第3話
女が消えた。
数日前に俺が体験した説明のつかない現象。
そいつに、俺は頭を悩ませている。イヤ、悩まされてるって言う方が正しいか。
目の前で俺に話しかけていたはずの女が消えたんだ、驚かない方がおかしいだろ。
「守護霊じゃねぇの?」
バニラのシェイクをズリズリと啜りながら、影沼が言った。
「霊感もねぇのに見えるのか? 霊が?」
「出来たんじゃない? よく言うだろ? 人間、一度あの世を彷徨うと霊が見えるようになるって。お前この間、死にかけたんだろ?」
確かに俺は死にかけた。らしい。
三途の川を見た記憶なんかまったくねぇが、生きてるのが不思議だったと言われたのは本当だ。
「迷惑な話だ。それに、あれ1回きりだぞ?」
「じゃあ、あれだ。ほら。お前があんまり不幸だから、ご先祖様が心配で来てくれたとか。事故にあって夏休みを棒に振った挙句に、まだ怪我が完治してないのにバスで事故に合うって、結構な不幸だよな」
「ほっとけよっ」
俺はジンジャーエールを喉に流しこんだ。
人間が消えたなんて話、親でも信じないだろう。絶対に事故の後遺症じゃないかって言われるに決まってる。
「けど、自分で守護霊とかって言ったんだろ? じゃあ、そうなんじゃないの?」
「そりゃ、そうだけど……」
何かがしっくりこなかった。素直に納得できるような話じゃない。
「あ、そうだ! あれだ、あれ。ええっと、占い師? とかに見てもらえばいいんじゃね?」
「あ? 霊媒師とか?」
「ああ、そうそう。それとか。一度試してみれば? 街とかに行けば通りとかに座ってるじゃん」
バニラシェイクがなくなったらしい影沼は、椅子に背を預けて壁に張ってあるサイドメニューを物色しているみたいだった。
「見てもらうって言ってもなぁ……それって女がやることだろ。日曜とか女の列が出来てんじゃん。それに並ぶのかよっ、ぜってーーーーーーヤダ!」
女に混じって列に並ぶことを想像したら、背筋に悪寒が走った。
ムリだろっ。
「そうかぁ? 男も結構いると思うけどなぁ。じゃあ、神社でお祓いとか? あ、守護されてるから祓っちゃいけないのか」
いいけどな。祓ってくれて。
「まあ、いいや。こんな事でいつまでも悩んだって仕方ねぇ。それより、そろそろ行こうぜ。買いに行くんだろ? ガット」
「ああ、まあ。もう、いいのか? 結局、解決してない気がするけどなぁ」
そう言いながらも、影沼の体は浮き上がって立ち上がる寸前だった。
「いい。自然現象とか錯覚で説明できねぇなら、もう分かんねぇ。それに、話したらなんか、どうでも良くなったっつーか」
「そうか? なら、良かったな」
もう影沼は立ち上がってやがる。本当は、早くスポーツショップへ行きたくて仕方なかったって事が良く分かる。
「んで、お前はガットを切らしたのは1週間で何回だ?」
「はははは。さあ?」
振り返らずに誤魔化し笑いをする。図星をつかれた時は、腹の底から笑うのがこいつのクセだ。
ファーストフードの店を出た俺たちは、歩行者天国になったショッピング街の車道を人を避けながら歩く。夕方まではホコ天になるから、その間は人通りが減らない。人とすれ違う度に肩を斜めに動かさねぇとぶつかっちまうのが面倒だった。
目指すショップは、メインの通りから少し外れた場所にあった。少し人の数は減るが、少ないわけじゃない。
「ちわーーーーっす」
自動ドアが開いた瞬間に影沼が声を張り上げる。当然、中にいた客の殆んどが俺たちを振り返る状況になる。
「おお。来たな小僧ども。青春してるか?」
「あはは、オヤジ臭いっすよ、三浦さん。今日も行って来たんすか? 波乗り」
「何言ってんだ、俺はまだ24だぞ。波乗りは、最近は行ってないなぁ。色々忙しくてよ。おう、智。そういや、智は夏の大会出たんだよな? 結果はどうだった?」
予想はしてたが、いざ聞かれると答えに詰まっちまう。
「あ、あぁ……えっと、俺、怪我しちゃったんすよ。運悪いっつーか、はは」
乾いた笑いしか出来なかった。
「そうか……そりゃあ大変だったな。怪我は治ったのか? まだ来年があるからな。諦めんなよっ少年」
「……はい」
三浦さんは俺の肩をバシッと叩いた。痛みの分だけ慰められてる気がした。
「んで、注文受けてたガット入荷してるぞ」
そう言って店の奥へ消えたショップのオーナーである三浦さんは、サーファーだけどテニスもプロ級に上手いらしい。自称だからホントのところは分からねぇけど。
店内は半分がサーフィンアイテムで、趣味でテニスもするからなのかテニスアイテムもそこそこいいものがセレクトして置いてある。
「お? 新しいラケット出てる。高いよなぁ新作…………これ結構いいかも。重心が先端にあるよ」
影沼は、勝手に商品のラケットを手にして振り回し始めた。
俺も夏の大会に向けて新しいラケットの調整したり、予備のグリップを用意していたが、無駄に終わった。今は、練習すら出来ない始末だ。
「おーい、ガットこれでいいかぁ? 貧乏学生だからなぁ、割引きしといてやるよ。5500円な」
「すんません~、いつもありがとうございます。えっと、金、金っと」
ガットは個人で買ってラケットに張るのが普通だ。だけど俺ら2年のメンバーは、影沼を筆頭にパワーヒッターが多いせいか、切れる率が高すぎて最悪毎日張り替えたりしてる。だから、全員で金を出し合って業務用を買うのが常だ。
「お前らさぁ、ガット切れすぎだぞ。テニスは力じゃないって事分かってるか? 小僧ども」
もっと言ってやってくれっ。三浦さん。ガット使用率が高いのは影沼なんだ。
「分かってるんすけどねぇ、力入っちゃうんすよぉ」
「はは、若いねぇ~」
「だから、オヤジ臭いですって。んじゃ、ありがとうございました。また来ます」
「おう。今度はガットじゃなくてラケット買いに来いよ」
買うもの買ったら影沼はさっさと店を出ようとする。でも、三浦さんは嫌な顔したりはしねぇ。大人だよな。
「智明、この後どうする? 俺、コート予約してあるから少ししか時間ないけど。買い物するなら付き合うよ」
部活がない日もテニスか。
「いや、俺もこの後リハビリあるし、帰るわ」
「そうか、じゃあ、帰るか」
本当はリハビリなんて予定にはない。けど、何となくそういう事にしておきたくなった。買い物するつもりで財布も持って来たのに。
俺は嘘をついたことに後ろめたさを感じながら、影沼と肩を並べて元来た道を戻った。