第9話 切れない無線
『―――――――、きこえるか!』
「……」
目がさめた。
どれくらい経っただろう、生暖かい空気が、ねっとりとわたしをつつんでいる。
『「救命7号」、きこえてるだろう!』
割れんばかりの、男の怒鳴り声。
しらないひとの声。うるさい。せっかく眠っていたのに――
救命具の通信モニターが、目の前に出ている。いまのは通信だったらしい。
通信も切ろう。必要ない。
設定画面が、うまくひらけない。あたまがまわらない――
『「救命7号」、船尾上甲板へ移動せよ、いそげ!』
わたしへの、命令――あなたはだれ?
送信者は「GSL209」、宇宙船――これ、救助船のなまえ……
『「救命7号」、船尾上甲板へ移動せよ、いそげ!』
警報画面が出ている。
二酸化炭素濃度、高――
すぐ、わたしはその下の「自動対応」ボタンを押した。
さわやかに冷えた空気が、入ってくる。二酸化炭素が除去され、わたしの頭脳ははたらきを取り戻した。
だれかが、わたしを呼んでいる。
救命具のライトを点灯し、つめたい操舵室の床から、身を起こす。
「GSL209、救命7号。こちらはきこえています」
そう言ってから、こちらの無線は通じないのに気付く。この救命具の無線機出力では、船外まで電波が届かない。あちらはたぶん、船体に設置された強力な無線機をつかっているから、船体を突き抜けて電波が通っている。いまは、むこうの声しか聞こえない状況だ。
『「救命7号」、船尾上甲板へ移動せよ、いそげ!』
船尾上甲板……つまり船のいちばんうしろ、その上部へ出ろということ。救助にしては、おかしい。そんな位置に出させて、わたしにどうしろというのか。
……いや、そもそもわたしは、ここで死ぬつもりだった。
救助船に、わたしは乗らないつもりだった。そこに、わたしの居られる場所はない。
この通信の相手も男だ。たぶん船長にそそのかされて、わたしを弄ぶのに加わるだろう。
ここで、このだれだか知らない男の命令をきく必要はない。
『「救命7号」、いまはまだ間に合う。ただちに船尾上甲板へ移動せよ!』
「……」
――きく必要はないのだけれど、この男の声は……
すこしかすれたその声は、あまりにも必死で――なんだか痛ましくさえ聞こえて……
消火レバーを引く前にみた、救助船の進入速度を思い出す。「助ける」という絶対の意思をのせた、あのスピード。あの船のすがたと、この男の声がぴったりかさなる。
『「救命7号」、時間は残っている、船尾上甲板へ移動せよ!』
「救命7号」は、いまのわたしだけを指すコールサインだ。
どうしてこのコールサインがわかったのだろう――この男は、わたしのためだけに、なんどもなんども、無線を送ってくる。
これを、どう思う――?
わたしに、人をみる目はない。だから、相手がどんな人かなんて分からない。
でもこの無線の声は……それに、いくども連送されるこの無線は、きっとわたしを助けようとして発信されている。
……すくなくともこの人は、わたしを「救助対象」とみなしている。
頼れるのか、このひとは……
『「救命7号」、救助の準備はできている、至急船尾上甲板へ移動せよ!」
無線機からめいっぱい聞こえるその呼びかけは、わたしだけを呼ぶ、必死な叫び。
このひとの声は、すこしだけ、あたたかい気がする――
……わたしに、人をみる目はないけれど。
うん。
――行こう。頼ってみよう、この人を。
もし行ってダメだったら――そのときは目のまえで死んでやる。覚悟しておけ!
もはや機能しない操舵室を出て、通路を走る。助かるかわからないが、このひとのいうことを、信じるしかない。急ぎ、船尾上甲板へ――
緊急時にそなえて、船内の構造は頭にいれてある。手さぐりでも移動できるくらいだ、救命具のライトがあれば、思いっきり駆け抜けられる。
『「救命7号」、こちらはあなたを待っている、急ぎ船尾上甲板へ移動せよ!』
相手は無線の内容を、ちょっといい台詞に変えてきた。
非常時なのに――死ぬかもしれないのに、わたしはちょっとおもしろく思った。なんだか人間っぽい人。
わたしの足がすこし、軽くなった。
本船は既に電源を喪失しているが、通路の通行に支障はない。電源喪失時には、船内のすべての電動扉は手であけられるようになる。電磁ロックはすべてはずれる。気密扉は閉まったままだが、ハンドルを回せばひらく。
『「救命7号」、まだ日はのぼっていない、急ぎ船尾上甲板へ移動せよ!』
無線越しの必死の呼びかけが、わたしを前へと走らせる。いくつもの扉をぬけて、損壊した区画をさけながら、後方へ――
『「救命7号」、こちらはまだ待てる、急ぎ船尾上甲板へ移動せよ!』
そしてそのことばを聞きながら、船尾に着いたわたしは絶望し立ち尽くすことになった。
エアロックが閉じている――
あたりまえだ。上甲板は船体の上、すなわちそこは真空になる場所だ。エアロックを通らないと、出られない。
エアロックは電子制御になっている。空気と引力の調整――これが済まないと、扉があかない。
いまは空気がはいっているから、船内からの立ち入りはできる。が、船外扉がひらけない。電源があれば動作するが、その電源は全て消火レバー操作時に遮断されている。復旧するには、配電盤室に行く必要がある。
そんな時間は残っていないだろう。
ああ――
ここまできて、わたしは――
どうしてこうも運がわるいんだろう。まるでこの世のすべてが、わたしに死ねと言っているよう。
もし死ぬなというのなら、いますぐこのエアロックを開けてくれ。
『「救命7号」、出てきてくれ、船尾上甲板へ!』
それでも、あなたは出てこいという。ここまできて、まだ、わたしを見捨てないでいる。
……ここを開けられるだろうか、わたしに。
腕力には自信がないけれど、空気の圧力と船外扉の抵抗に打ち勝てば、扉は開くかもしれない。
エアロックの扉には、巨大なハンドルがついている。通常は電動でまわるものだが、これを手でまわせばひらくかも――
危険はある。人工重力はもう制御が落ちているから、気にする必要はない。今の引力はこの星のものだ。
問題は気圧。1気圧から一気にほぼ真空にかわることになる。扉をわずかでもあければ、猛烈な気流が、中から外へ吹き出すはず。どれだけ強い気流が、吹き抜けるのだろうか。
そもそも、気圧に押し付けられている船外扉が、そう簡単にうごいてくれるのか。本来なら電動でうごかすハンドルは、はたして手でまわるのか。
『「救命7号」、まだ大丈夫、船尾上甲板へ急げ!』
……。
まだ大丈夫、か……
うん、やってみよう。
やって死んだら、やらずに死んだのと、結果はおなじ。でもやった場合は、運がよければ、外に出られる。
運はわるいほうだけど、それは忘れよう。
わたしはエアロックに入った。
上甲板に出るエアロックは縦型だ。エアロック内のハシゴをのぼって、船外扉を通ると、上甲板に出る構造になっている。
まずは、船内扉をしめる。こうしないと、船外扉をあけたとき、船内全ての空気がここから噴出することになる。
船内扉はかんたんに閉まり、ハンドルも回しきった。手動で回したので完全に回りきったか自信がないが、これは考えてもどうしようもない。
ハシゴをのぼって、上部の船外扉へ。扉に設置されたちいさな表示窓をみると、内外の気圧が違うという赤マークが出ている。
それでもハンドルに手をかけて……
――まわせない。
こわい。怪我をしたらどうしよう、痛いのはほんとうに苦手なのに――
恐怖心が、とまらない。
映画のヒーローみたいな、勇気がほしい。でも、わたしには――
『「救命7号」、時間はある! 船尾上甲板へ!』
「……」
ハンドルを強く握った。
いつからだろう、この呼びかけを聞くと、わたしはなんでもできてしまうようになったらしい。
ヒーローは、無線の向こうのあなたかもしれない。
両腕で、ハンドルにぐっと力をかけた。
……重い。回らない。気圧差が大きいからか、もしかして物理ロックがかかっているのか。
目をぎゅっとつむって、ありったけのちからを込める。わたしの細い腕が悲鳴をあげる。ああ、すこしくらい鍛えておけば、こういうときにつかえたのに。
――ズズ
かすかな音、そして――
――ゴゴゴゴゴゴゴ!
猛烈な気流。空気が上に抜けていく。船外扉が、わずかに開いたのだ。
反対の船内扉は、確実に閉まっているか。すきまがあれば、船内すべての空気がぬけるまで、気流がとまらない。
――ゴゴゴゴ……
……しずかになった。
エアロック内の気圧計の指示値は、ゼロ。
救命具の空気循環機能は正常に作動している。これで、わたしは外に出られる。
ハンドルを夢中でまわすと、やがてガツンという手ごたえとともに止まった。
船外扉を、内側から押し上げる。扉は重かったが――
――ひらいた。
目のまえに、救助船の船体がのしかかるようにみえている。まだまぶしい灯火をつけたまま――ああ、これは人工の光だ。
だが、それだけではなかった。
左から、光がさしてくる。あれは、あれは……
もう、日が出ている――
わたしはすぐエアロックの中に身を隠した。もう夜があけている。これでは、恒星からの熱をうけてしまう。
なにが「時間はある!」だ、この――
「うそつき!」
無線をつかわずに、わたしはひとりで叫んだ。
『「救命7号」、そちらを視認した。いまから、本船への移乗手順をつたえる」
彼は、まるでこの状況が当然であるかのように、無線を送ってくる。移乗って、この恒星からの熱をうけながら、どうやって。
『「救命7号」、救命具の防護フィールドは生きているか』
防護フィールド――生きてはいるが、そんなものが役に立つものか。あなただってわかっているだろう。
……いや、わからないか、だれにも。
ふつうなら、こんなもの役には立たない。この星の光にあたれば、わたしは溶けて消えてしまう。でも――
でも、いまは日の出直後だ。まだ光はつよくない。この星に大気はほぼないから、あつくない。まだ船体もつめたいはずだ。いま救命具の防護フィールドを全開にして、短時間の曝露だけなら、なんとか――
『「救命7号」、無線送信は可能か』
あ……
そうか、話せるんだ。ここなら。
――あなたと。
手元に表示した仮想モニターに出ている、コールサインを確認して……
「GSL209、救命7号。ハロー、きこえています。防護フィールドに問題はありません」
はじめてつたわる、わたしの声。
『「救命7号」、こちらもきこえています。これより移乗手順を説明します、よろしいですか』
よろしいですか、って――
わたしはいまから死ぬかもしれないのに、そんな機械みたいな言いかたを。もうすこしこう、やさしくしてほしい。
不必要な無線通信は法令違反だが……
「GSL209通信担当、わたしは航海士の85K-L1LYです。あなたの名前をおしえてください」
ここまでたどりつかせてくれた、あなたのことが知りたい。時間的にまず無理だろうけど、せめて名前くらいは。
彼の応答は、すこしおそかった。
『えと、こちらはGSL209船長、7ST-7037です』
このひと、船長なんだ。それならこっちの船より、あなたの船で働きたかったな。
「7ST-7037」、おぼえておこう。ここまでわたしを来させてくれたひとの、たいせつな名前だ。
もっとも、焼け死んだらわたしの脳も消え去るだろうから、それまでの間だけれど。
「7ST、たいせつにおぼえておきます。ありがとう」
『「救命7号」、おぼえなくてよい。移乗手順を説明するが、よろしいか』
わたしのなまえは呼ばないのか。ちゃんと名乗ったのに。それに、「おぼえなくてよい」、だなんて――
『名前は直接会ってからおぼえてくれ、いまから移乗手順を説明する』
直接会ってから――いい台詞をいうひとだ。
作家にでもなったらいい。わたしは買うよ、あなたの本。
『「救命7号」、本船は、貴船の船尾に衝突している。船首が当たっている』
衝突――そういえば、あのとき、ぶつけられると思っていた。
でも、思いかえせば、そんな衝撃はなかった。
『エアロックから出て、船尾衝突箇所へ走れ。そこから本船に飛び移れる』
と、飛び移る?
そんな曲芸みたいなことを、わたしに?
『飛び移ったら、本船の前甲板エアロックへ向かえ。緑の誘導灯がついている』
――たしかに、それは理論的には可能だけれど。
わたしは、そんな超人じゃない。あんな操船をして助けにきてくれた、あなたとちがって。
『「救命7号」、これまでの状況からみて、あなたは優秀な乗組員のはずだ』
わたしが……
いままで、だれもそうは言ってくれなかった。
『本船の受け入れ準備はできている。あなたの、すぐれた行動力に期待する』
勝手に期待されてしまった。
どこまでも、わたしをほめてくれるひとだ。
『「救命7号」、受け入れ準備はできている。こちらに来てくれ!」
来てくれ――か。
――こわい。
こわいけど……
「7ST――指示了解。今からいきます!」
防護フィールドを全開に――バッテリー残量警告が出たが、いまさらどうしようもない。この救命具、きちんと充電されていなかったらしい。
開いたままの船外扉から上甲板へ飛び出して、走る。左からさしてくる光が、恐怖心をかきたてる。あれが、わたしを焼こうとしている。
救助船――GSL209は、すこし船首を横に振った状態で衝突している。
いや、あれが「衝突」か――
ほんのすこし、当たっているだけだ。なにかが壊れているようにはみえない。あの速度で突っ込んで、この状態でぴったり止まったのか。
時間がない。もうどうなってもいいから、ひたすら走る。向かう先に、両船の甲板どうしが、つながっている。あれを渡れば、わたしは――
後部甲板を走り切り、GSL209の船首が目前にせまる。当たっている場所は、ごくわずか。一歩まちがえば、わたしはおよそ1Gの引力にひかれて地表に落下する。
着地点を見据えて、おもいっきり甲板を蹴る。わずかにつながっている接触箇所を、わたしのからだが、飛び越えていく。両足が、どこにもついていない――
――タン!
軽い衝撃があって、わたしの足は、「甲板」をとらえた。
GSL209の、甲板。生きている船の甲板だ。
目の前に警告メッセージが急にでてきた。救命具からだ。
熱入力が過大である、と。
防護フィールドが、もうもたない。フィールドの残り耐久力の表示が、レッドゾーンにはいっている。
エアロックに飛び込んでも、確実に助かるわけではない。1気圧への加圧がおわるまで防護フィールドがもたないと、息が吸えなくなってしまう。フィールドがもたなければ、ここまでの決死の努力が泡となってきえる。
『「救命7号」、緑の誘導灯だ。エアロックがある!』
また「彼」の声。緑の誘導灯は――まっすぐ前方。
遠い――いや、ほんとうは遠くないのだろうけど、わたしにとっては遥か彼方だ。いまにも、防護フィールドが切れるのではないか。
無限におもえる長い甲板を駆け抜けて、わたしはエアロックのふちをつかんだ。ここに飛び込めば――
真っ赤な警告表示が、目の前に出た。防護フィールドが、切れる――
それでもわたしは、明かりのついたエアロックに、飛び込んだ。