第127話 父の愛情
重苦しい雰囲気が部屋に漂う。
落ち着こうと思ってコーヒーを飲もうとするが、空なことに気づく。
――コーヒーを淹れ直そう。
そう思って立ち上がったところ、足がしびれていた。
ずるっと滑って転んでしまう。
「ちょっ、蒼真くん! 大丈夫!?」
「は、はい、大丈夫です。今、コーヒー淹れますね」
ポットを持つ手が震えるのを止められない。
なんだろう、景色がいつもと違うような……。
世界が色褪せて見える……。
――俺と父親の血が繋がっていない。
一体どういう意味だ?
母親は父と結婚していたにもかかわらず、他の男と……。
「うぷっ!」
慌ててトイレに駆け込む。
――今更両親のことで、ここまで動揺するとは思わなかった。
トイレから出て、口を濯ぎ手を洗う。
浅見さんはずっと心配そうに俺を見ていた。
時計は11時を過ぎていた。約束の1時間を過ぎるところだった。
「ごめんね、蒼真くん……やっぱり私、無神経だったかもしれないね」
うっすら涙を浮かべてる浅見さん。
うまく働かない思考の中、優しい人だなって思えるぐらいには回復してきた。
「大丈夫です。ちょっと話の内容が思ったのとまったく違ったので焦りました。――けど、もう大丈夫です」
「全然大丈夫に見えないよ……」
そう言って俺のことを抱きしめてくる浅見さん。
初対面なのにそこまでしてくれるなんて、優しい人だな。
「ホントにもう大丈夫です。その、苦しいです」
胸が潰れるほどの包容力で、むしろ苦しくなった。慌てて離れる浅見さん。
「ごめん! ちょっと勢いあまった!」
とても優秀で、優しくもあり、熱い人でもあるんだな。
良い人なんだと思う。
「……今までの話で、あまり良い状況じゃないことはわかりました。1時間って言ってたけど……まだ、時間は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。今日休みだから後はオフなの」
「お休みなのにすみません……」
浅見さんには申し訳なかったけど、もう少し話をしたいので、一旦羽依にLINEで遅くなることを送っておいた。すぐにOKのスタンプが返ってきた。
きっと心配してるだろうな……。
「彼女に連絡? 美咲の娘さんなんだよね。すっごく可愛いくてアイドルみたいな容姿の子。若い頃の美咲と似てるけど、ぜんぜんタイプは違うな」
……ホント何でも知ってるな。一体どれだけ調べ上げたんだか。でも、美咲さんの名前が出ると少し安心する。
「美咲さんとはどういう関係だったんですか?」
「えーっと、言っちゃって良いのかな。きっと蒼真くんも知ってるよね。美咲が荒れてたのは」
「はい、美咲さんから聞いてます。やんちゃだったって。昔は金髪だったんですよね」
「そうそう! それが今じゃ普通のお母さんぽくなっててびっくりしちゃった。 高校の同級生でね、私は真面目で彼女は不良。彼女が暴れては私が注意する。そんな関係ね」
「はあ……すっごく分かりました。めっちゃ絵が浮かびます」
屈託なく笑う浅見さん。
よく考えたらうちの父親を知っていて、美咲さんとも知り合いか。世間ってほんと狭いな。
表情のコロコロ変わる浅見さん。話し上手で、気がつけば随分と気持ちが落ち着いてきたのを感じる。
「さて、話の続きをいいかな。ここまでは君に随分と辛い話ばかりだったね。次は今後の話だね」
「はい。父さんがなんで今まで俺を育ててくれたのか、ちょっと意味がわからないですけど、これ以上は支援を求めるのも気が引けますね……」
浅見さんは、ふっと寂しげに笑った。
その表情には、哀しさだけでなく、どこか母性のような温かさがにじんでいた。
「気持ちはわかるけど……君はすぐ諦めちゃうんだね。あまり良くないよ、そういう考え方は。子どもなんだし養育権は父親にあるの。血縁関係よりもそっちのが重要よ」
その言葉に、少しだけ胸が締めつけられた。
「でも、だったらどうして鑑定書を見せたんですか?」
「まずは、君が正しい情報を知り、現在どのような選択をするのが最良かを決めて欲しかった。複雑な事情を抱える母親を取るか、血縁が無くとも今まで援助をしてくれたお父様を取るか。そして……今の生活を続けるには、経済的に限界が近いことも、きちんと説明したかったの。今までの支援だって、単なる義務じゃない。血が繋がっていなくても、お父様は君を息子として見て、支え続けてきたのよ」
「……意味がわかんないです。そもそも、俺だったらあんな母親すぐに離婚してしまいますよ」
「……うん、そう思うのは当然よ。でもね、きっとお父様は、すぐにはそうできなかった。悔しさや未練、それでも信じたかった気持ち――色んな感情が絡んでたのかもしれないわ……。人を好きになっている君なら分かると思う。人間そんな簡単に割り切れるものじゃないの。結果として、離婚したのだろうけど、楽しかった時間もあったはずだわ」
父親と俺の仲は正直そこまで悪くはなかったと思う。
元々は俺の我儘で都内に出たわけだし。
まあその前から両親は家に戻らず他所で家庭をもってたわけだけど……。
わかんないよ……父さん。
「話を戻すわね。親権は君の意思を尊重して今のままにしておきましょう。その方が絶対いいと思う。貴方のお父様が親権を渡さなかった理由にも繋がるわけだし。ちなみにDNA鑑定の結果はお父様しか知らないの」
「母さんはこの事知らないんですか……」
なんとも言えない苦い顔を浮かべる浅見さん。
「鑑定結果自体は知らないわね。ただ、男女の事だからね。もしかしたら思い当たる節があるのかも知れない。こればかりは貴方のお母様でなければわからないわ」
「じゃあ、父さん、いや、拓真さんは血が繋がってない事を知りつつ、今まで育ててくれた人で、更に母さんの同棲相手とのトラブルを避けるために親権を受けてくれた。この認識であってますか」
「間違いないわ。でも、今でも貴方のお父様なの。名前呼びではなくて父さんで良いはずよ。――割り切れない思いもあるだろうけど、少なくとも貴方のお父様は自分の息子と思っているわ」
「……良い人なんですね。母さんを見限って家を出ていった、家庭を顧みない父親ってイメージでしたよ」
「拓真さんが正に自分のことをそう言って責めていたわ。でも、あの家で仮面夫婦を演じるのに疲れたと。蒼真くんを連れて行くべきかと葛藤もあったけど、一人で生き抜く力を見てしまって甘えてしまった。そうおっしゃっていたわ」
……みんなにお帰りと言うために覚えた料理も、逆に俺が孤立する理由になってしまったのか。なんともやるせない――。
「今までの話で蒼真くんの今後が不安定になる部分が分かったと思うの。現実的に支援が難しくなった今、いくつかの現実的な選択を、君自身に委ねることになると思うの」
「そうなんですか……。その選択肢っていうのは……」
「まず第一に優秀な成績を収めてる君なら大丈夫だと思うけど、学校から支援を受ける方法。ただ、一人暮らしをするには都内は難しいわね……。何かしらの手段が必要だとも思うわ。それにアルバイトをしながらだと、学業が疎かになって、成績が落ちる。そうすると支援が受けられなくなる負のスパイラルが発生する恐れがあるわね」
「そう……ですね。では他の案は……」
「第二の方法として、これは九条家からの提案なんだけど、蒼真くんとって、もしかしたら人生の転機になるかもしれない話なの。貴方、九条家へ奉公に行ってみない?」
「はあ……。――え?」
奉公って、なに?……江戸時代?
人生の転機って、一体……。
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