第5話
「白上! 体育祭の種目のことだけどさ……」
帰宅しようと思って教室を出たところで、クラスの友達に声をかけられた。
事故にあってから約2ヶ月。暦は10月に入って季節は秋だけど、俺は相変わらずリハビリを続けていた。
「は? 俺、どうせ走れねぇよ」
「ああ、うん。それは分かってるんだけど、それじゃあ、つまらないだろ。だから、走らなくていい種目に参加するのはどうかと思ってさ。せっかくだからメインで。応援団長とかどうよ?」
「……応援? 団長?!」
驚いた俺を、棚橋は爽やかな笑顔で応対する。
実行委員長をする責任感の強い優等生の棚橋は、担任の井上からの信頼も厚い。その上、押し付けがましいところがなくて女子からの人気も高いらしい。
どうせ、お節介な井上に頼まれたんだろう。
「体育祭は生徒全員参加だし、お前だけ不参加っていうのもな。怪我だからムリさせるつもりはないけど、応援なら出来るだろ? やってみないか?」
全員参加というのは、学校側が決めた強制事項だ。皆で楽しく、なんてもっともらしいことをいってるが、要するにサボる事は許さないってだけだ。
「井上の差し金か? 悪りぃけど、俺は、そういうのはパスだ。応援はどうせ全員でやるんだろ? わざわざ団長やる必要なんかねぇじゃねぇか。話はそれだけか? なら、俺は帰るぜ、じゃあな」
「あ、おいっ。白上! 一応、考えといてくれよっ!」
棚橋は、後ろから念を押すように言ってきたが、そんなこと考えるまでもなくNGだ。話を聞くだけ面倒だった。
今月末には一部の連中が妙に張り切ってる体育祭がある。足が完治していない俺に参加種目はない。体育の時間さえ見学しているんだ、当然といえば当然だろう。
そのことが、担任の井上には気になるらしく、何でもいいから参加しろとしつこい。
いいかげん、放っておいてくれと俺は思う。忙しい合間を縫って、わざわざ俺のこと考えてくれなくても結構だ。
リハビリもないのに、俺は早足で靴箱を後にした。
校門の所までくると、ラケットがボールを打ち込む小気味いい音が響いてきた。それは、随分と遠ざかっていた音だ。
自然と足が動いた。
学校の隣に設置されたテニスコート。近づくと、フェンスを通して長方形の砂地の領域が、まだ踏み荒らされる前の状態で広がっていた。
ボールの跳ねる音は、奥の方からリズムよく響いてくる。多分、誰かが一人で練習しているのだろう。
まだ、学校が終わったばかりで部活が始まるには早い時間だ。ストロークをする相手がいねぇんだろうな。
俺は、誰もいない方のコートに近づき、見えないように木の陰に身を寄せてコートを眺めた。
もう2ヶ月以上もコートには立っていない。走れなくなってから、ラケットも握ってはいなかった。
夏に出れるはずだった大会も欠場して、リハビリだと言ってはコートから逃げるように遠ざかった。
井上が俺を気にするのは、部活にも参加していないからだろう。直ぐに復帰できると思っていたのに、テニスどころかまともに走ることも許されていない。
俺の足は、本当に元に戻るのか?
命は奇跡的に助かったかもしれないが、その後遺症で一生走ることができねぇ……そういう事なんじゃねぇのか?
俺は、このままテニスを出来ないまま高校生活を終えるのか……。
ゾッとした。
テニス意外の部活動なんて想像できねぇし。
じゃあ、帰宅部のままってことか?
毎日ボーっと帰るだけの生活。
「俺は、何の為に生き延びたんだよ」
なあ? 守護霊さんよ……。
あれ以来現れない守護霊の女。街中でつい興奮して八つ当たりした俺に、愛想をつかして守護霊をやめたのかもしんねぇ。それとも、テニスが出来なくて悶々としてる俺の幻覚だったのか……。
今更、どっちだって違いはない。非現実的なもんに縋ろうとするなんて、俺はこんなにも弱かったのか……。
「智明っ? そんなとこで何してんだ?」
ビクッとして振り返ると、ラケットを持ったジャージ姿の影沼がいた。ボーっとしてた俺は、影沼が直ぐ傍まで来てることに気付かなかったらしい。
「……別に」
「見に来たのか?」
ラケットをさすりながら近寄る影沼は、いつもより話しずらそうだった。
「あぁ、まあ……そんなとこだ。お前は……サーブ? してたのか?」
影沼の額に汗がとめどなく溢れているのをみて、さっきから響いていたボールの音は影沼だったと気が付いた。
「まあね。誰もいないし、やる事ないから苦手なサーブ練習をちょっとな」
「そうか……」
二人で顔を見合わせて苦笑した。
影沼と言葉を交わすのは何日振りだろう?
特に話題もなく、俺たちは沈黙したまま突っ立っていた。
先に口を開いたのは影沼だった。
「……ボレーでもしていかないか?」
思い切って言ってみたというのが分かるように、俺の返事を待つ影沼はどこかそわそわしている。
ボレー練習なら走る必要はない。
だけど……。
「いや、遠慮しとく。アップもなしに体動かすのはちょっとな。それに、ラケット持ってきてねぇんだ」
言い訳だった。
「そっか、それじゃあ仕方ないな。また今度にすっか」
「悪いな」
影沼は明るく、いいよと笑った。
俺は、影沼に気を使わせたままその場を後にした。どこか後ろめたくて、気持ちが浮上しないまま俺は帰宅した。
「お兄ちゃん、おかえりーっ。頼まれてた本、部屋に持ってったよー。綺麗に使ってよねっ」
やたらと明るい3つ年下の妹は、友達と遊びに行くのだと言って俺の脇を駆け抜けた。俺が部活をやってる時は分からなかったが、妹の部活は1日おきらしい。
2階への階段を登り、西側にある俺の部屋へと向かう。夕方は、西日が差し込んで部屋が朱色になるが、それ以外の明かりは一切差し込まない薄暗い部屋だ。ドアを開けて正面にある机に鞄を置いた。気だるい体をベッドに沈めようと視線を移した時、俺はその先にあるものをみて固まった。
「あ。おかえり、智明」
「なっ!!」
綺麗に翼を折りたたみ行儀良く俺のベッドに座る守護霊の女。
何してんだ人の部屋で!? っていうかどっから入った?!
つーか、勝手にクッション抱えるなっ!
「えっとね、こないだはごめん。悪かった。分かったような事言って。で、色々考えてみて、あたしも智明の気持ちをもっと理解してみようと。だから、えっと……あーーーもう! ってか、スライスサーブ教えてくんない?」
そう言って笑った守護霊は、どっから持ってきたのかaccessとロゴの入った水色のラケットを俺に見せつけた。