第105話 副委員長の憂鬱 真桜視点
待ちに待った文化祭の当日。
事前準備は、とにかく“大変”の一言に尽きた。
雑務の山、タイムスケジュールの調整、安全面の管理……とにかく気を抜けない日々だった。
羽依の一件もあり、当初は文化祭自体の開催が危ぶまれる事態にまで発展した。
そんな中、私は半ば強引に折衝案を通し、教職員たちを説得した――というより、押し切った。
(――間違いなく、心象は最悪だったでしょうね。でも、やむを得ない判断だったと思ってる。)
もっと穏やかな方法や、説得の工夫があったかもしれないと思うたび、我ながら未熟さを痛感する。
「こんにちは~! 美樹ちゃんいるかな~?」
文化祭実行委員会の本部室で、そんなことを考えていたとき、間延びした明るい声が響いた。
振り向けば、そこには生徒会長の御影志帆さん――現役モデルでもある彼女の姿があった。
その美貌には、同性の私でも思わず息を呑む。
……そういえば蒼真も、彼女を絶賛していたっけ。それも、すぐ隣に羽依がいる前で。
あのときの羽依の引きつった顔を思い出して、思わず小さく笑ってしまう。
突然の来訪に、飯野さんがちらちらとこちらを見る。
この仕草、文化祭準備中に何度も見た――助け舟を求めるような目。
彼女は見た目以上に真面目で優秀な部分もあるけれど、奔放で誘惑に弱い面もちらつく。
幼馴染の御影さんがそばにいなければ、わりと危なっかしいタイプなのかもしれない。
「飯野さん、ここは私に任せて。巡回をお願いします」
そう言うと、ぱっと顔を明るくする飯野さん。その素直さは、なんとも可愛らしかった。
「ありがとうね、真桜ちゃん! じゃあちょっと巡回いってきます!」
笑顔で手を振り本部を後にする飯野さん。
本部は私一人になり、ほっと一息つく。いや、つこうと思った。
「こんちは~差し入れです~! あ、結城さん! 文化祭の準備お疲れ様です! これ食べてください!」
差し入れをくれたのは確か上級生。まだアツアツでしっかりと湯気が立っている焼きそばを持ってきてくれた。ソースの香りが食欲を思いっきり刺激する。途端に小腹が空いてきた。
「ああ、わざわざすみません。ありがとうございます」
笑顔でそう返すと、上級生の男子生徒は何故か顔を赤くする。
「あ、いや、ごめん! そんな顔もするんだなって。いや、失礼だよね。いつも堅そうなイメージだったからちょっと驚いただけ。冷めないうちに食べてね!」
そんな台詞を残して、彼はそそくさと去っていった。
(私ってそんなにいつも無愛想なのかしら……)
廊下まで見送ると、後から本部に向かってぞろぞろと生徒がやってきた。
「結城さんどうぞ!」「お疲れ様! 結城さん、食べてね」「文化祭開催は結城さんのおかげなんだってね! ありがとう!」
どこからか文化祭開催の危機という情報が漏れていたらしい。
みんなの感謝がとても心に響く。と、同時に妙な罪悪感も沸いてくる。
(元々は、生徒会長選挙を見越しての文化祭実行委員だったと思うと少し心苦しいわね……)
利己的な動機ではあったけど、実際こうして文化祭の運営側に携われたのはとても有意義だった。
今まで大した活動をしてこなかったけど、一気に知り合いが増えたのは大きかった。
特に飯野さんには特別に目をかけられ、生徒会長の御影さんとも仲良くなれた。
貴重な話を色々聞かせてもらえて、自分の視野が少し広がったような気がする。
蒼真がつないでくれた縁だと思うと、改めて彼には感謝しかない。
文化祭実行委員の本部は食べきれないほどの食べ物飲み物に溢れていた。全部私宛てだけど、これ全部食べたらさすがにお昼ご飯は厳しくなりそうだ。実行委員のみんなにもお裾分けしておこう。
そこに新たに一人来客が現れた。――九条遥だ。
周囲を伺い、私一人な事を確認すると表情をふっと緩める。
私は羽依の件もあったので、正直顔もみたくなかったけど……。
「こんにちは。あら、すごい量の食料ね。籠城でもするのかしら」
「こんにちは九条さん。これは私への差し入れよ。――何かご用ですか。嫌味を言いに来たわけじゃないでしょ」
私の言葉にくすくすと微笑みを浮かべる。相変わらず考えが読みにくい……。苦手な女だと思う。
「たまには可愛い後輩とゆっくり話をするのも良いんじゃないかって思っただけよ。――随分と準備が捗っているようね」
「何の話をしているのかしら? でも、そうね。おかげさまで特に労せずに見ての通り、顔は売れたようね。良かったらお一つどうぞ。飲み物もこんなにあって困っていたところよ」
差し入れを見せて余裕のある表情を浮かべようとするけど、どうしても口角が引きつってしまう。
……労せずなはずがない。私がこの数週間、どれだけ心身ともに費やしたことか。
やはりこの女を前にすると、どうしても頑なになってしまう。
きっとそれは相性の悪さだ。それに、羽依を陥れた事は今でも許せるはずがない。
「あらありがとう。じゃあ遠慮なく」
そう言ってタピオカミルクティーを手に取る九条遥。
……それは私が飲みたかったのに。
「……これ美味しいわね。ふふ、『私が飲みたかったのに』って顔してるわよ」
その言葉に一気に顔が熱くなるのを感じた。
ほんっとこの女、嫌い!
「それで! 本題はなんなのよ!」
ニヤニヤと笑いつつも、真剣な表情に戻ろうとする九条の努力が絶妙に腹立たしい。
「選挙前の陣中見舞いよ。私も駄目ね、結城さんを前にするとどうしても敵愾心がでてしまう。でも、それは貴方も同じでしょ」
「……同族嫌悪」
私の言葉に九条は、さも可笑しいように笑い出す。
とどのつまり、そういうことなのだ。考え方の方向性や仕草、さらに髪型までも中学の時は似通っていた。
生徒会では度々意見が衝突し、お互いまったく折れなかったから。
私が特に気に入らなかったのは九条の元彼。
どう考えても彼女に不釣り合いな軽薄なあの男。
私にまで粉かけようとしたのは心底気持ち悪かった。結局殴り倒してしまったのだけど……。
おかげで元から仲が悪かった彼女とは、さらに酷くなった。
もっとも男とは、その後すぐに別れたようだけど。
再び真剣な表情を浮かべる九条遥。ただ、今度は覚悟を決めたような表情だった。いつも冷淡な彼女だけど、一段と色をなくしたようだった。
「私ね、生徒会選は正直どうでもいいの。周りに押し上げられているだけだから」
「……そんな動機ならやめれば良いじゃない。私は今回本気よ」
「だったら、私も本気でいかないとね。──でもそんな話はもういいわ」
彼女は息を整え、ゆっくりと私の目を見た。
「本題に入るわね。──貴方、蒼真くんのこと、どれだけ知っているの?」
この女の口から蒼真の名前が出るだけで、正直、胸の奥がざわつく。
九条は焦らすような、でも、打ち明ける事をためらうかのようなそんな面持ちで淡々と語りだす。
――その内容は私の想像とはまったく違う角度での話だった。
蒼真の家庭の事情。父親の会社が、九条家のせいで経営難に陥ってるとの話だ。
正直そんな話を私に言ってどうするとも思う。
「――この話を貴方がどう捉えるかは自由よ。ただ、蒼真くんにはまだ話さないで欲しい」
「その話を聞いて、貴方に対してどう思うか考えての事よね……」
苦い表情を浮かべる九条に、私は溜息しかでなかった。
「別に貴方のせいじゃないし、私にどうすることも出来ないし。聞かなかったことにしておくわ」
私の言葉に何を思ったのか、感じるのは失望したように薄笑いを浮かべる様だ。ああ、イライラする。九条遥らしくなさすぎる。
「結局貴方がしたかったことは重い荷物を分け合いたいだけでしょ! さあ、先輩方が帰ってくるから。お茶漬けでもいかがかしら?」
速やかにこの場を去って欲しかったが、九条は諦めたような嘲るような、そんな表情を向けてくる。暫くの間押し黙っていた彼女が重たげに口を開く。
「……貴方の言う通り。私だけ辛い思いするのは嫌だから押し付けただけ。どう? もっと嫌いになった?」
冗談めかして言うけど、その表情は今にも崩れ落ちそう。きっと一人で抱えて辛くて仕方なかったんだと思うと一抹の同情を感じてしまう。
「大っ嫌いよ……。でも、そうね、貴方のLINEだけ教えておいて」
蒼真の家庭の問題か。私には手に余る問題だ……。
羽依、蒼真。この秘密は私には重すぎる……。
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