5 疑心暗鬼
目覚めは最悪だった。乾かさずに寝たから、髪は癖が付いている。直している時間はないから、束ねて誤魔化した。
花屋での仕事中はよかった。花の水換えなどの世話や、接客をして花束を作る。暇な時間はレベッカと話しながらボックスアレンジメントを作ったりした。仕事に没頭していれば、昨日のことを考えなくて済む。
四日ほど昼は花屋の仕事をして、夜は資料を眺めながらぼんやりと過ごして何もしなかった。
いつもならターゲットの行動パターンやスケジュールを調べたり、暗殺場所の時間や場所を考えて下見に行ったりするのに。
どうしても行動に起こせないでいた。
資料をもらってから五日後の仕事終わりに、花屋の前でウィルさんが待っていた。私は強張りそうになる表情を、必死に頬骨を上げて笑顔に変える。
「ルシルお疲れ様」
「ウィルさんもお疲れ様。仕事が早く終わったの?」
「ああ、それでルシルに会いたくなって。一緒に夕食でもどうだろうか?」
「私もウィルさんに会いたかったわ。お腹もぺこぺこ!」
ウィルさんの腕に腕を絡めて、口角を目一杯上げる。ウィルさんは目を細めて穏やかな表情を見せた。これが演技だなんて思いたくない。
「ルシルは何が食べたい?」
「私が作ってもいいかしら? 食材が痛む前に使い切ってしまいたいの」
最近は食欲がなく、夜に食事を摂っていなかった。ダメになってしまう前に使いたい。
「もちろん。ルシルが作る料理、楽しみだな」
ウィルさんの声が弾んだ。彼の一挙一動に疑心暗鬼になってしまう。
家で食事をしながら、少し話を聞いてみよう。
帰宅をしてはたと気付く。ウィルさんについての資料が出しっぱなしかもしれない。
「ウィルさん、少し待っていてくれるかしら。お部屋がちょっと散らかっているの」
返事を待たずに部屋に入る。資料は封筒に入れて、テーブルに置かれていた。封筒を開けて全てが入っていることを確認して、クローゼットの奥にしまう。
玄関に戻ってウィルさんを迎え入れた。
「珍しいね。ルシルの部屋はいつも綺麗なのに」
「片付けをする気になれない日もあるわ」
ウィルさんの後ろに立って、ジャケットを脱がせてハンガーにかけた。
「寛いでいて。すぐに食事の用意をするから」
ウィルさんは本棚からフラワーアレンジメントの本を取って座ると、真剣な表情で読み始めた。
私はエプロンをしながら目を瞬かせる。
「その本、楽しい?」
「ルシルの好きなことには興味があるから」
ウィルさんは愛おしそうに目を細める。
今は何を言われても手放しで喜べない。ウィルさんの言葉を疑ってしまうことは相当なストレスで、私の心は荒んでいく。
こっそりと息を吐いて、キッチンに立った。
たくさんの野菜を煮込んだミネストローネと、チキンソテーとサラダにパンを作ってダイニングテーブルに並べる。
「美味しそうだね。調理中からいい匂いがしていて、我慢の限界だよ」
「いっぱい食べてね」
グラスに辛口のスパークリングワインを注ぐ。手を合わせて食べ始めた。
ウィルさんは「美味しい」と言いながら、たくさん食べてくれる。ワイングラスも空になり、もう一杯注いだ。
「ねぇウィルさんってご兄弟はいるの?」
ウィルさんは港近くのお屋敷に、お母様と二人で住んでいる。付き合い始めたばかりの時に、お家に招待されてご挨拶をした。
二つ下にウィルさんと瓜二つの弟がいる可能性に賭けたい。ファミリーネームが違うから、本当に望みは薄いけど。
「僕は一人だよ。あー……」
ウィルさんは言いにくそうに言葉を途切れさせ、ワインを一口含んだ。やっぱり複雑な家庭で、弟がいるの? 一緒に住んでいないお父様から事業を引き継いだりしているし。
「年の離れた兄はいたみたい。亡くなっていて、僕は一緒に住んだこともないんだけど」
ウィルさんは目を伏せて、声のトーンを下げる。一緒に住んだことがないということは、ウィルさんが生まれる前に亡くなったということだろうか。
「ごめんなさい。そんなことを話させてしまって」
「いや、気にしないで。僕は兄のことを知らないんだから。それより急に兄弟のことを聞くなんて、どうしたの?」
なんと答えればいいかと思考を巡らす。
「えっと、最近ウィルさんに似ている人を見かけたような気がして。見間違いだったのかもしれないわね」
誤魔化すように笑って、ワインを含んだ。
やっぱりナイルはウィルさんなのか。ウィルさんがナイルなのであれば、亡くなった兄がいるということも本当かわからないけれど。だってボスにもらった資料と私の知っているウィルさんは全く違うから。
「変なことを聞くけれど、ウィルさんの誕生日っていつだったかしら?」
ウィルさんは眉間を寄せる。
「僕はルシルと同じ12月1日だよ。一緒に祝ったじゃないか。ルシルは忘れてしまったの?」
12月1日はこの部屋でお祝いをした。私がケーキを作って、ロウソクを2本刺して同時に吹き消した。
ウィルさんにはピアスをもらって、それは今、私の耳を飾っている。
ウィルさんは硬い表情で私に手を伸ばした。不審に思われたかもしれない。下唇を噛んで俯くと、ウィルさんの大きな手が私の額を覆う。
「熱はなさそうだね」
ウィルさんがホッと息を吐いたのがわかった。
「おかしなことばかり聞いてごめんなさい」
私は大きめに切り分けたお肉を頬張る。元気だとアピールをするために。
今日だけは忘れよう。ウィルさんと楽しく過ごしたい。
食事が終わるとウィルさんが食器を洗ってくれて、私はそれを受け取り拭いていく。
普段だったらやりたくない洗い物も、ウィルさんとなら楽しい。
一緒にお風呂に入って、ウィルさんは丁寧に身体も頭も拭ってくれる。ボディクリームも塗ってくれて、私の身体とウィルさんの手が同じ匂いになったことに幸せを感じた。
ベッドに入ってたくさん甘やかされ、逞しい腕の中で瞼を下ろす。
「おやすみルシル」
頬にキスをされ、私は心も身体も満たされて眠りについた。