第12話 死亡
ぼくは座席から飛び出した。
操舵室を駆け抜け、のろい自動扉をこじ開け、通路を突っ走る。
エアロック――前甲板、そのすぐ下だ。第3甲板前方!
せまい階段室を、駆けおりる。上部にある操舵室から第3甲板までの高低差は大きい。数段飛ばしで、いそぐ。
船に特有の急な階段――途中で足をすべらせ、踊り場に転げ落ちる。くそ、痛い。
たぶん怪我はない。痛むからだを起こして、また階段を駆けおりる。
2度、3度、踏み外し、転倒する。そのたびに、痛む箇所がふえていく。
……いま駆けつけて、どうなるのか。
たぶん防護フィールドは破れた。加圧が完了するよりもまえに。それをいまからどうするというのか――
階段室を飛び出して、第3甲板の通路を一直線に走る。前甲板エアロックまでは、それほど遠くない。
前方に、おおきなハンドルのある扉がみえた。あれが前甲板エアロックの船内扉。
加圧が完了したら、船内扉は内部からの操作で開けられる。なかの人間は、じぶんから出てこれる。
でも……いまそこにはだれもいない――
息を切らして、やっとたどり着いた扉に両手をたたきつける。
開閉ハンドル位置は――
――「閉」
まだ閉まっている。
圧力計を確認、内外の気圧差はない。すぐ横の操作パネルをみて、「解放」ボタンを拳でぶっ叩く。
モーター音とともに、おおきなハンドルが回りだす。おそい、いそげ。
――ゴン
ハンドルが「開」位置でとまった。
モーターで開こうとする扉のハンドルをつかんで思いっきり引く。分厚い扉が、ひらかれる。
「・・・、・・・・・・」
肩よりも伸びた、つやのあるくろい髪。真っ白いワイシャツに、きりりと締まったネクタイ。黒い上衣の袖に、金線が1本。その肩に、金線3本がならんだ肩章。左胸に銀の流れ星のバッジ。背中に、不釣り合いな黄色の救命具。船乗りにしてはめずらしい、膝丈よりも短いスカート。みがかれた革靴に、ぴたりと合った紺の靴下。
「それ」が、せまい縦型エアロックのなかで、くずれ落ちたように座りこんでいる。
ひざを横にまげて、腰が床についている。くたりとまがった背中が、左の壁面にもたれかかっている。両腕は力なく、右手は脚のうえに、左手は身体のむこうにある。深くうつむき、顔はみえない。
「・・・・・・、・・・、・・・」
声がでない――出すべきことばがない。
「・・・・・・・」
まったく顔をあげない。うごかない。
つまり――
「く、く、くそ――!」
――ドカン!
壁面のパネルをぶん殴る。細長いレバーが展開する。でてきたそのレバーを、渾身のちからで引く。
壁のパネルがひらく。なかに置かれている細長い物体を、乱暴に引き出す。黒いその物体は、エアロックの床にころがる。
その表面には、白い文字。
「非常用酸素供給器」
装置から黄色いマスクを引き出し、彼女の顔に――チューブの長さがたりない。チューブごと黒いボンベを引っ張る。
背中を支えようと手をまわす――くそ、救命具が邪魔だ。
救命具に装備された非常用ナイフを引き抜き、装着ベルトを切る。「7」と書かれた救命具を、エアロックの外へ放り出す。
背中から左腕まで手をまわすと、彼女の上半身が、ぐったりとぼくの腕のなかに入ってきた。
彼女の顔は、こんどは力なくうえを向いた。目をとじて、口を半分あけている。
鼻と口に、マスクを思い切り押し当てる。床に転がったボンベをチューブでたぐり寄せ、供給バルブをひたすら回す。気体のながれる音が、しだいに大きくなる。
これでもか、これでもか。ボンベ内の気体は――酸素は、たんさん流れているはずなのに。
左腕に、じんわりと彼女のぬくもりが伝わってくる。
はやく、目を覚ませ。
「だめだよ、きみ」
後ろからだれかの声がした。
振り向くと、エアロックの外に人が立っている。
若い男……といっても、ぼくとたいして変わらない。胸につけたバッジは銀の星型魔法陣。魔力機関を扱う機関士のマークだ。
よくみていなかったが、この人も救助した遭難者のひとりだろう。
「操舵室へ戻って来いって、船長が言ってる。戻ろう」
状況が見えないか。エアロック内に意識のない人間、それに非常用酸素供給器のバルブが全開。酸素のながれる音がきこえるだろう。
物静かな雰囲気の男だが、いい感じではない。この状況をみて、なぜそんなに落ち着いているか。あきらかな緊急事態が、目のまえで展開されているぞ。
「いま救護中だ」
「『救護』って……その機械、つかえないよ。ただ酸素を流すだけ。エアロックで事故おこして、それが役に立った例、きみも知らないでしょ」
そりゃあ、もう死んだ人間に酸素なんか送っても、意味はない。それぐらい知っている。
でもさっきから左腕に感じているぬくもり、これは――
「まだ体温がある。生きてるなら、酸素を送れば助けられる」
酸素のながれる音が、つづいている。これの中身、どれくらいあったか……いや、予備がある。いまから取り出して――
「それ、もう死んでるよ。体温はまだあるだろうけど、じきにつめたくなる」
なに――
「助けなくてよかったのに。あんなに無理して。けっきょく死んだんじゃ、はじめからやらなかったのと同じだよ」
急に何を言いだすんだ、この人は。
「なんというか……きみって痛い人だよね。『劇場型』っていうのかな、じぶんをヒーローかなにかと思いこんじゃってる。必死にヒーロー演じて無線で叫んでるの、みんな痛すぎて笑ってたよ。お芝居じゃないんだから」
――なにを!
――・・・・・・い、や・・・たしかに・・・、ぼくは、思いあがっていた、かも、しれない。
――「痛すぎて笑ってた」・・・・・・そうなんだ・・・そう、だろう。
「それ、乗組員じゃないよ。船長が用意してくれた、なんというかな、そう、みんなの性処理用の女なんだよ」
――?
なにをいってる?
急になにを言い出す?
「スカートはいてるでしょ、そこそこ短いやつ。宇宙船乗組員じゃ、本来認められないじゃん。階段とか急だし、機関室とか危険個所には入れないし」
……そういえばあの船長、「ヤっちまえばよかった」とか言ってた……あれはまさか、ただの悪態じゃなくて――
「『乗組員』じゃなくて、『性処理要員』。だから、そんなスカートはいてるんだよ。その女、船長の指示には逆らわないからね。そのきっちりした格好も、船長の趣味。階段とかで、みんなよく見てたよ」
これ……とんでもないやつを、救助相手に引き当ててしまったのか。
そうか。そんなことを――そんなことのために、このひとを。
このひとは、それを知っていただろうか。
さすがに、これでは男なんてもう信じることはないだろう。
――あれ
でも、このひとはぼくを信じた。
無線の呼びかけに応じて、がんばってくれたんだった。
エアロックからでてきたあの時、いのちの危機のなかで、じぶんから名乗って、ぼくの名前をたずねてきた。
ぼくが名乗ったら、「たいせつにおぼえておきます、ありがとう」って言ってたな。
そのあと、死ぬ確率がたかいぼくの「作戦」を信じて、このひとは走った。
このひとは……たぶんぼくを信じて、その「作戦」に身をゆだねた。
ぼくのことを、信じてくれていたんだ――
ぼくは痛い人間だったろう。ヒーローごっこだったろう。ぼく自身、自己陶酔していた感はぬぐえない。
でも、もしかしたら――確率は10パーセントもないと思うけれど……あのとき、ぼくは彼女にとって、ほんとうにヒーローだったのかもしれない。
「……」
ヒーローなんて、未経験だ。だから――
これから展開されるものは、きっと痛い光景になるだろう。
でも――
――ぼくはせめて、このひとにとってのヒーローに、なるべき、か……?
「……」
どうする――?
やってしまう、か?
ええいくそ、もういい!
「これ」、本当はやりたくなかったけど――
だからこの2、3年、ずっと隠してきたけど……
もうやってしまえ――!
「いまならまだ身体も柔らかいし、操舵室に持ってって、触れるだけさわって、写真撮って……船長、それけっこう気に入って――」
「うるっせえ黙れ!」
両手がふさがっている――ぼくは渾身のちからで相手をにらんだ。
相手のからだが、生じた衝撃波の直撃をうけ、通路の壁にむけ吹っ飛ぶ。
――ドガン!
「ぐ……え」
つぶれたカエルみたいな声をだして、そいつは床にくたばった。
「これ」をもっとはやくやっていれば――
ぼくには……彼女を、助けることができた。やろうとおもえは、じつは可能だった。
かつてぼくが所属し、脱走したある「組織」のなかで、ぼくは特別あつかいだった。
その巨大な「組織」のなかでも数えるほどしかいない、「異能持ち」と呼ばれる人員だったのだ。こんな、超能力まがいの力がつかえるほどの。
あのとき……このひとがエアロックからでられないと思ったとき、ぼくは操舵室を飛び出して、エアロックをこじあけ、このひとを片手でかついで帰ってくることができた。じつは、やればできた。生身で宇宙へ出るなんて、朝飯前だ。
でもそれをやれば、ぼくがふつうの人間でないことが知られてしまう。ほぼ不可能といわれるその「組織」からの脱走に挑んで、ようやくつかんだ、ふつうの人間として生きる時間――それは、ぼくがたどりついたせめてもの安息の場所だった。
「ふつうの人間」以上のちからを示せば、「組織」に探知される可能性はきわめて高い。ぼくは気配を隠すのがとてつもなく下手だ。ちからを使ったぼくを探知するのは、簡単だろう。
もしみつかって捕獲されれば、脱走員に対する措置は、ふつうに死ぬより何倍もむごい。
だから、ぼくは「ふつうの人間」ができる範囲内で、救助活動をおこなった。
その結果、ぼくが得たものが、このぐったりした女性ひとりである。
腕のなかの、彼女の顔をみる。まだ目をあけない。
いつのまにか、酸素がとまっていた。ボンベの中身は、とっくになくなっていたらしい。
これで目を覚まさないのだから、もうこのひとは死んでいる。
ごめん……
黄色いマスクを外す。
端正なかおだち……なめらかそうな肌、ながいまつ毛――
しかしまぶたは閉じ、そのひとみはみえない。
そっと頬をなでてみたい、大丈夫だよ、と言ってあげたい。
「……」
ごめん……きみの、たいせつなものを奪うけれど――
死んだあとにまで、きみは奪われることになるけれど――
「死んだひとを生き返らせる方法」……ぼくは、それができるかもしれない。
確証はない。いままで、殺すほうばかりやってきた。人のからだを治すのは、せいぜい打ち身かすり傷程度だった。
だけど、いつからだったか忘れたが……人にいのちを吹き込むこと――それをやるイメージができていた。
ぼくの「異能」のつかいかたは、おもに「イメージ」を発現すること。イメージできている動作なら、おおよそなんでもできる。なんでも、だ。
腕のなかにいる彼女は、ぐったりとちからがぬけていて、首は据わらず、口は半開きのまま。
――いまから「これ」を、「ひと」にもどす。
その、やりかたは――
顔をしっかりみて、いまひとときだけでいい、このひとに、全身全霊で心をとかして……
こみあげるいとしさで、こころをめいっぱいに満たす。
抱き寄せる。においがする。たぶんこのひとのにおい――でもべつに不快じゃない。なんだか胸がしめつけられるようだ。
ああ、きれいな唇――ほんとうに、いいだろうか。
さすがによくない気がして、袖でごしごしとじぶんの口をぬぐった。
――よし
顔を近寄せて、その気配を肌で感じるまで……
さいごは、目をとじて――
唇を、かさねた。
いままで、いちども感じたことのない感触。こころがあたたまりながら、しめつけられる。くちづけ……おもわず、ひとりでそのきもちにひたりかける。
が――
こうすれば、嫌でも気づく。
息を――してない。
やっぱり――死んでいる。
もうこのひとのたましいは、どこかへ消えてしまった。
だから……
「ぼくの」たましいを、このひとへ吹き込んでやる――!
人工呼吸の要領、でもほとんど吹き込まなくていい。必要なのはイメージだ。
かさねた唇から、ほんのわずかずつ、息をふきこむ。
この息に、ぼくのたましいをのせる。慎重に、慎重に――
たぶん、むずかしい。
そうとうな気持ちがないと、こんなのは成功しない。いや、ほんとうにできるかすらわからない。
何でもいい、このひとへの強い気持ち。つねにこころをいっぱいにして、絶対にそこからさめないように――
大丈夫――いまのきもちは、とてもいい。
ぼくはいまこのひとを、とてもいとしく思っている。
このひとをたいせつに思うきもちが、けずったぼくのたましいを息にのせ、ぬけがらになったそのからだに流れこませる。
おたがいが、溶けあうような感覚。
そうだ、それでいい。こうしていれば、ぼくのたましいはこのひとの乗り移るだろう――
おたがい目をとじたまま、唇をかさねて、その場に座り込んで……
――どれくらい、経ったか。
すうっ、と……
彼女の唇が、ぼくの唇を吸った。