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11 真相

 ボスと二人で重苦しい空気の中、一時間ほど待つとウィルさんが戻ってきた。

 手には包帯がきっちりと巻かれている。

 ウィルさんは私の隣に腰掛けた。


「怪我の具合は?」

「大したことないよ。少し縫っただけ。ルシルに怪我がなくて良かったよ」


 ウィルさんは大丈夫だというように手を振り、優しい声をかけてくれる。これは本心?

 それに、ウィルさんはナイフの刃を掴むのに躊躇がなかった。一般人にそんなことができるの?


「僕はルシルに黙っていたことは多いけど、嘘だけはついていない。信じて欲しい」


 真摯な瞳に頷いた。ウィルさんがそう言うなら、私は信じたい。


「じゃあナイル・クレマーは誰なの?」

「そんな人間はいない。僕と義父が作った設定だから」

「ウィルさんは、ウィル・アルノーさん?」

「そうだよ。でもこの名前になったのは僕が8歳の頃だ。それまで僕には名前がなかった」


 ウィルさんは眉尻を下げて笑う。名前がないとはどういうことだろう。


「僕は物心つく頃には家族はいなかったし、スラムで子供だけで身を寄せ合って暮らしていた」


 ウィルさんがスラムにいた? だから名前がないの? 私と同じ理由で。


「8歳の頃に義父に拾われた。その時はルシルと同じで暗殺者にするつもりで、僕は戦闘訓練や語学や一般教養なんかを教え込まれた」

「だから私のナイフを止められたの?」

「本当はルシルの手を掴むつもりだったんだけど、僕は戦闘訓練は途中までしか受けていない。上手くいかなくて、怪我をしてしまった。僕が11歳の時に義父の実子が亡くなった」

「だからウィルさんは養子になったの?」


 ウィルさんは小さく頷く。年の離れた兄とは、ボスの実子。後継がいなくなって、ウィルさんを養子にしたのか。

 それまで黙っていたボスが口を開く。


「ウィルは地頭が良かった。表の貿易会社を継がせるために、戦闘ではなく経営の勉強をさせた」


 ウィルさんはスラムで育ったのに、今は貿易会社を任されている。優秀な人なんだ。


「ねえ、誕生日は?」

「義父に拾われた日だ。僕は自分の誕生日を知らないから、ルシルが一緒だと知って、初めて自分の誕生日を祝えたよ」


 私と同じことを思っていたの? 私もボスに拾われた日だ。


「養子になってすぐ、スラムに行ったんだ。僕より少し年下の女の子がいたんだけど、その子を助けたかった。でも出会うことはできなかった。三年も経っていたんだ。亡くなってしまったのだろう」


 声を落とすウィルさん。

 ウィルさんの子供の時の写真を見て、気になって仕方がなかった理由がわかった。霞がかかったような記憶が晴れる。

 一筋の涙が頬を伝った。


「ルシル?」


 ウィルさんが私の顔を心配そうに覗き込んだ。


「それ、私なの。私もスラムにいた。少し年上の男の子がいつも食べ物をくれたわ。自分だってお腹が減っているのに。ウィルさんはそんなに小さな頃から、私を支えてくれていたのね」


 ウィルさんがいたから、私はスラムで生きていられた。


「誕生日もね、私は知らないの。同じ日にボスに拾われたのね」


 ウィルさんは目をまん丸にした後、顔をくしゃりと歪めて唇を震わせた。


「気付かないわけだよ。小さくてガリガリで、真っ黒に汚れていた女の子が、こんなに綺麗になっているんだから」

「16年も経っているから」


 ウィルさんは目に涙を溜めている。


「ルシルが生きていて良かった」


 キツく抱きしめられた。ウィルさんの顔が私の肩に埋まる。肩は温かく濡れた。


「気付いていたわけじゃなかったのか?」


 ボスが漏らす。ボスは私とウィルさんのことを知っていたの?


「それならウィルさんが花屋で私に声をかけてくれたのは偶然?」

「そうだよ。花屋で働くルシルに惹かれて。ルシルに言ったことで、嘘は一つもないんだ」


 ウィルさんが顔を上げる。私はウィルさんの赤くなった目元を指先で撫でた。


「どうして私がマリーノファミリーの暗殺者だって知ったの?」


 この1年で暗殺したのは3人。なんで気付かれたのだろう。


「匂いだね」

「匂い? 私、血の匂いでもした?」


 ウィルさんは首を振る。


「血液ではなく、石鹸の匂いだよ。血液がよく落ちるって、マリーノファミリーに渡された石鹸でしょ?」

「ええ、そうよ。普通の石鹸よりよく落ちるの」

「僕も訓練時代に使っていたから、その独特の匂いに気付いた。初めは気のせいかもしれないと思ったけれど、何ヶ月か経ったら、また同じ匂いがした。それで僕はルシルのことを義父に訪ねたんだ。僕と組ませる予定で育てた暗殺者だって教えられた」


 今まで誰にも石鹸の匂いになんて触れられたことはないけれど、同じ経験をしていたからウィルさんは気付いたのか。


「だから僕は義父に頼んだんだ。ルシルを辞めさせてくれないかって」


 辞められるなんて思っていなかった。そんなことできるの?

 私の疑問に答えるように、ウィルさんは話を続ける。


「義父はルシルに僕を暗殺するように仕向けて、できなければクビにすると言った。僕を殺せば、ずっとマリーノファミリーで仕事をさせると。僕はその案に乗って、義父はルシルに僕を殺すように命じたんだ」

「待って! 私がウィルさんを殺そうとしたら、貴方はどうしていたの?」

「僕はルシルに愛されている自信があったし、絶対に大丈夫だって思っていたよ。万が一殺されても、最期に見るのがルシルならいいかなって思っていた」


 ウィルさんも私と一緒で、生きることに執着がないんだ。スラムで大人になる前に死ぬと思っていたから。


「ウィルを殺していたら、死ぬまで働かせるつもりだった。ウィルにはクビにすると言ったが、俺を殺そうとすれば、お前を処分していた」


 ボスの冷たい声に身体が震える。


「だが、お前はウィルも俺も殺さず、敵対組織に単身で乗り込む選択をした。自分を犠牲にしようとしたことで、俺はお前を解放することにした」


 ボスは微かに口の端を広げる。ボスの和らいだ空気に戸惑った。初めてのことだ。


「花屋で働いているルシルはいつも楽しそうでイキイキしていた。ルシルにはずっとその顔で過ごして欲しいと思って。もうルシルは自由だよ。マリーノファミリーとは繋がりがなくなる」

「本当に?」

「ルシルのことを知るものはほとんどいない」


 ウィルさんではなくボスが答えた。構成員には私はボスの愛人だと思われている。私を知っているのは、教育係だった二人だけ。


 ウィルさんがソファから立ち上がり、その場で片膝をついた。私の手を両手で掬う。


「ルシル、僕と結婚してください」


 私は目を見開いて息を飲んだ。

 私はもう二度とウィルさんに会うことはないだろうと覚悟をして家を出た。


 ウィルさんは奥歯を噛み締めて、口に力が入っているような表情で私を見上げる。私に告白した時と同じ顔。私の手を包むウィルさんの手は、微かに震えて汗ばんでいた。

 ウィルさんは緊張しているの? 私の返事を黙って待っている。


 口が震えて言葉が出てこない。涙で目の前が滲み、ウィルさんの顔もわからなくなる。

 瞬きをすると、涙が頬を伝った。深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。


「ウィルさん、私は貴方とずっと一緒にいたい」


 願ってはいけないと思っていた言葉を絞り出す。

 ウィルさんはパッと表情を明るくした。私を抱き上げて立ち上がる。縦抱っこされて、私はウィルさんの頬を両手で包んだ。


 目元を赤く染めて、ウィルさんがとびっきりの笑顔をくれる。きっとわたしも同じ表情だ。

 額をくっつけると、咳払いが聞こえた。

 そちらに目を向けると、ボスが口元に拳を当てている。ボスのこと、すっかり忘れていた。


「お義父さん、僕はルシルと結婚します」

「好きにしろ。利益さえ生めば何も言わない」

「ボス、今までありがとうございました」

「なぜ礼を言う? お前は俺のことが憎くないのか? 何も知らないガキを拾って、暗殺者にするために育てたのに」

「そのおかげで私は生きています。ボスに拾われなければ、冬を越せなかったと思います」


 ボスは後ろを向いた。


「用がないなら早く出ていけ」


 ボスの表情は見えなかった。そっけない言葉だけれど、初めて穏やかな声を聞いた。

 ウィルさんは私を下ろし、二人でボスの背に頭を下げた。


 手を繋いで部屋を出ると、屋敷を駆ける。もうここに来ることはない。

 庭を抜けて門を出て、まっすぐ私の家に向かう。


 ここに来たときは、闇に染まる辺りのように心まで暗かったが、今は明るく照らされていた。

 繋がる手をぎゅっと握ると、ウィルさんに同じだけ力を込められた。

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