第117話 勉強会
10月初週、土曜日の昼。今日は俺の部屋で勉強会を行う予定だ。
羽依は午前中、美咲さんと仕入れの手伝いに。そのついでに食事会の買い出しもしてくれるそうだ。
ちなみに、女子二人の希望により、焼き肉をすることになった。
昨晩で色々と満たされたらしい彼女たちの次なる欲求は――肉。なんて本能に忠実なんだろう。
本音を言えば、部屋が焼き肉臭くなるのはちょっと嫌だった。
でも、文句ひとつ言わなかった俺は……たぶん、心が広い。いや、偉い。
まあ……昨晩、布団をめくったお詫びを兼ねてはいるんだけど……。
未だに脳裏に焼き付いて離れない二人の艶っぽい素肌――。
……やはり俺の勇者転生説が濃厚になってきた。前世で徳を積んだのは、すべて昨日のためだったんだな。何をしたか分からないがありがとう、前世の俺。
俺と真桜はアパートに向かい、一足先に勉強を行うことにした。
制服姿の真桜には、焼き肉の匂いがつくからと、予め俺のジャージを貸しておいた。真桜が着ると俺よりカッコよく見えるのは何故だろう。
やたらとジャージの匂いを嗅ぐ真桜。
ちゃんと洗濯してあるはずだけど匂ったかな……。
「真桜、そんなに匂うかな……。嫌だったら別の服出すよ」
「嫌じゃないわよ。蒼真の匂いだなって思っただけ」
特に何の感慨もなさそうに言う真桜。
恥ずかしいけど、それ以上追求してもやぶ蛇になりそうなのでやめておいた。
昨日の晩、さらに今朝のこともあり、さすがに二人きりになると気まずい感じになるかと思いきや、わりとそうでもない。
むしろ機嫌が良さそうにも見える。
真桜の鍛えられた胆力は並大抵ではないんだろうな。
俺の方も、真桜の自然体な態度に心を落ち着かせることができた。
眼の前で真剣な表情でテキストをめくり、ノートに一生懸命記述する真桜。その凛とした姿勢と淀みないペンの動きに、憧れのような気持ちが生まれるのを感じる。
「こうして真桜と二人で勉強するのも珍しい気がするね」
俺の言葉に真桜が頬を緩め、くすっと笑う。
「そうね。毎週二人でいるのに、やってることは武術の稽古だけだから。勉強に精を出すのもたまには良いものね。蒼真の苦手なところもこうしてみると……ほらここ、ケアレスミス」
俺の数式のミスを指摘する真桜。そんな、ぱっと見で分かるものなのかと疑問に思い見てみると、――うぅ……。間違っているし……。
やはり俺と彼女との差は歴然としている。学力はまだまだ隔たりが大きいようだ。
ちょうどその時ドアホンが鳴った。どうやら隼が来たようだ。
ドアを開けるとガタイの良いイケメンがにこやかに立っていた。
白いトップスに茶系のジャケット、長い足にワイドデニムがよく似合ってる。
むう、私服姿がカッコよすぎるぞ。やっぱり勇者転生はこいつのほうで、俺はモブだよな……。
「うーっす、蒼真。ほらこれ、姉さんから差し入れだ。冷蔵庫入れといてくれ」
そう言って俺にスーパーの袋を手渡す隼。ずしっと重い。
「おお~ サンキュ! 中身はなんだ? 燕さんからだと思うと普通じゃなさそうだな」
「ああ、姉さんだからな。中身は魚介だ」
袋を開けるとアワビ、ハマグリ、毛ガニ、マグロの柵が入っていた。
「うぉ……燕さんらしいな。いくらしたんだか怖くて聞けないな……。とにかく冷蔵庫に入れとこう」
「こんにちは隼、燕さんからの差し入れって……これ、毛ガニ!」
真桜から笑みがこぼれた。こんなに良い笑顔はここ最近見たことなかった気がする。
隼もぽかーんと見惚れていた。
「お、おう、真桜がカニでそんないい顔するなんて、ちょっと驚いた……。あまりその緩んだ顔、他所で見せないほうが良いな。羽依ちゃんみたいに男が群がるぞ」
そう言ってニヤッと笑う隼。真桜は顔を真っ赤にしてそそくさと部屋に戻っていった。
差し入れのリアクションに隼はとても満足したようだった。
部屋に入ってくると、その巨体のせいで一気に狭く感じる。
タイミング良く、ドアの鍵を回す音が聞こえた。羽依だ。
「蒼真~帰ったよ~。ってみんな集合してるんだね。これ、お肉! 安くしてもらったんだ~!」
「おかえり羽依。ちょうど今、隼が来たとこだよ。燕さんから差し入れももらってるよ」
「え、どれどれ~。って、うわーハマグリだ! 私大好き! ありがとう隼くん! 」
「はいよー、礼は姉さんによろしくな。 ――それにしても羽依ちゃん、合鍵持ってるんだな。なんか同棲カップルみたいだな」
「んふ、じゃあ同棲しちゃおっか、蒼真!」
そう言って見せつけるかのように俺の腕にしがみつく羽依。隼は半ば呆れ顔だ。
学校の時とは違い、イチャつきを見せることに躊躇が無いようだった。さすがに照れるぞ……。
それにしても羽依がハマグリを好物だとは、全く知らなかったな。
というか、もしかしたら燕さんはすでに好みをリサーチしていた?
彼女なら大いにありえるな……。
二人は早速燕さんにLINEでお礼を送っていた。俺も送っておかないとな。
それから4人で勉強を始めた。学年トップクラスが3人いるんだ。得られるものは得ておきたいところだ。
4人でそれぞれ問題集を開き、ペンの走る音だけが部屋に響く。
テレビも消して、スマホは机から遠ざけた。余計な誘惑はすべて排除。こういう空気の中で勉強すると、自然と集中できる気がする。
「……あー、ここ、誰か分かる?」
不意に隼が手を止め、プリントを掲げる。物理の応用問題。グラフの読み取りが絡むやつだ。
「ここの単位系でつまずいてるね。時間と距離、もう一回整理しよっか」
羽依が迷いなく指摘する。説明もコンパクトで分かりやすい。こういうとこ、やっぱすごい。
「つまり、ここが秒速5メートルだから……」
「なるほど、やっぱすげえな……羽依ちゃんサンキュ!」
また静けさが戻る。今度は真桜が、俺のノートをちらっと覗く。
「蒼真、そこの式、数値代入の順番が逆よ。分母と分子、入れ替わってる」
「えっ、あ……ホントだ。ありがとう」
「どういたしまして。ちゃんと見てるわよ、ふふ」
なんというか、誰も指示しないのに、それぞれが自然に役割を持ってる。
集中と質問と指摘、そのバランスがやけに心地良い。
こうして4人で机を囲んでいると、不思議と時間の流れが速く感じる。
今は俺も、一応は成績上位に入っている。
でもそれは、羽依という最強の先生がいてくれるからだ。
加えて、朝の勉強では真桜にも助けてもらっている。
俺も、少しは役に立てたらいいんだけどな。
以前よりは勉強ができるようになってきた。
それでも、この3人の域に達するには、まだまだ時間がかかりそうだった。
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