだけど、志保さんは純粋に私のことを可愛いって言ってくれるのが分かるんだ~」
「ああ、何となく分かる。先輩って、いつでも真っ直ぐな感じだし。嘘つけなそうだよね」
俺がそう言うと、羽依は可笑しそうにけらけらと笑う。
「だよね~、ホントあんな感じで演技とかできるのかなって思っちゃう」
「そこら辺はプロだから、うまいことやるんだろうね。――さて、そろそろ片付け行こうか」
他愛のない話をしていたら、あっという間に22時だ。
お店に入ると、美咲さんが俺を手招きする。
「風呂出たらリビングで晩酌やるからさ、一緒にどうだい?」
「はい、じゃあお付き合いします」
それを聞いていた羽依はぶすっとした表情になる。
「しょうがないなあ、じゃあ今夜はお母さんに預けよう」
「羽依も一緒にいればいいじゃない?」
「お母さんに付き合ってたら遅くなりそうだし。もう疲れてるから今日はさっさと寝たいの」
そう言いながらテキパキと片付けをすませ、羽依は先に風呂に入ると言って、上がっていった。
――今夜は長い夜になりそうかな。
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