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1 暗殺者も恋をする

 辺りが静まり返っている深夜、石畳の上を歩くコツコツという靴音だけが響いている。

 私の前方を歩く男が振り返った。仕立てのいいスーツに身を包んだ、ガタイのいい男だ。


「お嬢さん、こんな暗い時間に一人で歩いていては危険ですよ。よろしければお送りいたしましょうか?」


 慣れた手つきで私の腰に手を回し、男が耳元でささめいた。鳥肌が立つほどの甘ったるい声で。酒気を帯びた息に、私は思わず顔を顰めそうになる。


「貴方と一緒の方が、危険なのではなくて?」

「そうかもしれませんね」


 イヤらしく笑う男に、内心舌打ちをして、私は口元に笑みを貼り付ける。


「でも、貴方も危険ですわ。私みたいな者もいますから」


 ナイフで男の喉元を掻き切った。切先は月に照らされて鈍く光る。喉から血飛沫が飛び、血の雨を降せた。

 男はその場で膝をついて、顔から地面に倒れ込む。震える腕を伸ばして、私の靴に触れる直前で息絶えた。


 スカートの下に隠しているレッグホルスターにナイフをしまい、血液で汚れた顔をハンカチで拭う。

 服は目立たないように黒くできるが、金の髪と白い肌は血液が付着するとよく目立つ。

 私は足音を消して暗がりを駆け、自宅まで急いだ。





 家に着いてすぐにシャワーを浴びる。赤い水が排水溝に吸い込まれて、完全に透明な水になるとシャワーを止めた。


「もう、最悪! イヤらしい目と手つき」


 思い出して身体を抱いて身震いする。どんなに顔が整っていようが、地位や資産があろうが、大好きなウィルさん以外に触られて気分が悪い。


 石鹸を泡立てたタオルで、ゴシゴシと洗う。擦りすぎて、肌が赤くなってしまった。

 シャワーで流して身体を拭う。


 ベッドの傍にあるサイドチェストに乗る時計に目を向けると、すでに日付が変わっていた。


「もうこんな時間? 明日はデートだから早く寝なきゃいけないのに」


 胸まで伸びた髪を乾かし、全身に保湿をする。ウィルさんには万全の状態の私を見てほしい。

 寝不足で隈なんて作っていられない。

 すぐにベッドに入って瞼を閉じた。





 私は孤児だった。スラム街で同じ境遇の子供たちと、身を寄せ合って暮らしていた。


 少し上の男の子がお腹を鳴らしながらよく食べ物を譲ってくれていた。もう顔なんて思い出せない。そもそも顔なんて知らないのかもしれない。私は食べ物に夢中だったから。


 冷たい風が吹き荒び、薄布一枚で過ごすのに厳しくなり始めた頃に、地面に座り込んでいる私に手を差し伸べた大人がいた。


 上等な外套を羽織った、灰色の髪をした四十前後の屈強な体躯の男だ。

 私がその手をぼんやり見つめていると、白い肌が黒くなるほど汚れている私の手を男は気にせずに掴む。


 私は男の屋敷に連れられて、ルシル・ヴィターリと名付けられた。

 男は孤児を哀れに思って、善意で屋敷に連れていったわけではない。


 男はマフィア・マリーノファミリーのボスだった。私を暗殺者に育てるために屋敷に連れ帰ったのだ。

 他のスラムの子供たちのことを気にする時間もないほど、私は語学や教養や暗殺術を教え込まれた。

 窓もないような地下室で、教育係とひたすら勉強に励む。


 ここにいれば雨風も凌げて、寒くもない。何より食べ物がもらえる。私は生きるために暗殺者になった。


 偽造した戸籍で、私は花屋として働いている。そしてボスの指示で、ターゲットを殺す。

 人を殺したいなんて思ったことはないけれど、ボスに拾われなければ、私はとっくに死んでいた。


 表向きは花屋として生活できているし、なによりウィルさんと出会えたから、ボスには恩がある。


 今日のターゲットはこの街『フィベーロ』に質の悪い薬をばら撒いていた売人だった。

 好色家で有名で、すぐに私に近付いてきた。女性が深夜に一人で出歩いていておかしいと思わなかったのだろうか。相当お酒を飲んでいたようだから、わかっていなかったのかもしれない。


 私が毎日自分を磨いているのはウィルさんのためで、暗殺対象の鼻の下を伸ばすためではないのに。


 



 窓から差す陽の光が眩しくて目を覚ます。起き上がって伸びをした。

 デートの時間までに最高の私にならなくちゃ。

 顔を洗ってパックを貼り付け、洋服を選ぶ。


「ウィルさんの好みの服はよくわからないのよね」


 ベッドの上に服を広げてしばらく悩み、顔からパックを外してゴミ箱に捨てる。

 姿見の前で服を身体に当てた。


 ミディアム丈のプリーツワンピースを身につける。色はベージュで、甘くなりすぎない。

 身を捩って隅々まで確認して、これに決める。


 ナチュラルに見えるメイクに、お気に入りのオレンジのリップで可愛らしく。緩く巻いた髪はハーフアップにした。


「ウィルさん、気に入ってくれるかしら?」


 心躍らせながら家を出ると、アパートの前にすでにウィルさんがいた。急いで階段を駆け降りる。


「ウィルさん、待たせてごめんなさい」

「いや、僕が早く来すぎたんだ。ルシルに会えるのが楽しみで」


 ウィルさんは澄んだ緑色の瞳を細めて、甘い言葉をくれる。彼は私より4つ上の24歳。背が高くて精悍な顔つきの美丈夫。短く整えられたダークブロンド髪が爽やかさを際立てている。


「私もウィルさんに会えるのを楽しみにしていたの」

「ありがとう。今日もルシルは可愛いね。僕と会うためにおしゃれをしてくれたの?」


 私は頷いてウィルさんの腕に自分の腕を絡める。


「ウィルさんにもっと私を好きになってもらいたくて」

「僕は会うたびに、ルシルに恋をしているよ。それにどんな姿でもルシルは素敵だよ。僕が初めて君に見惚れたのは、顔に土をつけた姿なんだから」

「もう、その話はやめて!」


 恥ずかしくて、頬に手を当てた。

 私が唇を尖らせて拗ねたような表情を見せると、ウィルさんは「ごめん」と私の髪にキスをして機嫌を取ろうとする。


 ウィルさんの顔を見上げると、優しさに満ちた目で見つめられた。こんな顔をされては、許す以外の選択肢はない。

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