2 出会い
私とウィルさんが出会ったのは、一年近く前のこと。私が働いている花屋の前だった。
季節の花がプランターに並び、店の前を彩っている。
私は開店を間近に控えていたレストランに飾る寄せ植えを作っていた。
白やピンクにオレンジと可愛らしい色合いで、レストランのコンセプトに合った物ができたと自画自賛する。
「綺麗ですね」
そう頭上から声をかけられて、見る目があるわね、と上機嫌で顔を上げる。
柔和な笑顔のハンサムな人が、私の寄せ植えを覗き込んでいた。それがウィルさん。
ウィルさんは私にシワのない綺麗なハンカチを差し出した。
「頬が汚れています。使ってください」
私にハンカチを握らせると、ウィルさんは颯爽と立ち去った。
綺麗なハンカチを使うのを躊躇うが、手も汚れていたから、ハンカチにはすでに土がついてしまっている。申し訳なく思いながら、使わせてもらった。
次の日にウィルさんは花屋にやってきた。
「昨日はありがとうございました。すみません、ハンカチを汚してしまいました。何かお礼をさせて頂けないでしょうか?」
「ハンカチのことでしたら、お気になさらないでください。……お礼をして頂けるのでしたら、貴方のセンスで花束を作っていただけませんか? 僕は花に詳しくないので」
ウィルさんは照れくさそうに頭を掻く。
これからデートなのだろうか。素敵な人だから少し残念に思った。
ウィルさんは背が高く手足も長いのに、ジャストサイズのスーツを着ていることから、オーダーメイドだとわかる。靴は本当に外を歩いていたのかと疑うほどピカピカに磨かれていた。
「プレゼントですか?」
「はい、母に」
母親に花を買う成人男性なんてほとんどいない。
「お母様の雰囲気やお好きな色はわかりますか?」
「どうでしょう……。持ち物は白が多い気がします」
「白を主役に薄い紫を添えるなんていかがでしょう」
私は切り花から白い花を数種類取り、そこに薄い紫の小さな花を足した。
「はい、それでお願いします」
ラッピングペーパーを巻いてリボンで飾りつける。ウィルさんは満足そうに受け取ってくれた。
料金を払うと、会釈をして出ていく。歩いている後ろ姿だけでも、スタイルも姿勢もいいから絵になるな、と見えなくなるまで目で追った。
その次の日にもウィルさんは来店した。
「母がすごく喜んでくれました。ありがとうございました」
「よかったです」
目を細めて表情を和ませるウィルさんに、私はつられて笑う。母親思いの優しい人なのだろう。
「それで、もう一度花束を作って頂けないでしょうか?」
「任せてください。お母様宛ですか?」
ウィルさんは頬をわずかに染めて首を振った。
ああ、今度は恋人宛か。心は隙間風が通ったように、急速に冷えた。
弾んでいた気持ちは、彼のことが気になっていたということだ。
こんな素敵な人に恋人がいない方がおかしいか、と肩を落とす。
「あの、絶対に告白が成功するような花束を作って頂きたいです」
整った顔を真っ赤に染め、真剣な表情で告げられる。今のように真摯に伝えれば、落ちない女性なんていないと思う。思われている女性は幸せなんだろうな、と羨ましかった。
「絶対はお約束することができませんが、精一杯作ります。相手の方の好みを教えてください」
「それがわからないんです。貴女に全てお任せいたします」
女性が放っておかない見た目なのに、女性に慣れていない奥手な人なのだろう。
「わかりました。がんばりますね」
告白なら情熱的な赤? それとも可愛らしいピンク? 誠実な気持ちも表したいから白も捨てがたい。悩みながら赤とピンクをベースに、控えめな白い花も添えた。
「こんな感じはいかがでしょう?」
「可愛らしいですね。それでお願いします」
ラッピングペーパーは柔らかい素材にして、ピンクのリボンを巻き付けた。
代金をいただき、花束を渡すと、ウィルさんは店を出ていく。
あの花束をもらえる子に少し妬いてしまいそう。でも、ウィルさんの告白が上手くいくことを私は願った。
「目の保養ね」
店主のレベッカが頬に手を当てて目を輝かせる。
レベッカは私より十歳年上で、ミルクティー色の髪を下の方で束ねている。気さくに接してくれて、雇用主というより、姉のような存在だ。
「本当、いい男はなんで相手がいるのかしら。ここにいい女が二人もいるのにね」
私が肩をすくめると、レベッカは「間違いない」と声を立てて笑った。
仕事を終えて店を出ると「すみません」と声をかけられた。そちらに目を向けると、ウィルさんだった。花束を抱えていて、ダメだった報告に来たのか、と心が痛んだ。
「受け取ってもらえませんでしたか?」
「いえ、それはまだ今からです」
まだ伝えていなかったのか。それならなぜここにいるのだろう。
「あの、僕とお付き合いをして頂けないでしょうか」
花束を差し出す顔は、耳まで赤くなっていて、奥歯に力が入っているのか表情は硬い。真剣な眼差しを向ける緑色の瞳に、大きく目を開いた私が映っている。
「ダメでしょうか?」
ウィルさんは眉尻を下げて表情を曇らせた。私は慌てて首を振る。
「いえ、びっくりしてしまって。どうして私なんですか?」
花屋で働いている時は、メイクもほとんどしていないし、髪だって束ねているだけ。服だって汚れてもいいように無地のエプロンにパンツスタイル。どこを気に入ってくれたのかわからない。
「綺麗な人なのに顔に土がついているのも気にせず、寄せ植えを子供のように顔を輝かせて作っている姿に見惚れました。もう一度貴女と話すきっかけが欲しくて、母に送る花束を作っていただきました。花束も楽しそうに作っていて、花が好きな人なのだろうなって、また見惚れました」
花屋の仕事は暗殺業のカモフラージュだとしか認識していなかった。
ウィルさんに言われて、私は花が好きなんだ、と気付く。
「出会ったばかりでこんなことを言われて戸惑うかもそれません。これから僕のことを知って頂けないでしょうか」
私は手を伸ばして受け取る。
「私のことも知ってください」
ウィルさんは破顔して私を抱きしめた。彼の腕の中で私は、心の奥底まで暖かくなった。
その時にまだ名乗っていないことに気付いて、ウィルさんの名前を呼ぶことができなくて、おかしくて笑った。
名前も知らない人とお付き合いをするなんて。それほど彼に惹かれていたんだ。