第110話 準備は大事
文化祭が終わった翌日、日曜日。
昨日は夜遅くまで、打ち上げのカラオケで大いに盛り上がった。
俺は羽依を守った“クラスのヒーロー”として扱われて、みんなからチヤホヤされていた。正直、こんなにモテたのは初めてで、俺はずっと戸惑いっぱなしだった。
羽依は――どう思っただろう。きっと、あまり面白くはなかったに違いない。
だったら今日はその分、たっぷり甘やかしてあげよう。
昨日、寝る前に疲れた体に鞭打って、羽依の大好きなプリンも作っておいた。
玄関の鍵が開く音がして、扉が開く。
羽依がパタパタと駆け寄り、勢いよく俺に飛びついてきた。
いつもの羽依――
「蒼真~会いたかったよ~」
いや、今日はちょっと湿度が高めだ。甘え方が水飴みたいにねっとりしてる。
今日は、淡いピンクベージュのリブニットに、くすみ系チェックのミニ丈フレアスカート。
秋らしくて、でもどこか女の子っぽく甘い――今日の羽依は、おうちデートを完璧に意識していた。とにかく、可愛い。
「昨日も会ってるのに。どうしたのさ?」
「蒼真、昨日カラオケでモテモテだったじゃない……。あんまり一緒にいられた気がしなかったよ」
「ああ……ごめん。あんなに注目浴びるなんて初めてで、どうして良いか分からなかったんだ」
俺の言葉に、羽依は微笑んでみせる。でも、どこか無理してるように見えた。
「昨日はね、『ああ、やっぱりこうなったか』って思ったの。どんどん格好よくなってるし、優しいし、強くなったし。今にもっともっとモテるようになっちゃうんだろうなぁって……」
もし俺が少しでも“モテる”ようになったんだとしたら、それは間違いなく、羽依と付き合って、変われたからだ。
「他人なんて気にすることないよ。俺が羽依一途なのは、知ってるでしょ?」
「うん……そうなんだけど、モテる恋人って……けっこう辛いんだなって思っちゃった」
その言葉に、思わず吹き出してしまった。
「いや、それ、俺がずっと羽依に対して思ってたことなんだけど!」
羽依が、きょとんとした顔で俺を覗き込む。その仕草が、たまらなく可愛かった。
俺は頬にキスを落とす。すると羽依も俺の首に腕を絡めてきて、顔を寄せてくる。
軽く、触れるようなキスを何度も交わす。
以前、真桜の家に泊まった夜のことがふと思い出された。気を失ったあたりの記憶が飛んでいるが――羽依に触れられて、果てて、片付けまでしてもらったんだっけ。
男としてそれってどうなんだ?
余りの情けなさ、恥ずかしさに、のたうち回りたくなるけど後の祭りだ。
あれから、こうして二人きりで過ごす時間もなかったし、文化祭の準備やバイトでずっと忙しかった。
たぶん、俺も羽依とのスキンシップに飢えてたんだと思う。
触れたい。もっと抱きしめたい。脱がせたい――。
心の中に、そんな気持ちがじわじわと広がっていく。
……と、そんな俺の様子に気づいたのか、羽依がそっと身体を離した。
「蒼真、その、あのね。もしかしたら……そういう気持ちになってるかもだけど、今日はダメなの」
おお、なんてことだ。でもこればかりは仕方ない。女の子の都合は絶対だ。
「そっか、仕方ないよ。言ってくれてありがとうね」
俺は羽依の頭を優しく撫でた。
羽依は、くすぐったそうに目を細める。
「蒼真って、そういうとこ優しいよね。……でも、耐えられるの? ほら、前もしたからさ、よかったら……する?」
「ああ、大丈夫! うん、全然大丈夫!」
羽依の気遣いは嬉しいけど、正直言えば恥ずかしすぎる。
まだまだそういう行為には抵抗を感じてしまうな……。
「じゃあさ、今日はお昼をちょっと豪華にしない? 二人で文化祭の打ち上げってことで。スーパーに行って、ステーキ肉とか買おうよ」
「うんっ! お肉食べたい! それも牛の肉を体が求めてるの! 蒼真、なかなか分かってるね~!」
喜んでもらえて何より。実はスーパーの特売で、アメリカ産のサーロインが980円だったんだ。このチャンスを逃す手はない。
二人で並んで歩いて、近所のスーパーまで買い出しに来た。
文化祭も終わり、季節はもうすっかり秋。並んで歩くだけで、なんとなく穏やかな気持ちになる。
「うわっ、これ見て蒼真! サーロインステーキ300グラム、980円だって! 安っ!」
「そうそう、これこれ! 今日は奮発しよう。これ二枚と……あと常備菜もいくつか買っとこうか」
羽依は大喜びでうなずいた。彼女の表情が明るいと、こっちまで嬉しくなる。
「じゃあさ、蒼真。この後ドラッグストアにも寄ってもいい?」
「もちろん。ついでに色々買っておくかあ」
歩いてすぐの場所にあるドラッグストアへ立ち寄る。
羽依は、生理用品を迷いなくカゴに入れていく。
――なんか一気に同棲感が出る気がするなあ。
ふと目に止まったのは0.02ミリのやつ。
以前美咲さんから貰ったものは引き出しに仕舞ってあるけど、買っておいたほうが良いのかな……。
美咲さんは常々避妊に対して気をつけるように、俺たちに言っている。
それって言うのは自分の経験からなんだろうな。
文化祭でぽつりと言っていた高校へ憧れのような言葉を思い出す。
――美咲さんの教訓は守らないとな。
俺は、そっとそれを手に取り、カゴの中に入れた。
その瞬間、隣にいた羽依がぴたりと動きを止める。
そして、顔を真っ赤にしながら、でも笑ってくれた。
「……そういうの、大事だよね。えらいね、蒼真」
その声は少し震えていて、それでも羽依は、はにかんだように笑った。
なんだろう。恥ずかしいけど、すごく――幸せだった。
いつか使う日がくるだろうからな。
準備は大切だ。
面白いとおもっていただけたら、ブックマークをしてもらえると励みになります!