第10話
6-2で2回戦敗退。それが隣でブツブツ念仏みたいに何かを唱えながら素振りをする影沼の成績だった。
時間とか予算の関係で、1セットマッチのダブルストーナメント戦。
試合が短かったから反撃できなかったとかじゃなくて、俺たち高校生より数段経験値が上の青年軍団は、桁違いに上手くて話にならなかったっていうのが現実だった。それでも、パートナーの弘幸さんが影沼のノーコンぶりをフォローしまくってくれたおかげで、試合らしくはなっていたのが救いだ。
けど、足を引っ張るどころか、幼児が大人に手加減して遊んでもらっている様なレベルの差がありすぎるテニスを目の当たりにしたのは、分かってはいたけど、結構な衝撃だった。
「――スピードは十分だった、手首のひねりが足りなかったか……いや、コースがイマイチだったんだ。だから――」
試合を振り返って反省してるつもりらしい。パワーに拘るあまりに、コントロールが不安定になるのが影沼の弱点なのだが、本人はそれを受け入れない。どうしても、剛速球が打ちたいんだそうだ。
審判を任されてはいたけど、結局は青年軍団が爽やかに引き受けてくれて、俺たちはタダの見学者になっていた。
「負けて……悔しかったか?」
「は?」
影沼はキョトンとしていた。
そうだろうな。
「そりゃ、悔しかったさっ。やっぱり、経験が違うとこんなに差があるんだよなぁ。でも、俺のサーブも入ったぜ。見たろ? あれは爽快だったっ!」
やっぱそこなのか。
影沼は、またラケットを豪快にスイングする。
本当に悔しいと思ってるんだな、影沼は。あれだけの差を見せ付けられても、本気で勝つつもりでいたんだろうな。
でも、俺ならきっと……思わない。
パートナーにミスをカバーしてもらって、サポートしてもらって、挙句に決着まで付けてもらうって……何のために自分がいるのか分からなくなるだろ。その上で、勝とうなんて……そんな図々しいこと思えるわけがない。
あいつみたいに図々しい方が、テニスには向いてるのかもしれない。
そんなことを考えながら、図々しいことこの上ないルカの顔を思い出していた。
「おう、隆司っ。お疲れ様だったな」
本部のあるテント付近で休憩していた俺たちに声をかけてきたのは、試合を終えたばかりの三浦さんだった。
首にタオルをぶら下げて、まだ息が乱れたままだ。
「三浦さんっ、お疲れ様っス。3回戦終わったんスか? ってか準決勝どうでした? 勝ちました?」
「おうよ、もちろんさっ……って言いたいとこだけど、負けた」
「ええぇぇぇっ! マジっすかっ? ってそれ、相手どんだけツワモノなんすか!?」
三浦さんと手合わせをした事があるらしい影沼は、デカイ声で言う。おかげで、周りにいる人たちが振り返って爆笑している。
「はははははっ、何言ってんだっ。俺より強いやつなんてゴロゴロいるさ。あいつだって……お前とペアを組んだ弘幸だって、俺より全然上さ。インターハイにだって出場したことがあるんだぜ?」
スポーツドリンクを飲みながら、三浦さんがニタリと笑った。
「……すげー」
影沼は本気で感心しているが。
そんな高レベルな人たち相手に試合って。付いていけるわけないだろーがっ。
「といっても、まあ、過去の栄光だ。そんな俺らも、もうおっさんだしなっ!」
バンっと影沼の肩に平手を食らわせると、三浦さんは俺の隣の椅子に座った。
そして、怪我の調子はどうだ? と聞いてきた。
どうもこうもない。俺の答えはいつも同じだ。
「まあまあ、ス」
「そうか……お前さ、テニス出来なくて、腐ってるだろう? 隠すなよ、別に変な事じゃない。誰でもそうなるさ」
「……」
三浦さんにケガの事を悩んでるとは、言った覚えがない。じゃあ、顔に出てたとかそういうことか? テニスしたそうにしてたとか?
なんだかそれは、男として情けない気がする。
「別に腐ってなんかいないですよ。ただ、周りがごちゃごちゃうるさいだけで、俺は別に、何とも……」
思ってない。と言おうとしたけど、言い訳しているみたいで嫌になった。
本当は気にしてるくせに、それを言えないのは男だからか? それとも、プライドが高いせいなのか?
大人の三浦さんには、全部が見透かされてるみたいで悔しかった。
大きな溜息を吐いて、椅子にもたれた三浦さんは、俺の顔をちらりと見てから意を決したように口を開いた。
「俺さ……店をやめようと思うんだ」
「えっ……?」
突然のなりゆきに、俺はとまどった。何で急にそんなことを。
「でも、やめたっ!」
「は?」
三浦さんの言いたい事がなんなのか、全然分からなかった。
「俺さ、すげー大切なもん失って、それがないと生きていけないんだって、失ってから気付いて。どうせもう取り返しが付かないなら、いっそ全部やめちゃおうかって思ったんだ」
笑みが浮かんでるのに、声は辛そうだった。
「サーファーもやめちゃうって事ですか?」
後ろで聞いていた影沼が静かに聞いた。
「そう……でも考え直した。お前見たから」
三浦さんの視線の先にいたのは、俺だった。
「は……?」
なんで俺? 何もしてねぇし。
「お前が怪我して、好きなテニス出来なくてふてくされてて、それでも店に来てラケット眺めて悶々としてるの見たら、『何腐ってんだよっ、好きなら好きでいいじゃねぇかっ』 って言いたくなって。そしたら、それは自分も同じだなって思ったんだ。って、わりぃ。自分事なんだけどな」
鼻の頭をポリポリとかいて、三浦さんは続けた。
「だから、お前にも自覚させてやろうかと思ってさ。どれくらいテニスがやりたいかって事をさ。見てるだけじゃもどかしくてイライラするだろ? やりたいからイライラするんだ、できない事にな。だったらやればいい。上手い、下手なんて他人が決めたちっさい枠にハマる事ないさ。俺の場合はサーフィンだけどな」
三浦さんは照れくさそうに笑った。
それをわざわざ俺に伝える為に、テニスの試合を開催したんだろうか?
「まあ、俺もここいらで気分転換がしたかったしなっ、それで、仲間集めてテニスしてみたんだけど、結局は自分たちで楽しんでるだけなよなっ、はははっ。俺の大切なものは二度と取り戻せないけど、お前はまだ若いんだから、いくらでもやり直しがきく! 少年、小さくまとまんなよっ」
「は……うわっ」
くしゃくしゃと俺の髪をかき乱していった三浦さんは、次の試合の準備の為にコートへと向かっていった。
「三浦さんの様な人でも、出来ない事ってあるんだなぁ」
影沼は、走り去る三浦さんの背中に呟いた。