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第25話 なまえ

 ぼくは隣席の85Kに声をかける。


「85K、名前をモニターに表示して」


 彼女は不思議そうな表情をうかべた。


「なまえ? わたしの?」


 モニターに「85K-L1LY」と表示された。


「これでいい? あ、できれば間違えないでね。L『1』LYだから。よく『1』を『I』と間違われるんだ。文書とかで間違って書かれて、何度も訂正して……はあ、ちょっときらいなんだよね、これ。いっそ改名――」


「『リリィ』、だな」


「……え?」


 あえて「1」を「I」に置き換え、ことばとして読めば「リリィ」と発音できる。故郷の星を出て以来、こんなに親しく話した相手がいなかったから分からなかったが、数字とアルファベットだけの「記号名」は呼びにくい。


「『リリィ』って、どうかな。いま急に考えたから、正式な名前じゃなくて、あだ名ってことで。気に入ってくれたら、そう呼ぶけど」


 彼女の顔が、さっと青ざめる。


「待って! だめ! 言っちゃだめ!」


 なんだか、いますぐにでも殺されるかのような声色になった。


「い、いまのは、聞かなかったことに、するから……」

「でも『リリィ』って、なかなかよくない?」


 彼女の発言を半分無視して、言ってみる。気に入らなければ、別のなまえを考えよう。


「やめて! 犯罪だよそれ!」


 彼女は青ざめたまま、すこし震えつつぼくを見る。


「め、『命名規制法』……知らないの? それとも、わざと言ってるの?」


 航海関係以外の法律には詳しくないが、ぼくもそれくらい知っている。


「知ってるよ、『命名規制法』――すべての星系・海域・天体そのほか地名、船名、人名などに名を付ける際、意味を持った単語を用いてはならない――つまりは、ことばのちからを恐れた誰かがつくっちゃった、変な法律だね」


 ことばにはちからが宿るという。その発言者の意図や、言葉の意味、また発音そのものまで、目には見えないが、それらには時に大きなちからが含まれるとか。

 大昔の科学だか魔法だかの学術会議で実際に確認され、恐れられるようになった。当時の資料がほぼなく、もう詳細はわからない。


 とにかく、昔の人がことばのちからを恐れすぎたために、何かに名前をつけることが規制されてしまった。いまは記号と番号のみで構成された「記号名」だけが、名前として使用できる。それ以外のものを名前としてつけた場合、その者は重罪となる……これは死刑だっけ、ちがったっけ?

 人命を軽視しがちなこの世界では、この法律に違反するのは確か殺人より罪が重いんだったと思う。彼女が驚くのも無理ないが――


「その法律、例外規定があるよね」


 「記号名」じゃなくて、ことばとして成立する「個有名」をつけられる例外規定。これを使えば罪じゃない。


「れ、例外規定って、満たせるはずないよ……7ST、あなた――」


「それ、本名じゃない。きみはこの名前、これをおれの本当のなまえだと言ってくれたけど……これはここで生活するために作っただけのもの。たしかに偽名なんだ」


 彼女はぼくを見て、目を見開く。そんなにびっくりしなくていい。

 いやまあ、これくらいが普通の反応なんだろうけど。ここでは。


「おれの故郷は、とても遠くにある。どこだか分からない。義勇団の船に乗せられてから相当遠くまで航行したようだし、このあたりの星じゃない。なんとか帰ろうと思って海図を調べあげたけど、記載がなかった。昔の伝記や冒険記に伝説、伝承、オカルトのたぐいまで調べても、ひとかけらの情報もないんだ」


 あの星……青くて美しいとされるぼくの故郷。義勇団の新規団員輸送で連れ去られ、その船は窓もモニターもなかったから、一目みることもなく別れた青い星。


「その星は、科学力なんてここの足元にもおよばない。魔法はそもそもなかった。でもあそこに『命名規制法』はないから、生まれるすべての人間が『個有名』をもつんだ。それから大地の名も、海の名も、星の名も、みんな」


 思い返せばなつかしい……そう、あらゆるものに名前があった。ひとが口に出し、伝えられていくなまえ――


「そこの主星は『太陽』。その第3惑星、名前は『地球』――そこが、おれがうまれて、なまえをつけられた星」


 やや驚きの表情でとまったままのこのひとは――たぶん、ぼくが放った情報の洪水を処理しきれていないのだろう。

 ぼくはここまできて、ようやくこのひとに自己紹介をする。本当は、誰にも教える気はなかったけれど――

 モニターを操作して、船内システムからひとつの画像ファイルを見つける。ファイル名をタップして、出てきた画像をウィンドウごと拡大し、彼女の席へまわす。


- 七星 優輝 -


 おそらく見たこともないであろう表意文字をみつめる彼女に、ぼくはぼくの本名を教える。


「読みは『ナナホシ ユウキ』。『ナナホシ』は先祖から受け継がれてきた姓で、七つの星、ってことだろう。『ユウキ』は両親からもらった。読みそのままだと勇気と読めるけど、その文字の意味は、やさしいかがやき。親がそうやってつけたんだ」


 あぜんと文字をみている彼女が、口をひらくのには時間がかかった。


「これ、……この文字、『ナナホシ』、『ユウキ』?」


「そう、七星優輝。おれは個有名保持者なんだよ。だから、『命名規制法』の例外規定――すでに個有名を持つ者は本法の適用をうけない――この規定により、おれには個有名の命名権がある」


 彼女は聞いているのかいないのか、画像ファイルの文字をたどたどしく指でなぞっている。それは漢字だ、面倒だぞ。


「それは覚えなくていいから。それ地球でもわりと複雑な文字だったから。さすがにきみでも、今すぐは無理」


 彼女はまだモニター上のぼくの名前に手をのばしたまま、こちらを向いた。その彼女の黒いひとみを、まっすぐみつめる。


「で、どう? きみのなまえ。急なことだから、まずあだ名として、『リリィ』って……嫌、かな?」


 しばらく固まっていた彼女が、なぜか恥ずかしそうに、上目づかいでぼくをみる。


「い、いいです、そのなまえ。わたし、もらいます。ありがとう……」


 このひとにしては珍しい、消えそうな声。個有名をつけられるのって、こんなふうになるものなのか。


「『リリィ』……わたしが、『リリィ』……」


 胸に手を当てて繰り返している彼女に、ひとつリクエストする。


「それでさ、リリィ。おれにもひとつ、あだ名つけてよ」


 がたん、と音を立てて、彼女の腕が操縦盤にぶつかった。理解できない、ということは表情からよくわかる。


「あだ名とはいえ、いまきみは個有名保持者。だからその名をすてないかぎり、きみにも『命名規制法』の例外規定が適用される。おれもきみに、あだ名で呼ばれてみたいんだけどな」


 命名規制法があるかぎり、この世界ではあだ名さえ許されない。でも、死ぬまでぼくといっしょに行くと言ってくれたひととなら、こんな贅沢もしていいだろう。


 彼女はまたしばらく固まっていたが、理解したのか、急にモニターを触りはじめた。「7ST-7037」と表示して、「七星 優輝」と並べて、じっとみている。


 ――さすがに長い。ぼくはべつに待てるが、彼女がこんなに動かないのはおかしい。急に想像もしていなかたことをさせられて、負担が大きすぎるのか……

 あだ名は後でも考えられる、ここは――


「な、な……」


 なにか言った……消えそうな声だ。


「『ナナ』、って、どう、ですか?」


 敬語になって、がちがちに緊張している。ぼくが急にリクエストしたせいだから、ちょっとかわいそうだ。

 それにしても、どうして「ナナ」だろう。ぼくにあんまり似合わないような。


「えっと、どうしてそれ思いついたの?」


 彼女は消え入りそうな声のまま、下を向いて説明する。


「あなたのなまえ、個有名の最初が、『なな』。それから、記号名に、『7』がみっつ……」


 ……まだ続きがありそうだ。


「……あと、こんなの関係ないけど、わたしの誕生日、7月7日で、おなじ『なな』、だから」


 なるほど、「なな」には確かに縁がある。もとの名字の読みに通じているし、いいかもしれない……後半は彼女の願望だろうけど。

 さすがにわかる。ぼくのあだ名を「ナナ」にして、自分の誕生日もがっちり覚えさせる気だ。もしかして、ぼくが彼女の名前を覚えていなかったこと、まだ恨んでるかな。


「よし、これからぼくは『ナナ』。あらためてよろしく、『リリィ』。きみの誕生日も、ぜったい忘れないから。この名にかけて」


 リリィが、くすりと笑う。よしだいじょうぶ、ネタは通じた。


「よろしく、『ナナ』。……ありがとう」


 彼女の黒いひとみにみつめられつつ、横目で計器盤を確認する。船内システム時刻、今日の日付けは6月12日。


 6月12日、なに記念日だかわからないが、たぶんこれが、いつか思い出す記念の日付けになるだろう。

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