第15話 おそろしいひと
本船が行っていた救助活動は、さいごのひとり、いまぼくのとなりにいるひとを生き返らせたことで、完遂となった。
しかし悪い状況は続いている。ぼくがこのひとを救うため、なにも考えずに操舵室から飛び出してしまったためだ。制御システムのロックも、かけていなかった。
そこに残ったのは、あの素行がきわめて悪い遭難船の乗員たち。彼らが、その場でおとなしくしているだろうか。
操舵室を飛び出してきたのは、まちがいとはおもわない。システムロックをかけわすれたのも、このさいしかたない。はやくここまで来なければ、いまこのひとは、ぼくをみつめていなかったはずだから。
彼女を生き返らせるのは、大変だった。
そりゃあまあ、ふつうは死んだら蘇らない。それを覆したのだ。大変なものだった。
このひとへの気持ちを思いっきり高ぶらせて、最高潮までもっていって――そこから、わずかでも冷めてはいけなかった。想像をはるかにこえる緊張状態が、長く続いた。
それに、蘇生の直前、彼女がぼくの唇を吸ったのも想定外だった。
あれはただ吸ったんだじゃない。ぼくのたましいを、じぶんから吸おうとしていたんだ。
どうやら生き返る直前に、あいてはじぶんから、ほしい分だけたましいを吸おうとするらしい。
それを拒絶する理由などなかったから、ぼくはそのままたましいを吸わせた。
ただその影響で、ぼくは想定外に弱ってしまい、しばらく動けなかった。
歳のちかい女の子と、そんなにひろくないエアロックの中で、ふたり。こんな状況、きっとどきどきするだろう……とむかしは思っていたけれど、実際はめちゃくちゃ気まずかった。
一人乗務が長かったせいだろうか。たしかに異性なんて、港の通路ですれちがうか、手続き用カウンターで向き合うていどだったけれど……
会話はほぼできず、ぼくは彼女の顔をまともにみれなかった。
操舵室での事態がうごきたすまでに、多少の時間がかかったのは幸いだった。
けずったあとのぼくのたましいはどうなるか……まったく分からなかったが、時間とともに回復してきた。これはあれか、輸血みたいなものか。たぶん造血細胞みたいなものが、「たましい」にもあるんだろう。
そのぼくの「たましい」が回復するまで、「事態」は動き出さずに待っていてくれた。
彼女の蘇生に成功し、じぶんも回復したいま、次にすべきことは船内秩序の回復である。
いや、まだ秩序が乱された、と決まったわけではないが――
「乱された」可能性は高い。
そして秩序を回復するさい、「戦闘」が発生する可能性がある。相手がこれみよがしに銃をもっていたからだ。
ほんとうは、ぼくのもつ特殊なちからを、知られたくないのだけど――
すでにそのちからで遭難船の乗員1名を吹っ飛ばし、さらに死んだひとを蘇生させている。いまさら隠せるわけがない。
もう遠慮なくやろう。銃弾なんて跳ね返せる。身体を銃で撃たれながら、ゆっくりと相手を拘束しよう。
ぼくの前にすわる彼女に、いまの「重大な懸念点」についてつたえる。
彼女の表情が、すぐにかわる。その表情は、さっきまで真っ赤になっていた「女の子」じゃない。
「本船の、乗員の配置をおしえてください」
乗員配置――すなわち、「味方」が、どこにどれだけいるかを聞いてきた。
切り替えがはやいし、頭もよく回るように思う。一緒にきてもらっても、よさそうだ。
ただ、残念ながら――
「ほかにはいない。一人乗務だ」
こちらは彼女を含めてもふたりだけ。相手の人数は、そこに倒れている奴を含めて9名、こちらのおよそ4倍だ。
それを知っても、彼女は動じない。
よし、連れていこう。ここにひとり放置するのはかえって危険だ。「相手」の全員が操舵室にいるとは限らない。どこか別の場所に行っていた者がここに来て、このひとに危害を加える可能性もある。
せっかく生き返らせたのに、まただれかに殺されたのでは――たぶん、ぼくのこころがもたない。
このひとが撃たれるところは、みたくない。相手に拳銃所持者がいるから、ぼくのうしろに隠れてもらおう。
「きみはうしろから来てくれ。銃をもってるやつがいる、きみが当たると危険だ」
彼女はすこしいぶかしむような表情をみせたが、そのあと、なぜか納得したようにみえた。なにに納得したんだろう。
ひとまず、相手の銃はいわゆる「欠陥銃」であること、おそらく射撃の腕は素人ていどであること、この2点をつたえる。
彼女は――ぼくよりすこし身長がひくい彼女は、ぼくを見上げながらなぜかほっとしたような表情をみせる。ぼくとおなじ、宇宙のような黒いひとみ。
それがすこし、うるみかけたようにみえた――
通路から、高い靴音がひびいてきた。しだいに大きくなる。
それは「事態」が動き出したことを告げる音――
・・・・・・
通路のむこうから現れたそいつは、中年のやや細身の女。ぼくのそばの「味方」は、ジェスチャーで「銃はない」「腕力はよわい」と伝えてくる。ぼくは右手の親指をたてて、「ありがとう、いい仕事だ」とサインを返す。
ぼくはこの船の船長であり、ぼくの命令は絶対。ぼく自身がここの法律だ。だからいまここで、あの女を絞め殺すこともできる。
だが……理性ある船長として、いきなりあいつに乱暴狼藉をはたらくわけにもいくまい。まずは話をきいて、悪事の証拠をつかもう。
エアロックからでてみると、女は胸に星型魔法陣のマークがあり、さらに肩章等からみて、機関長らしい。ぼくがわざとらしく話をしながら、死んだはずのひとをエアロックから出てこさせたとき――あのぽかんとした顔は見ものだった。
機関長の発言からみて、ぼくはもう船長でないことになっているようだ。船長権限移譲は宣言していないので、そんなはずはないのだが。
機関長は、いやみったらしくこのぼくに言った。
「この船、あたしらが使うからさ。もうあんた、船長じゃないんだよね。これからしばらく、あんたはここで小間使いとしてはたらいてもらうよ。ただこの船、操舵システムが特殊らしくてさ、あんたから船長に説明してやってよ」
……ん? ちょっとまて。
操舵室を占拠されている、それはもう想定している。
だか「操舵システムが特殊」とはなんだ。
本船の操舵システムは、それ自体はほかの船と変わりがない。世界標準規格のものを搭載しており、通常の操舵操作はおなじだ。みればわかるだろう。動かすだけなら、なにも教えることはない。
ただ――
ただ、本船の操舵システムは、ときに激しい操作をおこなうぼくに合わせ、さまざまな設定変更をおこなっている。
あくまで平常時はほかの船とおなじ。だか急激な操作をおこなうと、それに応じて設定値が変化しモード切り替えが行われる。あらゆる場面を想定して、いくつもの設定を準備してあり、操舵システムが状況を自動判別して、各モードを全自動で切り替えるようになっている。
これは、ぼくのオリジナルだ。
このために、何度も何度も試験航海をして、絶対にまちがったモードに入らないよう、試行錯誤をくりかえした。いつ、どのモードに切り替わるか。いかにしてスムーズに設定値を変化させるか。専門業者に依頼して、特注のプログラムも入れたんだ。
そういう点では、特殊な操舵システムだ。この世に1台しかない、ぼくのシステムだ。
ぼくが「育てた」操舵システムだ――
ただ出航するだけなら、たやすい。通常の操舵モードで動作するから、航海士の資格さえあれば誰でも動かせる。システムの設定画面をひらく必要すらない。
でも、こいつは「システムが特殊」といった。
つまり、設定画面が開かれている。そこには、ぼくがここまで育ててきた、ぼく専用の、世界最高の操舵システムの設定情報が……
にぎった拳がふるえるのがばれないように、声を震わせないように――
「なに、操舵システムをひらいているんですか? だれか操舵席に座っている? いけません! あなた、はやく止めにいってください。許可してませんよ、それ、まずいです」
おまえ――このぼくの眼がみえないか。
「だーかーら、もうこいつはあたしらの船なんだよ。いまシステムを使えるように変更してるとこ。いいからはやく教えろよ」
設定を変更されている。
そうか、あんたのさいごのことばは、それでいいのか。
「聞いたぞ! てめえ痛い思いしたいんだろ、ほら味わえ!」
ぼくは腕力がよわい。こんな細い腕だ、当然だろう。
だから――
右の手のひらを突き出し、衝撃をぶつけるイメージ。なに、死にはしない。死ぬよりも、痛い思いをしてほしいんだ。さあ飛んでいけ!
「げぐっ――」
気持ちのいい声。
――ガゴン!
通路の壁は、大丈夫だろうか。
打ち付けた後頭部の髪がいくらか、付着している。汚ったねえ。クソババア、おまえあとできれいにしろよ。
まだ居るな、卑怯者が。
意識はあるが、立ち上がらない足元の機関士。痛いふりして、じつはこわいから立てないんだろ。小便でも漏らしたら写真をとっておくのに……いや、床に漏らされたら汚いからこまるか。
目の前にしゃがみ、目線をあわせる。ほら、だいじょうぶ、と笑顔をみせる。
「おまえは、これで勘弁してやる」
すでにいちど飛ばしたし、いちばんヘタレそうだから害もすくないだろうし……
右手で、側頭部をトン、と。
当たる瞬間、衝撃を――中にある脳を、揺らすイメージで。
上体が半回転、床に逆側の側頭部が衝突。ほら、みぎもひだりも、おなじくらい痛いね。ああ、気持ちいいくらい白目むいてる。
よし、処分完了。
・・・・・・
2名無力化。残敵7。
これは戦争じゃない。だから命だけは許してやる。
でも、もし目が覚めて、うしろから来られたら厄介だ。縛るもの、縛るもの――
いや、エアロックにぶち込もう。
ふたりの首をつかんで、ひきずって……あとは、ゴミ収集業者の動作。こいつらはゴミ、エアロックに「収集」だ。
放物線を描きながら、力の入っていないからだがふたつ、飛んでいく。べつにショッキングな光景じゃない。こんなの見慣れてる。
操作パネルの「閉鎖」ボタンを押す。船内扉が閉まり、ハンドルが「閉」位置まで回った。
「あの!」
急に声がかけられた。みれば、ぼくのひとりだけの「味方」が、恐怖の表情でぼくをみている。
どうして。きみは味方だ、攻撃しないよ。
「減圧は、だめです!」
減圧……なるほど、それが心配だったか。
ぼくの手元にある操作パネルには、たしかに「減圧」ボタンが表示されている。これを押せば、エアロック内の空気が抜ける。あのふたりは、窒息して死ぬ。
このひとはじぶんが痛めつけられるのではなく、あの2人のいのちを心配しているらしい。
「あはは、だいじょうぶ。いまはやらないよ。勝手に出てこられたらこまるんだ。ここに閉じ込めようと思ってね」
ぼくは彼女を手招きし、操作パネルをみせた。パネルには「減圧」以外のボタンも出ている。そのうちのひとつ……「緊急閉鎖」ボタンを指さす。
宇宙船乗組員である彼女なら、知っているだろう。エアロックの緊急閉鎖ボタンを押すと、システム上エアロックは破損扱いになって、扉は絶対に開かなくなる。
これは破損による空気漏れを防止するための動作だ。このボタン操作では、彼女が心配している減圧は行われない。
「これを使うんだ。閉じ込めるにはちょうどいいから。あとで復旧操作をすれば、またひらくし」
そう、あくまで閉じ込めるだけ。
しかし、なるほど。「減圧」か、考えておこう。
――いや、はやく操舵室を取り戻さないと。
「操舵室へ急ごう。きみは斜めうしろについて。相手が正面にみえたら、真後ろに。おれを盾にしていい。絶対に離れないで、あと――船内でうごくものは、おれたち以外は『敵』と認識すること」
ぼくの指示に、すこしけわしい表情をしながら、彼女が復唱を返す。
「移動目標、操舵室。配置了解。絶対に離れない、動くものはすべて敵。移動準備、できています」
完璧な返事だ。どこでここまで訓練を積んだのだろう。
これくらい言えるひとなら、居ても安心できる。
「行動開始、行くぞ」
操舵室へ――
ぼくの船を、勝手にさわるな!
・・・・・・
いきごんで進みだしたぼくたちは、すぐに障害にぶちあたった。
階段室だ。降りるときは何度か転げ落ちたが、こんどはのぼる。船内は、主制御システムによって、船底方向に1Gの人工重力が作用している。ふだんはいいが、階段昇降では、からだの重みが負担になる。
でも、ここだけ無重力にはできない……人工の重力もどきにさからって、無駄に体力を消耗する場所だ。
両側の手すりをつかんで、ハシゴにちかい角度の階段をのぼる。うす暗い階段室を、ひたすら上へ――
……あれ?
「うしろ」が、来ない。
振り向くと、彼女はふたつ下の階段の手すりにしがみつき、激しく息をきらしていた。
どうして。そんなに体力がないのか。
あ、そうか。このひとはぼくとは違う。ぼくみたいに人外のちからなんてないから、ぼくにはついてこれないんだ。
どうする……彼女は戦力的にはおおきくない。置いていくか。
ぼくは手すりをつかみ、うしろ向きに階段をおりた。この階段は本来、こうするもの。ぼくが操舵室を飛び出したあと、前向きにおりたのはほぼ自殺行為だった。そりゃあ転げ落ちる。
ぼくがすとんと踊り場に降りると、彼女も息をきらしながらのぼってきた。
だが、その場に座り込んでしまい、立ち上がらない。はあ、はあ、と荒い息をしつづけている。
「おい――、大丈夫か」
いまこうしている間にも、システム設定が変更されているだろう。ぼくの船が、きたない手でべたべた触られている。はやくあいつら全員痛めつけて意識をうばって、もういちど起こして、さらに痛めつけてやらないと、ぼくの気がすまない。
もどかしい。ここに置いていって、操舵室を制圧した後に再合流しようか。
「きみ、進めないか。ここで待つか?」
彼女は、まだ肩で息をしながら、こちらをみた。
なんだろう、ひとみに怒りがこもって――
――とつぜん、襟首をつかまれた。
これが敵なら、つかまれる前に腕を切り落としただろう。
だが、味方だったから、やられた。
あとすこしで、首を絞められる。
ネクタイとワイシャツの襟が、強く握られる。どうして――
――「射撃能力きわめて高し、されど周囲の警戒能力を著しく欠く」
むかし、ぼくに出されていた評価……そう、周囲の警戒は、いつもおろそかだ。
だから、今度も不覚を取った。
こいつは息をきらしたふりをして、ぼくを目の前まで来させ、油断して手の届くところまできたら、首を絞めようと……!
やられた、はめられた。
くそ、いまからでも、こいつの腕を切り落として……
――落とせない。
あのとき……このひとを抱き寄せたときの、からだのぬくもり。
吹けば飛び散りそうないのちが発する、あまりにも、もろいあたたかさ。
それが思い出されて――反撃が、できない。
――「情に流されやすく、敵に欺かれる危険大なり」
……敵、そう、いまぼくの首を絞めようとしているこいつは、「敵」だ。
落とせ、腕を――!
「な、なまえ……」
――!?
彼女はぼくの襟首をつかんだまま、怒りのこもった眼で、こちらをみた。
いやちがう、これは――
「わたしの、なまえ……おぼえて、ないでしょ……!」
「……?」
何を言ってる?
精神攻撃か。いや、さすがにこの発言では攻撃になってない。
まだ襟首をつかまれている。
……首を絞めにこない。
彼女は息をととのえ、ぼくの眼をみて、言った。
「あなた、わたしのなまえ、覚えてないでしょ!」
この眼は――「抗議」だ。
「あなたのなまえは7ST-7037、わたしはおぼえてる。無線できいた。あのとき、わたしもあなたにおしえたでしょ」
なまえ……え、なまえ?
どういうことだ、どういう状況だ。
いま言うことか、それ――!
「あなたはさっきから、『おい』とか『きみ』とか……いちども、わたしのなまえを呼んでない。おぼえてないんだ。ひどいよ!」
い、い、いや、確かにまったくおぼえてないけど、無線できいたあと、即座にわすれたけど……いや、ぼくはもともと、人のなまえを覚えるのが苦手で――!
ぐい、と、襟首ごと引き寄せられた。彼女のにおいがぼくを包んで、思わずどきりとする。
「ネクタイ、曲がってる。気になってしょうがない。船長さんなんだから、しっかりして」
彼女がことばを発するたびに、あたたかい吐息が、ぼくをくすぐる。
顔がちかい――う、動けない。
彼女はつかんでいた手をはなして、ぼくのネクタイをいじりはじめた。
「あれ……あれ、直らない。どういう結びかたしたの、これ」
それどころじゃない。息がくすぐったい。
考えが、まとまらない。思考が――もう止まりそう。
「え、ほどけた……なんで? あなた、ほんとうにどう結んでたの」
ことばを話さないで。まだすこし荒い吐息が、ずっとぼくの胸にかかってる。くすぐったい、耐えられない……
「ああもう、最初から……あ、またほどけた。ちょっとまって、いつもと逆だから、もう」
きれいな指で首元に触れられつづけて、のぼぜそう。
もうだめだ、手をはなして。
――ネクタイは、するりとほどけた。