第14話
午前5時30分。目覚ましが鳴った。
腕だけを伸ばして、スイッチを切る。
かなり眠い。
早朝ジョギングをしようと思って設定しておいた目覚ましに、少しだけイラついた。昨日の夜は、ルカの事を考えていて、なかなか寝付けなかった。
当然、寝不足だ。
しかも、散々考えたけど、結論的には不明。
自称天使であること。
背中に翼が生えていること。
女であること。
それから、時々消えたりすること。
後は、ルカという名前だけ。
最後に会った時には、幸せか? と突然聞かれて。何が言いたかったのかは分からなかった。
重たい瞼をこじ開けて、俺はベッドから降りた。
ジョギング用のジャージが床の上に置いてある。せっかく走る許可をもらったが、袖を通す気分じゃない。
ベッドの脇には、母さんに見せてもらった紙切れが1枚。バス旅行の名簿だ。参加者の名前だけが印刷されていて、当たり前だが、詳しい住所や電話番号は載っていない。
月見里瑠夏。
これだけじゃ、何も分からない。旅行社に問い合わせたって、どうせ個人情報とか理由つけられて、教えてはもらえないに決まっている。
結局、行き詰まりだ。
三浦さんはアメリカに行っちまったし。いたって聞けるわけねぇけど。元カノは、月見里瑠夏って名前ですか? なんて。
そもそも、そんな事聞いてどうするつもりなんだ。
「何やってんだ……俺……」
急に全てがどうでも良くなって、俺はベッドに体を投げ出した。
ルカが誰かなんて知る必要ない。あいつは、天使なんだ。そう、言ってただろ。翼だって生えてる。だから人間じゃない。
じゃあ、俺は、天使にキスをしたのか?
いや、そうじゃない。そういう事じゃねぇ!
あいつが、何の為に俺の前に現れたのか。俺はそれが知りたい。
守護天使だと名乗ってまで。もっともらしく翼まで取り付けて。天使なんて、空想の存在でしか有りえねぇのに。
どうして、人間のままで俺に会いに来ない?
まさか、本当に天使でもあるまいし。
けど……。
夕日に照らされて、透明な涙を零したあの時のルカは、天使だと信じたくなるほど澄んだ瞳をしていた。
女の涙は苦手なはずなのに。
――ドクンっ
まただ。心臓が締め付けられる。
ルカが泣いたのは、俺のせいだから? 俺があいつを泣かせたから?
「……くっそっ!」
俺は、ルカの泣き顔を掻き消すように、ギュっと瞼を閉じた。
「やっべぇ! 遅刻じゃねぇかよっ!!」
銀フレームの壁掛け時計を見上げて、俺は叫んだ。一瞬目を疑ったが、確かに針は、7時50分辺りを進行していた。
急いで制服に着替えた俺は、ボタンを留めるのももどかしく、鞄とネクタイを引っ掴んで部屋を飛び出す。
せっかく早起きしたのに、結局2度寝しちまったらしい。
目が覚めた時には、カーテンの隙間から明かりが差し込んでいて、時間が経過していた事を告げていた。
転びそうになるのを何とか堪えて、階段を駆け下りる。
「智くん? 今日は遅いのね? 朝食出来てるわよ?」
「いらねぇ!」
朝食を取ってる時間なんか、あるわけない。
「えぇ! もう行くの? あ、待って。智くん。今度の日曜日、予定を空けといて欲しいの?」
「あ~?」
靴を履きながら聞き返す。
「日曜日。足が治ったみたいだから、お出かけしたいのよ」
「買い物なら美郷と行って来いよ。俺はパス」
「違うのよ。美郷ちゃんも行くけど――あ、智くん!」
ゆっくり話を聞いている暇はない!
俺は、呼び止める母さんの声を無視して玄関を出た。
走ろうとして、立ち止まる。
そういえば、もう、バスで通学しなくてもいいんだった。
俺は、再び玄関に戻って小さな鈴の付いた鍵を引っ掴んだ。駐車場の奥にある銀色の自転車に、それを差し込む。
「ギリギリだな」
気合いを入れてハンドルの握ると、今の俺に出来得る限りの力でペダルをこぎ始めた。