8 呼び出し
次の日はウィルさんの家の前でいってきますのキスをして、花屋に向かった。
レベッカと楽しく仕事をして、充実した疲れが心地よかったのに、家のポストを開けて気分は急降下。真っ白な封筒が入っていた。マリーノファミリーからの呼び出しだ。
部屋に入って荷物を置き、封筒を開ける。
『今日、日付が変わる前に来るように』
いつもと変わらない筆跡と文面だ。
でも、今日というのはいつだろう。昨日の午後2時から家に帰っていない。もし昨日投函されたものだったら、命令に背いたことになる。
大きく息を吐き出して、すぐに家を出た。
私が門の前に立てば、すぐに開く。広い庭を通り、屋敷に入った。私が入ると、構成員たちは廊下の端によって頭を下げる。
歩きながら、緊張で滲む手のひらの汗を服で拭った。
きっとウィルさんのことだろう。まだかと、私を急き立てるために。
ボスの部屋の前に着くと、扉の前に控えている男が扉を開いた。私は乾いた喉に唾を送り込んで奥歯を噛み締める。部屋に入ると、すぐに扉は閉められた。
「遅かったな」
執務机でペンを走らせながら、こちらを見ずにボスが言った。
呼び出しは昨日のことだったようだ。
「申し訳ございません」
余計なことは言わずに頭を下げる。
「まあいい。それでナイル・クレマーはいつやるんだ?」
ボスはペンを置いて、私に鋭い眼光を向ける。まるで鋭利な刃物を喉元に突きつけられている心地だ。
「今、調べている途中です」
単調な声で答えれば、ボスはイスの背もたれに身体を預けてふんぞり返った。
「そうか。俺はてっきり、自分の男はやれなかったのかと思っていた。やるタイミングなんていくらでもあっただろう」
ウィルさんと付き合っていることを知られていたことに驚く。暗殺以外では干渉してこないから。
でも私とウィルさんのことを知っていて、私に暗殺させようだなんて、酷い話だ。私が誰であろうと任務を遂行するのか試しているのだろうか。
「5日以内にやれ」
有無を言わせない口調に、私は「はい」と返事をして退室した。
家に戻るとベッドにダイブする。
期限を決められて、釘を刺されてしまった。5日以内にウィルさんを暗殺しなければいけない。
でも、私にできるの?
ウィルさんがナイルだとはっきりした。ウィルさんもお母様も私を騙していたことになる。
ボスは私がウィルさんの情報を聞いて驚いている時に知らないふりをして、心の中では笑っていたのだろうか。
ため息しか出てこない。
騙されていたと知っても、私がウィルさんを愛していることには変わりない。
目を閉じると、脳裏に浮かぶのは優しい表情のウィルさんばかり。
ウィルさんはどんな気持ちで私といたのだろう。騙していたとしても、私のことを少しでも愛してくれていたのだろうか。
「どうすればいいのよ」
考えても答えなんて出てこなくて、私は思考を放棄して夢の中へ逃避した。
無情にも朝はやってくる。ずっと夢の中なら幸せなのに。今日見た夢なんて覚えていないけれど、今の状況よりはマシに決まっている。
のろのろと着替えて家を出た。
花屋に着いてレベッカに会うと、心が少し軽くなったような気がする。私が心から信頼できるのは、今はレベッカだけ。
「おはようルシル」
「おはようレベッカ」
レベッカは朝から溢れんばかりの笑顔を見せる。
開店準備が終わると、レベッカが紅茶を淹れてくれた。
ミルクがたっぷり入った優しい味。
私がウィルさんを暗殺することができなければ、もうレベッカとも会えなくなる。
私はカップを置いて、レベッカを見つめた。
「どうしたの? 真面目な顔して」
レベッカが私の表情に首を傾ける。
「レベッカと会えなくなるの、嫌だなって思ったの」
レベッカは眉間を狭め、すぐに顔を青くして飛び上がった。私の肩をガッチリと掴む。
「いくら必要なの?」
「え?」
今度は私が目を丸くする番。
「ウィルさんに好かれているかとか、私と会えなくなるのが嫌だとか、最近のルシルはおかしかったわ。重い病気を患ったんでしょ? あなたのためなら、この店だって手放して工面するわ!」
とんでもない誤解をされてしまった。
私は慌てて両手を振る。
「私は元気よ! この店がなくなった方が健康を害するわ」
「じゃあどうしたのよ」
「なんでもないわ」
レベッカは目に疑惑を携える。
頭をフル回転させて「そういう夢を見たの」と誤魔化した。
レベッカは納得していなさそう。
余計な不安を煽ってしまって、申し訳なくなった。でも、私のことを心配してくれる人がいて、心の奥底から温かな気持ちが溢れた。
今日は仕事中にウィルさんが花屋に来た。
「どうしたの?」
「近くを通ったから。働いてるルシルを見たくて。花に囲まれているルシルは輝いているから」
目を細めて穏やかな口調で嬉しい言葉をくれるけれど、本心ではないのだろうな。
「ウィルさんはこの後、お時間ありますか?」
レベッカが訊ねると、ウィルさんは「少しなら」と頷いた。
「早いけれど、ウィルさんとランチに行ってきたら?」
レベッカの提案にウィルさんは微笑む。
「ルシル、食事に行こう」
ウィルさんに手を差し出された。戸惑いつつも私は手を重ねる。
「行ってらっしゃい。ウィルさんと食事をして、嫌な夢なんて忘れちゃいなさい」
レベッカは私に気を遣って、送り出してくれたようだ。
「嫌な夢を見たの?」
「ええ、でも大丈夫よ。何を食べましょうか?」
腕を組んで歩き、近くのレストランに入った。
木製のテーブルとイスが等間隔に並び、白い照明が店内を明るく照らしている。
ランチには時間が早いからか、店内に人は少ない。落ち着いた心地よい音楽が流れている。
私は魚介のリゾットを注文した。
「ルシルは3日後の夜は予定ある?」
3日後はボスに言い渡された期限の前日。
「いいえ、何もないわ」
「食事に行かないか?」
「もちろん。楽しみにしているわ」
ウィルさんは穏やかな笑みを浮かべた。
期限の前日というのが引っかかるけれど、ウィルさんは自分が私の暗殺対象だと気付いているのだろうか。
最後の思い出に、たくさん甘えよう。
リゾットがテーブルに運ばれてきた。一口含む。魚介の旨みが凝縮された贅沢な味わいだ。
ウィルさんと向かい合って食事をするのも、今日と3日後だけになるのだろう。
「美味しいわね」
「ああ、それにルシルが一緒だと、もっと美味しくなる」
「ええ、本当に」
ウィルさんとの食事を、ひと匙ずつじっくりと味わった。