第126話 優しい弁護士
10月半ばの日曜日。
今日、10時から弁護士の浅見さんが来る予定だ。
朝のルーティンを終え、部屋を綺麗に片付ける。
普段から掃除は手を抜かないけど、相手は弁護士さんだからな。
なるべく隙を見せたくないってのもある。
ちょっとやりすぎぐらいにピカピカになった我が家。
朝5時から頑張った甲斐があったってもんだ。
時刻がちょうど10時になったところでチャイムが鳴る。
すごい、ジャストタイムだ。さすが弁護士。
ドアを開けると、浅見さんらしき方が立っていた。黒髪ショートボブのとても綺麗な人だ。
茶系の秋っぽいタイトスカートのスーツ姿はほんのり大人の色気があって素敵だと思った。
弁護士の女性ということで、勝手におばさんをイメージしていたが、なんとも若そうに見える。20代後半ぐらいかな? っていうか、この人最近見た気がする。
「はじめまして、蒼真くんですね。私、工藤綜合法律事務所の浅見理央と申します」
そう言って名刺を渡してくる浅見さん。
「はじめまして、藤崎蒼真です。って、浅見さん、このまえキッチン雪代に来てましたよね?」
浅見さんは嬉しそうに破顔する。
「あはっ! 覚えてくれたんだ、嬉しいな。やっぱり君は評判の通り優秀みたいだね。早速だけど、お話良いかな」
「あ、すみません。ではどうぞ、お入りください」
浅見さんが部屋に入る。すれ違うときにふわっと香る大人の香水。なんとも素敵な人だなって印象だ。ちょっと違う意味で緊張してきた。
コーヒーを淹れてお出しする。
「ありがとう、喉乾いちゃってたからいだだきます。――うん、良い香り! これもあのお店のコーヒーなのかしら」
「はい、少し譲ってもらいました」
「そっかあ。君の言う通り、あのポークソテーとっても美味しかった!」
「あはは、そうでしょう。 オーナー美咲さんの一推しですからね」
「うんうん、実はあの店のオーナーとは知り合いなの。美味しい料理が作れるようになったのね。なんか嬉しかったな~」
美咲さんはあまり仲良くなかったって話言ってたけど、その辺りは言わないほうが良いだろうし、話が脱線しそうなので聞くのは止めておいた。
ここまでは朗らかな印象の浅見さんだったけど、少し真剣な表情になる。俺も思わず身構えてしまった。
「まずは私の立場からお話するね。工藤綜合法律事務所は九条グループの顧問弁護を行っているの。その中で私は関連会社の担当をしていてね、君のお父さん、藤崎拓真さんと仕事をさせてもらっているの。私が今回こうして君のところに来たのは多忙なお父様に代わってというのが一つ。九条家の代理人としての面がもう一つの理由ね」
真桜の事前情報通り、九条先輩の親の会社絡みの内容のようだ。幾分気が楽になるのを感じた。
「そうなんですか。いつも父がお世話になっています」
浅見さんは、どこか全てを包み込むような、優しさと哀しみの混じった微笑みを浮かべた。
「君のことはお父さんから聞いているの。ご両親と離れて暮らして、精一杯頑張っているって話を聞いているわ。学業の方もなかなかの好成績を収めているし、学校内のトラブルとかも色々解決したりとか。女生徒を襲った上級生を止めたり、ナイフを持った暴漢を制圧したり」
なんか色々調べ上げてるようでちょっと怖くなってきた。プライバシー保護はどこに行った?
「ちょっと色々脚色多そうでびっくりしてます。っていうかそんな情報どこから……」
「ふふ、それは言えないわ。でも、貴方が思うよりも情報って色んなところから入手できるの。表沙汰にはなってないようだけど、中学の時の障害未遂なんかも知っているわ」
飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになった。なにそれ怖すぎる……
「ごめんね、そんなに怖がらせるつもりはないの。ただ、色々と知ってるとお互い余計な話もせずに合理的に進められるでしょ? あとは整合性を擦り合わせるだけ」
よく分かったのは、この人はかなり優秀な方ということだ。格好いいけど怖すぎる。
「じゃあ本題に入るね。君のお父さんの会社。藤崎コーポレーションは近々業務停止することになるわ。元々この円安で経営の維持が困難になってきたところで、九条グループに優秀な社員が引き抜かれていったの。お父さんの今の立場は、残ってる業務の後処理と、今後の働き口をどうするかの検討ね。九条グループとしては受け入れの用意をしてるわ。それか銀行に融資を受けて再び起業するか。ただ、少なくない借金があるからこれからの生活は相当厳しくなると思うの」
畳み掛けるような浅見さんの言葉の一つ一つが重く突き刺さる。
内容そのものは想像していた通りだけど、弁護士に言われてるという重みが正直つらかった。
父さんの会社が倒産。洒落としても最悪だな……。
「父の経済状況は分かりました。では今後の支援が厳しくなるという事なのでしょうか」
浅見さんは口元をぐっと結ぶ。飲み込んだ言葉が喉元に詰まっているような緊張感が伝わってきた。
「そう……だから本当言えばお母様の方に親権を移したほうが良いのかと思ったの。でも、貴方のお母様は今……あまりいい状況とは言えないのが分かったの」
元々奔放な部分の多かった母親だ。トラブルに見舞われるのも自業自得な部分もある。
「良い状況ではないというのは、一体どういう状況なんでしょうか……」
浅見さんは端正なその顔をきゅっとしかめる。重苦しい雰囲気が伝わってきた。
「――貴方のお母様、いわゆる反社と言われる方と暮らしてるようで、とてもじゃないけど貴方の親権を移すのは得策ではないと思うの。もちろん、貴方の意思が第一よ。でも……」
母さん、なにやってんだよ……。
「母親の方に親権をって話は無しでお願いしたいです……」
お互い不幸になるのが目に見えてる。そんな選択肢はありえないと思った。
浅見さんもそれで納得するかと思ったけど、さらに重苦しい表情を浮かべる。
「私もそのほうが良いと思うの……ただ、その前に君が知っておくべきことがあるの。これを君に見せるのはとても酷だと思う。でも、貴方のお父様の事も少しは分かると思うの」
封筒の中には、経年で少し黄ばみかけたA4の紙が数枚、丁寧に折られて入っていた。
最初のページには、病院名と発行年月日、そして「DNA父子鑑定報告書」という文字。
その下に並ぶ氏名欄には、父親と、俺のフルネームが記載されている。
一枚めくると、確率を示す表が目に入った。
――――――
鑑定対象者A(藤崎拓真)と鑑定対象者B(藤崎蒼真)の間における
親子関係の可能性:0.00%
上記の結果は、99.999%の信頼度をもって、親子関係が存在しないことを示す。
――――――
視界が滲む。
文章の意味は一瞬で理解できたはずなのに、何度も読み返してしまう。
――俺は……父さんの子じゃなかった……?
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