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第16話 やさしいひと

 怒った彼は、こわかった。


 いや、わたしがこわい思いをしたんじゃない。


 どういう原理かわからないけれど、彼はなにか巨大なちからで、目のまえの人たちを痛めつけた。


 やさしかったのに……死んだわたしを、自分のたましいを削って生き返らせるほど、やさしかったのに。

 あんなにどぎまぎしていたのに。エアロックのなかで、ふたりで座り込んでいたあのときは。


 今の彼は――

 両手で人間ふたりを引きずって、意識のない彼らを軽々とエアロックに投げ込んで……


 ――!


 それはだめ――!


「あの!」


 わたしの声に振り向いた彼の表情は、明るい笑顔――


 みえる……

 見える、血まみれの顔が。


 彼の顔が、胸が、両手が――体じゅうが、血にまみれている。

 指先から、血が滴りおちる。床に血のしずくが垂れている。


 目にみえたものじゃない――

 わたしが肌で感じた、彼のすがた。


 人間じゃない。

 「あれ」は、だれかを痛めつけることを、たのしんでいる。


 人を投げ込んで閉めた、エアロック。

 このまま減圧したら、このひとは――!


「減圧は、だめです!」


 それでも彼は、笑顔をくずさない。


「あはは、だいじょうぶ。いまはやらないよ。勝手に出てこられたらこまるんだ。ここに閉じ込めようと思ってね」


 「いまは」やらない――


 いずれは……やるつもり?


 彼は、エアロックの緊急閉鎖ボタンを押した。

 この操作を行うとエアロックはシステム上破損扱いとなり、開かなくなる。内部機器の破損も想定しており、中からの操作は受け付けない。


 たしかに、閉じ込める場所としては適している。


 でも、中に入れられたひとは……


 いつ、外部から減圧操作をされるかわからない。

 絶対に出られないエアロック、そして減圧への恐怖――


 彼はそれを――彼らを痛めつける「いい手段」としてみている。


 彼はそれから、わたしにいくつかの指示をだした。

 わたしに対しては、友好的な態度にみえる。


 でも、身にまとう気配に、やさしさは、ない。


 彼の指示を復唱するわたしに、にやりとする口元。

 「よし、使える」とでも思っているかのよう。


「行動開始、行くぞ」


 ……どうしよう。

 いけないものを、見た気がする。


 彼――いや、「これ」は暴力をふるうための人型のロボット。

 人の痛みをまるで考えず、むしろその痛みに快感を覚えるもの。


 これは、存在してはならないもの。


 そばにいては、ならないもの。


・・・・・・


 うす暗い階段室……「それ」はわたしなど置き去りにして、ただじぶんのために階段をのぼっている。

 わたしは必死でついていくけれど、体力がもたない。腕が、足が、いうことをきかない。息がつづかない。空気があるのに、おぼれてしまう……

 なんとか踊り場によじ登ったが、そこでわたしは床にへたり込んでしまった。


 さすがに気付いた「それ」が、おりてくる。


「きみ、進めないか。ここで待つか?」


 ここで待つ……わたしが? さっき「絶対に離れるな」と言ったのに。


 どうやらわたしを戦力外とみなしたらしい。


 また、だ。

 「これ」のまとう気配が、ぞわりとするほど暴力の予感を帯びる。

 くらい階段室で、「これ」に染み込んだ赤黒い血が、階段の下へと滴り落ちる。


 そっか――どうせ、こんな奴だったんだ。

 不定期船の乗員に、まともな奴なんていないんだ。


 「これ」も結局、うわべだけの善人。

 わたしの「希望」は、ぜんぜん「希望」じゃなかったんだ。



 童話の中の、王子さま――

 眠れるお姫さまを、あまいキスで目覚めさせる王子さま――


 そんな人に会えたと、思ったのに……



「……」


 でも――


 でも、そうだ。暴力がふるいたければ、あのときエアロックのなかで、無抵抗のわたしにいくらでもふるうことができた。

 でも現実は、逆。彼は自分のたましいを削って、死の世界へおちていくわたしを、ひきあげてくれた。

 唇を奪われはしたけど、それはわたしを……


 いや、奪われてない。あれはキス、わたしへのキス。童話の王子様だって、それをしている。

 すこしこそばゆかった……思い出すと、とてもあまかった時間。まだちょっと、唇がじんわりする気がする。

 振りほどかなければよかった。目をさまさないふりをして、もうすこしそのまま触れ合っていればよかった。


 そうだ、あれはキス。そうでなくてはならない。でないと、彼はわたしの王子様でなくなってしまう。


 どうして彼がこんな状態になっているかは分からない。

 きっとわたしがしらない、なにかがあるんだろう。


 でも、あのときはたしかに、やさしい王子様だった。

 このひとは、わたしの王子様だ。だからそんなに、血にまみれないで。わたしの王子様のままでいて。


 みればまだ、ネクタイがずれたまま。

 どうせだれも見ないからって、適当に結んだんだろう。見た目より、ちょっと子供っぽいのかもしれない。


 ずれたネクタイが、そんな彼のすがたを残している。

 そこだけは――血にまみれていない。


 このひとは、大きな二面性をもっているのかもしれない。

 だから、さっきわたしにみせたやさしい一面も、たしかにあるんだ。


 ちょっと子供なわたしの王子様は、まだ、この中に残っているはず――

 それを、やさしいこのひとを、わたしのまえに引き戻したい。


 ――引き戻したい。


 まだ息がきれていたが、わたしは彼の襟首をつかんだ。ずれたネクタイごと。


 なにもわかってない表情。振り払われるかと思ったが、意外に彼はうごかなかった。


 思えば、これはかなり危険な行為だ。凶暴な人格をあらわした彼に、このわたしがつかみかかっている。すでに殺されていてもおかしくないが……

 はるかに強大なちからを持つであろう彼は、わたしひとりにつかまれたまま、呆然としている。


 まだ、わたしは殺されない。

 もしこれが、彼のやさしさなら……まだわたしに、やさしくしているのなら。


 このまま彼を、引き戻せるかも――


 なにを口実に――そうだ、なまえ。

 このひと、まだ一度もわたしのなまえを呼んでない。


 ……。


 忘れたな、この――!


「な、なまえ……」


 くそ、息が……ことばが、出ない。

 抗議しなければ。なまえを覚えてないのに平気な顔をしてるこのひとに。


「わたしの、なまえ……おぼえて、ないでしょ……!」


 彼はわたしに襟首をつかまれたまま、まだぼけっとしている。


「あなた、わたしのなまえ、覚えてないでしょ!」


 言えた。言ってやった。

 さあどうなの、覚えてないんでしょ!


 まだなにも分かってない顔をしている。


 わたしは抗議しつづけるが、彼の表情はまだかわらない。そのぼけっとした顔、それがわたしのなまえを覚えてないことを証明している。


 引き締まらない表情、ずれたままのネクタイ。素のこのひとが、みえてくる。


 襟首ごと、彼を引き寄せる。もっと近寄れ。

 エアロックの中にいたとき、このひとはわたしにどぎまぎしていた。


 好意を持たれてる、なんて妄想はさすがにしない。でも――ちょっとくらい興味あるんでしょ、あんな態度するんだから!


 血まみれの彼と、どぎまぎする彼――まるで違う。そしてあの時どきまぎしたのは、たぶんわたしに対して。

 もういちどそうさせてやる。わたしへの興味でもとに戻ってくれるなら、安いもの。

 戻ってこなかったら――そのときは、わたしはこのひとの手にかかるだけだ。


 触ってやる、この。たじたじになってしまえ。


「ネクタイ、曲がってる。気になってしょうがない。船長さんなんだから、しっかりして」


 「船長さん」と呼んでやる。ちょっとくらい、どきりとしてみろ。


 彼はすこしたじろいでいる。

 そして、わたしはまだ殺されない。


 ネクタイをなおすだけなら、どうせすぐ終わってしまう。なおってもしばらくいじくってやろう。


 ――あれ?


 ネクタイはちょっとずつほどけていく。触れれば触れるほど、ほどける……

 なんだこれ、どういう結びかたなんだ。おい、どうしてこんなになるんだ、そこのあなた。


 うす暗い階段室で、彼の顔色はよくみえない。でもまだ、わたしにされるがままだ。なんの抵抗もしない。


 そして――ついにネクタイはほどけた。どうして。


 ええい結びなおしだ。そうだ最初からわたしが結んだほうが、うまくいく。

 あ……わたしと彼は向き合っているから、結びかたは、わたしからみて逆になるのか。く……難しい。


 ネクタイとわたしの攻防がつづく。いや、ネクタイとの攻防ってなんだ。どうしていま、わたしがネクタイと戦わなければならないんだ。


 ネクタイがほどけた彼はなかなか情けない姿だが、あなたの結びかたがわるいんだ。決してわたしのせいじゃない。

 何度もほどけるネクタイ。わたしはずっと、指先で彼の首元に触れている。くすぐったいだろう、ほら。


 するり……


 ――ネクタイはほどけんでいい!

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