第10話 切らない無線
「『救命7号』、船尾上甲板へ移動せよ、いそげ!」
ぼくは目の前の遭難船にむかって呼びかけを続ける。「彼女」が生きていて、この通信がきこえていれば、すぐ移動してくれるはず。間に合ってくれ。
しばらく間をあけて、もう一度。
「『救命7号』、船尾上甲板へ移動せよ、いそげ!」
もう移動を開始しただろうか。船内の状況によっては、あと3分の残り時間だと――きびしい。
「『救命7号』、船尾上甲板へ移動せよ、いそげ!」
きこえているかは分からない。きこえたとして、ちゃんと頭に入っているかわからない。何らかの原因で、思考に混乱をきたしている可能性もある。確実にわかるように、ひたすら同じ内容を連送する。
まだ生きていたのに、脱出できたかもしれないのに――唯一の下船手段だった救命艇を、勝手に降ろされた。
まだ艇に乗っていなかったのに、見捨てられ、ひとり船内に残された。
その恐怖と絶望は、いかほどのものか。
救命具の無線は、船外へは通じない。だから助けを求めることすらできない。自分の声が、どこにも届かないのだ。
いまぼくにできることは、せめて、こちらの声を届けることだけ――
「『救命7号』、いまはまだ間に合う。ただちに船尾上甲板へ移動せよ!」
すこし言葉を変える。機械的な連送はやめて、人間味をにじませる。この程度でも、せめて気持ちくらいは、助けになるかもしれない――
「『救命7号』、時間は残っている、船尾上甲板へ移動せよ!」
「救命7号」というコールサインは、彼女だけのものだ。「ぼくはあなたを呼んでいるのだ」と、つよく訴えかける。
計器盤に、緑のメッセージが点灯した。
前甲板エアロック、減圧完了。
ただちに船外扉を解放、識別灯の点灯状態を確認。準備はできた。
「『救命7号』、救助の準備はできている、至急船尾上甲板へ移動せよ!」
空がどんどん明るくなっていく。まだ出てこないか。こんなに呼びかけているのに。こんなに待っているのに――
「『救命7号』、こちらはあなたを待っている。急ぎ船尾上甲板へ移動せよ!」
外部モニターをのぞき込み、こちらの照明に照らされたむこうの後部甲板に目をこらす。まだ、動くものはみえない。
もういちど送信ボタンを――
――あれ?
光が……
みたくない――認めたくない。
右側から、外部モニターを通してぼくを照らす恒星の光を、みたくない。
「間に合わなかった」なんて、認めたくない。
あのクズ船長との問答が、時間のむだだった。ぼくがもっと強硬ないいかたをして、もっとはやく口を割らせていれば、時間の余裕ができていたはずだ。手際のわるいぼくは、最善手をうてなかった。
手がふるえる。ぼくが最善手をうたなかったせいで間に合わなかったとしたら――彼女を見捨てたこいつらと、ほとんど罪はかわらない。
刑罰のことじゃない。これは人間としての――良識と責任のある人間としての、罪。
無線――何と言えばいいだろうか。まさかここまできて、突然黙りこむわけにもいかない。彼女には、おそらくぼくの声しかきこえていない。ほかに頼るものがないはずなのだ。
震える手で、送信ボタンを押す。
せめて声だけは張り上げる。
「『救命7号』、まだ日はのぼっていない、急ぎ船尾上甲板へ移動せよ!」
――うそを、言ってしまった。
ほんとうのことを伝える勇気は、ぼくにはなかった。彼女がこのことを知ったら、「うそつき!」と、ぼくをののしるかもしれない。そしてぼくは何とののしられても、弁解できない。
どうする、つぎの無線は――
「『救命7号』、こちらはまだ待てる、急ぎ船尾上甲板へ移動せよ!」
うそはついてない。あくまで「こちらは」まだ待てる、と言っただけ。彼女が助かるかどうかは、言ってない。
もはやぼくには、うそをつく勇気さえない。
もし彼女が、まだ船内で生きているとしたら――救命具を使って無線をきいているとしたら。
いま、ぼくの声は、彼女のこころを支えているかもしれない。
でもじつは、その声はうそを言っていた。もう助からないことを隠していた。
本当のことを知ったとき、彼女は想像を絶する絶望のなかに墜とされる。
彼女は無線をききながら、脱出のすべをさがしているかもしれない。まだ希望をもっているのかもしれない。
だから、そんな彼女に無線をおくり続けている。
そうだ。ぼくは彼女がもっている希望を、じぶんの手で打ち砕くことが、こわいのだ。
外部モニターのむこうに見える船のなかで、彼女はもうすぐ、まるごと焼け死ぬ。もし、ぼくの言う通りに上甲板にでてきたら、その身体は一瞬で溶け去るだろう。ぼくはそれを、この特等席から見物することになる。
ん? ちょっとまて。
それにしては……
それにしては、妙に遭難船の船体がもちこたえている。あれだけ外板が壊れているのだから、熱が入れば崩壊がはじまるはずだ。
どうして耐えているのか、もう日は地平線から出ているのに。
――朝だから、まだ気温があがらないのかな。
もう馬鹿なことを考えながら、外気温度計を起動して、そもそも外気がないことに気づく。
かわりに外板温度計を見てみる。左舷は温度かわらず、右舷の温度は――
――上がってない。
どうして――?
ああ、そうか、そうなんだ――そうなんだ。
馬鹿みたいなことだけど、そう――まだ朝だから、温度があがらないんだ。
まだ日は出たばかり、光はよわい。だから熱がほとんど入っていないんだ。
右舷の温度計の指示値が、それをぼくに証明してくれている。温度は徐々に上がりはじめるだろうけど、いまなら、まだ――
いますぐ出てきてくれれば、助けられるかもしれない。
『「救命7号」、出てきてくれ、船尾上甲板へ!』
すこしずつ、外板温度は上がっている。さすがに、生身で外に出たら焼き肉になってしまう。
でも、救命具さえつけてくれていれば――
救命具は防護フィールドを張ることができ、それはさまざまな役割を果たすが、多少の熱入力に耐える機能もある。
出力を全開にすれば、すこしくらいはもつだろう。
むこうのエアロックから、甲板を走って、こちらのエアロックへ……そのあいだだけ、防護フィールドが熱で破られなければ――いける。
問題はフィールド強度と、バッテリーだ。
前者は単純だ。フィールドが、ぼくの思ったとおりにもちこたえるかどうか。途中で破れることもあり得る。もつかどうか、ぼくに確証はない。
あとはバッテリー。彼女はここまで、どれだけの電力をつかったか。そもそも、きちんと充電されていたか。全開にした防護フィールドは、かなりの電力を消費する。
考えてもしかたないか。どちらもここから確かめる手段がないんだ。
――そして、おそらくほかに助かる手段はない。
いけると思って、やってみるしかない。
右舷の外板温度計を再確認――よし、大丈夫。
『「救命7号」、まだ大丈夫、船尾上甲板へ急げ!』
うそじゃない。隠しごともしていない。ほんとうのことだ。
たのむ、出てきてくれ。姿をみせてくれ。
どうしてこうも必死になるのか自分でもわからない。ただ彼女は、こんなクズみたいな乗員たちのなかで、おそらく唯一のまともな乗員のはず。ここへ船を緊急着陸させた判断と腕前、そしてこのクズたちにひとりだけ置いて行かれてしまったことが、それを証明している。
きっと肩身はせまかったろう。こんなところで死なせられたら、浮かばれないなんてもんじゃない。
ほかの人たちは正直どうでもいいけれど、いまむこうの船にいる彼女は、たぶんちがう。
不定期航路なんて底辺職だ、まともな人間なんて、まずいない。
彼女がまともな乗組員だとしたら、それこそ荒野に咲く一輪の花だ。強く、懸命で、それでいて、うつくしい。人間的にうつくしいしい奴なんて、この業界にはいないと思っていた――
なんとか助けたい。いや、彼女は助からなければならない。こんなところで終わっていいひとじゃない。
「『救命7号』、時間はある! 船尾上甲板へ!」
まだ来ない。遭難船の後部甲板には、まったく動きがない。
それだけじゃない。こちらに灯火で合図を送ったのを最後に、船そのものが動きをみせていない。
灯火はすべて消えており、甲板の作業灯すら点灯していない。破損個所からのエネルギーの漏れ出しもみえず、見える限り、装備品もすべてうごいていない。死んでいるかのようだ。
死んでいる?
し……しまった――
まさか動力がとまっているのか。電力も落ちているのか。
動力系、電気系、エネルギー循環系――どこかに深刻なダメージがあった、ということなのか。
だとしたら、外にでられない。むこうにも、エアロックがあるのだから。
当たり前だ。船内から外にでるには、エアロックが必要だ。この星に大気はほぼないから、船内気圧――ほぼまちがいなく1気圧――からゼロまで、空気を抜かなければならない。
エアロックは、ふつうは電子制御。空気の減圧や加圧、扉の開閉まで、すべて。上甲板は無事にみえるからエアロックくらい動くだろうとおもっていたが、エアロック本体が無事でも、電力がないと動作しない。
扉の開閉と緊締・緩解は電動。いちおう、でかいハンドルがついているが、ふつう手では回さない。人間のちからで、動くものだろうか。
それと、減圧はどうする。扉がひらけば空気がぬけるだろうが、そのとき中の人間は無事ですむだろうか。しかも、もし船内扉があいたままだと、船内すべての空気が、エアロックに押し寄せる。
「……」
ぼくの「作戦」は、どうやらここで本当に瓦解したようだ。
まだ手段はある、だなんて、調子に乗っていた。かならず助けるだとか、ぼくが彼女を救い出してみせるとか――なんだその映画のヒーローみたいなやつ。
どうせぼくにそんなことはできない。いまからここを飛び出して、エアロックをこじ開けて、片手で彼女を抱えてかえってくるような大立ち回りはできない。
もう、あの後部甲板にはだれも出てこない。
そう思ってぼくは、とうとううつむいて遭難船をみるのをやめてしまった。
だから、ぼくは「兆候」を見逃しかけた。