3 デート
ウィルさんとの出会いを思い返していると、彼は出会った頃と変わらない優しい表情で私を見つめる。
「仕事中のルシルも、僕のためにオシャレをしてくれるルシルも、どちらも可愛くて仕方がないんだ」
私は胸の奥がキューと甘く締め付けられる。組んだ腕にしがみついた。
「嬉しい、ありがとう」
ウィルさんを見上げて笑えば、彼の口角は上がる。
「仕事でサーカスのチケットをもらったんだ。見に行かないか?」
「私、サーカスを見るのは初めて。すっごく楽しみ」
私たちは広場に建てられた大きなテントに向かって歩いていく。
ここはフィベーロというマリーノファミリーが治める港町。北にマリーノファミリーの本拠地があり、西にスラム、東に私の住む家や花屋がある市民街、南に港がある。今向かっているのは中央にある広場。広場では時期によっていろいろなイベントを開催している。
広場に近付くにつれ、軽快な音楽が聞こえてきた。人も多く賑わっている。楽しそうな雰囲気に高揚した。列に並んでテントに入る。
中心にステージがあり、それを囲うように円形にベンチシートが配置されていた。上の方に空中ブランコや綱渡りなどの設備が設置されている。
ウィルさんの持っていたチケットは、ステージがよく見える最前列の席だった。腰掛けてウィルさんに目を向ける。
「こんなにいい席を頂いたの?」
「僕も驚いているよ。取引先の人に頂いたんだけれど、事業を期待されているのかな?」
ウィルさんは少し前にお父様から会社を引き継いで、商品の輸出入を管理する貿易商として働いている。別の街から多岐に渡る商品を仕入れてくれることで、私たちの生活を豊かにしてくれている。
照明が落ちた。
「始まるのかな?」
「楽しみ!」
胸を躍らせながら正面に目を向ける。
ステージのスポットライトがピエロを抜く。
ピエロは丁寧なお辞儀をした。
「さあ、皆さん! 夢と興奮のサーカスが、いよいよ始まります!」
ピエロの掛け声でステージ上、全てのライトがついた。
可愛らしい音楽が鳴ると、様々な犬種が一列に並んで行進をする。
「可愛いわね」
ウィルさんに声をかけると、「そうだね」と頷かれた。会場中が手拍子で盛り上げる。
行進で可愛さをアピールした後は、バランスをとりながら玉の上を歩いたり、息を合わせて縄を飛んだりと素敵なパフォーマンスを見せてくれる。
私はステージに釘付けになった。
犬たちがはけると、今度は男女のペアでの空中ブランコ。女性がブランコから手を離し、男性が受け止める。スリリングな技に観客が湧いた。
その後も高所に張られた縄を渡ったり、宙返りや転回などのアクロバットな技に魅入る。
一つの演目が終わるたび、ウィルさんに話しかけた。彼は興奮する私の話を、優しい眼差しで聞いてくれる。
ステージの準備中にピエロが客席に降りてきて、私の前に立った。私は目を瞬かせる。
「美しいお嬢さん。僕のお手伝いをして頂けませんか?」
ピエロは星型に塗られた目でウィンクをして、私に手を差し出す。観客を巻き込んでのパフォーマンスなのだろう。選ばれたことが嬉しくて、私はピエロに手を重ねて立ち上がった。
「いってくるわね」
笑顔でウィルさんに手を振り、ピエロのエスコートでステージに上がる。
大玉に乗ったピエロにボールを投げる役らしい。説明を受けて私はボールを五つ順番に投げた。ピエロはそれを全てキャッチしてバランスをとりながらジャグリングをする。
会場から歓声が上がった。
「すごいわ!」
間近で見られて、私は興奮のあまり手を叩く。
ピエロが私にボールを投げ返すけれど、私はジャグリングなんてできない。二つキャッチをして、あとは取ることができなかった。
帰りもピエロにエスコートされて、自分の席に戻る。ウィルさんの表情がなんだか険しい。
こんな顔は見たことがなくて、私は目を瞬かせた。
「どうかしたの? 私、おかしかったかしら?」
「いや、すごく可愛かったよ。でもあのピエロが気に入らない。ルシルの手を取るし、ルシルはパフォーマンス中はあのピエロに夢中だっただろ」
ウィルさんは大きく息を吐いて、ピエロを睨みつけていた。
もしかしなくても、ピエロに妬いたの? なんだか可愛らしく見えて、私はウィルさんの手を握った。
「私が好きなのはウィルさんよ。機嫌を直して」
ウィルさんは指を絡めるように握り返す。
「ルシルの言葉ですぐに浮上する僕は単純だね」
はにかむ姿に胸がキュンと高鳴る。
最後は水中からの脱出ショーで、ウィルさんと手を繋いだままハラハラしながら見守った。時間ギリギリの脱出に拍手喝采。サーカスは大成功で公演を終えた。
私たちはサーカスのテントを出る。
「すごく楽しかったわ! 連れてきてくれてありがとう」
「僕もルシルと見られて楽しかったよ。ピエロだけは許せないけれど」
ウィルさんは期待したような目で私を見つめる。
「私が好きなのはウィルさんだけよ」
「もう一度聞きたくて、催促してしまったね」
「何度でも伝えるわ。私はウィルさんが好き」
「僕もルシルが好きだよ」
ウィルさんといるととても心が暖かくなる。
夕食の時間まで大きな公園を散策して、ベンチに座ってお話をして過ごした。
夕食は美味しいパスタをいただく。濃厚なクリームソースのパスタに合う、爽やかな酸味の白ワインも美味しい。
帰りはウィルさんがアパートまで送ってくれた。
「今日も楽しかったわ」
「僕も。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうね」
「あがっていく?」
ウィルさんは私の誘いを、眉間に皺を寄せて渋々といった様子で断った。
「あがってしまったら、帰りたくなくなってしまうから、今日はこのまま帰るよ」
ウィルさんは明日の朝早くに港へ着く商船の対応で、明るくなる前に起きなければいけないらしい。
明日に備えて早く寝るようだ。泊まって欲しいけれど、仕事なんだからわがままは言えない。
ウィルさんに抱きしめられる。私はウィルさんのうなじで指を組み、踵をあげて上を向いた。
唇が合わさり、リップ音を響かせて離れる。
「ウィルさんおやすみなさい」
「おやすみ。夢でも会いたいよ」
「会いにいくわ」
「楽しみにしている」
もう一度キスをして、手を振る。
アパートに入ってポストを開けると、何も書いていない真っ白な封筒が入っていた。
頬がピクリと引き攣りそうになるが、まだウィルさんが近くにいる。何事もないように振る舞わなくては。
アパートの階段を登り、部屋の前で入り口にいるウィルさんにもう一度手を振って部屋に入った。
部屋の扉を閉めると、大きく息を吐き出す。
ウィルさんとの楽しいデートに水を刺されたようで気分が悪い。
真っ白な封筒は、マリーノファミリーからの連絡。昨日暗殺をして、何か不備があったのだろうか?
こんなに短期間で連絡が来たことがないから、不思議に思いながら封筒を開けた。
『今日、日付が変わる前に来るように』
右肩上がりの文字に、大きく息を吐き出す。メッセージカードを握りつぶして、ゴミ箱に投げ捨てた。
「最悪だわ。楽しいデートの余韻に浸りながら眠りについて、夢の中でウィルさんとデートの続きをするつもりだったのに」
ワンピースから楽なパンツスタイルに着替える。
すぐに出てウィルさんに見られると困るから、三十分ほど本を読んで時間を潰して家を出た。