第1話 出航
本作は元々投稿用ではなかったため、各所に不備があるかと思います。現在は他作品の関係もありあまり本作に時間を割けないため、特に手直しはせず投稿します。いずれ手直しした正式版を投稿します。本作はそれに先行する「β版」扱いとなります。なお結末はβ版オリジナルの展開となって完結していますので、本作のみでもひとつの作品として読むことが可能です。
第16793恒星系、第4惑星近傍、宇宙貨物船ターミナル――
『GSL209、こちらはターミナル管制。主機関始動してよし、航海情報は「B」』
「主機関始動してよし、航海情報「B」了解。GSL209」
本船「GSL209」に、主機関始動の許可が出された。
この船の本当の名前は他にあるのだが、いまは有人惑星でさえ記号と番号で呼ぶ時代だ。だれも名前を呼んではくれない。
船長はぼく、名前は「7ST-7037」という。はるか遠い星から来て、どこか遠くの海まで行きつくであろう、長い航海の途上にある。
本当の名前は、だれにも教えない。大切な名前だ、気安く口にさせたくない。ここの人間はみな記号の名前しか持っていないから、これでいいだろう。
管制指示に従い、主機関の始動を行う。
主機関はいま即時待機状態である。予熱と予潤滑、エネルギー循環は済んで――要はすでに「暖まっている」わけだ。すぐ始動できる。
主幹エネルギー系バルブを「解放」に、エネルギーポンプを「自動」に設定。2つある「始動」スイッチを同時に押し、左右の主機関を同時に立ち上げる。エネルギー流量が自動的に増やされて、待機状態だった主機関は駆動状態へ。機関制御盤に並ぶパラメータが一斉に上昇し、回転計の指針が動き出す。やがて船体の底から、うなるような機関音が聞こえはじめた。
機関回転数はアイドルで安定。温度は正常範囲内。有害物質の発生は検出されず。宇宙船主機関の法定稼働基準をクリア、始動手順は完了した。
操舵席のモニターを見ると、時刻は星系標準時19時55分。定刻出港だ。
無線送信して次の許可を求める。
「ターミナル、209。出港航路への港内移動許可を要求」
『――209、ターミナル。航路混雑のため、移動許可できない。次の指示を待て』
あれ、許可が出ない……? 普段は機関を始動したらすぐ、出発許可が出るはずなのに。
「『次の指示を待て』、了解。209」
ひとまず復唱して、背もたれに背中をあずけた。
なぜだ、航路混雑なら初めから分かっているはず。混んでいて出発できないなら、なぜ本船に主機を始動させたのか。ここでアイドリングしつつ消費するエネルギー代だって、タダじゃないのに。
それに、遅延も気になってくる。
出発が定刻より15分遅れると、「遅延」と判定されてしまう。直近1年間の運航のなかで、どれだけ遅延が発生したかは搭載コンピュータに記録され、「定時発着率」という形で自動的に公開される。「GSL209」のような小型船では、この成績しだいで貨物受注数が大きく変わるから、遅延はしたくない。
無線を聞いていると、混雑の原因は離岸中だった大型船がトラブルを起こしたからだと分かった。ちょうど本船が機関始動をしていた頃に起きたようだ。当該船は離岸時に操船を誤ったようで、船首を岸壁に当てそうになり、あわてて後進をかけたらしく、急速に後進してしまい出港航路まで入り込んだらしい。いまは港内で斜めになったまま停船しており、船首と岸壁の状態をしきりに問い合わせている。港内を航行中だった船の大半が進路をふさがれ、停止している。出港航路が空かないので、出港待ちの船がどんどん増えていく。
こちらは大迷惑だ。そういうことはやめてくれ。出港・入港は最も事故の起きやすい場面だから、マニュアルをよく見て、管制指示を漏らさず聞いて、計器表示をしっかりと見る。あんなでかい船なら、操舵室には少なくとも5人はいただろうに、誰もミスを止められなかったのか。
こっちは1人乗務の小型船。全てをぼくひとりでこなしている。それでも運航開始以来無事故で通している。あいつらは5人は居るくせに、どうして操船ミスなんかするんだ。
モニター内の時計表示を見ながら、表示盤の端を指でたたく。時間が、過ぎていく。
・・・・・・・
『――GSL209、港内移動を許可、離岸して、50メートルで停止、航路には入るな』
突然、本船向けの無線が入ってきた。時計ばかり見ていたぼくは、あやうく聞き流しかけ、あわてて応答した。
「港内移動を許可、離岸して・・・50で停止、航路に入るな、了解。209」
聞き取った指示にちょっと自信がなかったが、折り返しの無線がないので、復唱内容に誤りはなかったようだ。
時計を見ると、20時07分。定刻より12分遅れ。宇宙船の「出発」とは岸壁から離れる時間を指すから、いま離岸すればぎりぎり定刻扱いだ。助かった。もしかしたら、管制官はこの船の出港時刻を考慮して、いま離岸の許可を出してくれたのかもしれない。
離岸手順を開始する。岸壁との間のすべての索具、ケーブル、人道橋が外れていることを確認。支障物なし。スタンバイにしていたサイドスラスターを起動して推力を出すと、船体が動き出した。岸壁から50メートルだけ離したら、すぐに停止。
離岸は完了、指示待ちの態勢となる。こちらから離岸完了を報告しようかと思ったが、管制官はもたもたと無線で話す大型船に手を焼いているようで、やめておいた。
結局、大型船はいったん岸壁に戻った。ようやく空いた航路に、待たされていた出港船が押し寄せた。管制官からは優しさと人間性が消え、雑なロボットのような管制指示が延々とつづいた。
本船も許可を得て港内移動を再開し、他の船と列をなしてゆっくり進んでいく。
『GSL209、ポイントC4まで進んで停止、あなたの出港順は7番目』
「C4まで進んで停止、了解。209」
前に6隻いるようで、10分ほど待ちそうだ。1人乗務は気楽でいいが、こういう時にだれも話し相手がいない。寂しい、といえばそうだが――
――この「GSL209」を手に入れる前、とある組織に所属していた頃。あそこには人がたくさんいた。同じ船に、乗組員がたくさんいた。
でも、何年か在籍していて、私的な会話をした覚えはない。たぶんお互い、相手を人とは思っていなくて、自分だけが人間だと思っていたんだろう。ぼく自身だって、そう捉えていたのだから。
ぼくらはいわば、船の生体部品だった。
そんな風に、人の形をした部品と混ざっているよりかは、こんな小型船にひとりで乗っているほうがずっといい。
ああ、思い出すときりがない。あの頃は……そうあの頃は、ぼくは人の命を消すことが仕事だった。
ぼくは優秀だった。言い換えれば、よりたくさんの命を吹き飛ばすことができた。
相手が誰だったかは知らない。軍船を攻撃したこともあったが、明らかに民間船である船を撃ったこともあった。どちらにせよ、人が乗っていたのは間違いない。
だが、当時それは考えていなかった。人が乗っている船じゃない、あれは演習のマト。それだけ考えて、あとは無心でやることをこなしていた。相手のことを考えていたら、もつわけがないのだ、ぼく自身が。あれはせめてもの自衛だった。
あの頃ぼくが手にかけた人たちはどれくらい居たか……何百人か、何千人か。
――たったそれだけ……?
・・・・・・
『GSL209、ターミナル管制。ポイントC1で停止、無線切り替え、出発管制をモニターせよ』
「――あ・・・、C1で停止、無線切り替え、出発管制をモニター、GSL209」
いかん、出港中に余計なことを考えていた。
無線周波数を変更する。指示通りに無線を聞いていると、しばらくして管制官が呼んできた。
『GSL209、出発管制。出港航路へ入り、停止して待機せよ』
「出港航路へ進入、停止して待機、了解。GSL209」
ここで発生したトラブルと混雑のせいで、すでに1時間ほど待たされている。ターミナル管制官のおかげで書類上は定刻出発扱いになったが、実際の航海計画からは遅れて動いている。
この遅れを回復したいが、ただ速度を上げただけでは解決しない。
宇宙空間では、速度を変化させると航行する軌道が変わってしまう。本来の計画速力よりも増速すれば、予定の軌道からはどんどん外れていってしまう。宇宙は広いが、目的地まで到達できる軌道は限られている。
今回は航海距離がやや長いため、この1時間の遅れでも当初予定していた軌道に乗れない区間が発生しており、航法画面上には注意表示が出ている。このままでは目的地に着かない。
そうならないよう、航行中に新しい航路を設定して帳尻を合わせる。航海中、航海士の主な仕事はそういったものだ。
ぼくは「あの頃」の経験がある。そしてぼくはただの人間じゃない。だからその辺のありふれた航海士なんて、ぼくの前では何の役にも立たない。ついてこれるわけがないのだ。そんなものは、人の形をした「物品」でしかない。
この船は、そしてぼく自身は、ぼく以外の何者をも必要としない。
『GSL209、出発管制。出発航路支障なし、いってらっしゃい!』
「出発航路支障なし――」
復唱しようとして、管制官の意外な発言にとまどった。
「いってらっしゃい」――そんなことば、もう何年も聞いてない。
ぼくの船は不定期船だ。だからたぶん、二度とここへは帰ってこない。
それなのに……
推力レバーを前方に押す。2人乗務なら、もう1人がレバーに手を添えて補助するところだが、ぼくは1人だ。
レバー操作に応じた2台の主機関は、すこし遅れて回転数を上げ始める。
前方を見る。手元は見ない。
「――いってきます、GSL209」
無線の向こうの管制官が、隣でレバーに手を添えてくれている――空々しい錯覚を感じながら、主機関の推力に押されてぼくと船は外洋へ出ていった。