CASE.3 爆弾魔 後編
5
「本当の犯人を教えてください」
正攻法で、榊原悠に迫った。
「あなたの恋人と友人も、たぶん拉致されています」
「……だれに?」
「それが、松尾政孝です」
つまり、この榊原悠と知り合いなのではなく、殺害された──いや、罪状は傷害致死だから、その表現はまちがいなのだろう。死亡した被害者と、松尾政孝が知り合いだったのだ。
「もう一度確認しますが、松尾政孝という名前に心当たりはないんですね?」
結城が引き継いだ。
「知らない」
ひよりは、結城を見た。このあとの行動を彼女も決めかねているようだった。
「……」
しかし榊原悠の表情には、これまでになかったゆらぎがあらわれていた。推理どおり、親友か恋人の罪をかぶったのだとしたら、そのかばった相手が危険な状態にあるのだ。
「もう答えは必要ありません」
ひよりは、榊原悠に宣告した。
「どうするつもりだ……」
「あなたの告白がなくても、事件を解決してみせます」
ひよりは、あえて突き放した。
「行きましょう、結城さん」
「行くって……どこに?」
「わかりませんけど、とにかくこの人から真実を聞いたとしても、どうすることもできないんです。というより、真実を知らないほうがいいと思います」
「……いまの電話の様子で、なんとなくわかるけど……」
戸惑いを残す結城をつれて、刑務所を出た。
「つまり、榊原悠の恋人と親友も拉致されてるってことなんでしょう?」
とりあえす、結城の運転で警視庁方面にもどっていた。
「榊原悠の交友関係を洗い直したほうがいいわね」
「──その必要はありません」
ひよりは……わたしは、そう言っていた。
「もしかして、だけど……またヘンなふうになちゃってない?」
なっている。
『風土病』事件では、結城さんにも異変を知られている。桑島さんからは、どうのように説明をうけているのだろうか。
「あなたは……ひよりさんじゃないのよね?」
「結城さん、あなたは桑島さんの下僕なのだから、正直に教えてあげましょう」
わたしは、あまりの暴言に心臓が止まりそうになった。加奈さんは、これまにも辛辣な発言をしていたが、口の悪さは筋金入りのようだ。
「下僕って……」
「わたしは、この子のなかで生きています」
「二重人格?」
「いえ、それとはちがいます。生贄事件の犯人の娘──そう言えばわかるかしら?」
「……」
結城さんの瞳に、不安の色がやどった。恐怖に近い感情なのかもしれない。
「……あなたがひよりさんなのか、ひよりさんじゃないのか、いまは置いておく。で、この状況をどうするつもり? 風土病事件を解決したのも、あなたの力があったんでしょう?」
「賢明な人ね」
「真犯人を、どうやってつきとめるの? でもつきとめたら、松尾政孝に復讐されてしまう」
結城さんは、加奈さんのことを一人前の人格としてあつかうようだ。
「このさい、犯人がだれなのかは、置いておく」
あきらかに、結城さんの言葉を真似ていた。
ちょうど、警視庁に到着したところだ。
桑島さんの職場に入ると、佐野さんと、もう一人べつの女性が待っていた。はじめて会う女性だ。
「わあ……あなたが警視の……」
意味深な瞳で、ジロジロみられた。
「こちらは牧村さん。広報課の職員です」
佐野さんが紹介してくれた。
「ところで、結城さん……けわしい顔をしてるけど、受刑者から収穫はなかったということかな?」
「なんというか……管理官はどこまでご存じなのか……」
結城さんが、さぐるような視線を向けていた。
「佐野さんと直接会うのは、はじめてですね」
わたし=加奈さんが言った。
「はじめて? いや、さっきも会ってるし、以前にも会ってるじゃないか」
会話が嚙み合わない。
「いえ、あの……この人は……吉原ひよりさんではないみたいです」
「ん?」
「管理官は、桑島警視から話を聞いていませんか?」
「……なんの話だ?」
「わたしは、もう一人の吉原ひよりです」
佐野さんと、牧野という女性は、ポカンとしている。
「なにを言って……」
「加奈といいます」
「加奈?」
「その名前の少女をご存じですよね?」
佐野さんは、驚きに眼を見開いている。
「驚くのはあとにしてください。いまは桑島さんを救出することを考えなくては」
このなかで一番冷静なのは、わたし=加奈さんなのかもしれない。
「管理官……どうやら、こういうことみたいなんです──」
結城さんが、状況を説明していく。
「やはり冤罪ということなのか?」
「はい」
「犯人は、恋人か友人のどちらかで、その二人も拉致されていると?」
「はい……」
同意を求めるように、結城さんは視線を向けていた。
「犯人を特定してしまうと、桑島さんを拉致している松尾政孝──カムロと名乗っているようですが、復讐をとげてしまうでしょう」
わたし=加奈さんが、的確に説明していた。
「……しょうがないな、正式な捜査にするしかない」
「それには賛成できません。桑島さんがどこにいるのかもわからない」
「だから人員をかけるんだ」
「ははは」
その笑い声に、みんなが呆気にとられていた。得体の知れないものを見る眼つきをしている。
普段のわたしは、こんな陰謀めいた高飛車な笑い方はしないし、できない。
「佐野さんは、キャリアのなかでは融通のきく方だと思っていたのですが、わたしのかいかぶりだったようですね」
なんて失礼なことを言ってしまったのだ。
背筋が凍えた。
「わたしなら、一時間以内に解決することができます」
さらに、なにを言い出すのだろう?
「……念のために聞くけど、どうやって?」
「これです」
わたし=加奈さんは、携帯電話をかかげていた。
「通話記録を解析するんですね?」
牧村さんが言った。
「でも、そんなことで居場所が特定できますかね?」
異を唱えたのは、結城さんだった。
「松尾政孝という人物は、かなり狡猾な印象があります。そこまで計算しているはずです」
これはわたしの想像だけど、結城さんと牧村さんは、あまり仲がよろしくないような……。
「案外、そこは抜けてるかもしれない」
「いいえ、そんなの安直すぎる!」
言い合いをはじめてしまった。
「解析する必要はありません」
冷ややかに言ったのは、わたし=加奈さんだった。
「じゃあ、どうするというの?」
結城さんは、少しイラついているようだった。年下の傲慢な態度に腹が立っているのだろう。とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「直接、交渉します」
わたし=加奈さんは、簡単な問題を解くように言った。
「どういうこと?」
「ですから、これからやることを黙認してください」
佐野さんに告げていた。
「……」
「止めてもムダですよ」
「わかった」
その決断に、結城さんたちが唖然とした顔をしていた。
「管理官!」
「事件化するにも、時間が経ちすぎてる。つまり、おれの責任問題になるわけだ」
「そうです。佐野さんが責任を逃れるためには、事件をすみやかに解決するしかない」
わたし=加奈さんは、平然と言った。
「打算こそが、人間を突き動かす最大の原動力です。佐野さんのそういうところを尊敬いたします」
断じて、それはまちがっている。だが、その意思表示ができない。
「では、やらせていただきます」
わたし=加奈さんは、携帯を操作していた。
「桑島さんですか?」
『きみは……』
桑島さんは戸惑った声だった。
「やっぱり、わかりましたか。そうです」
それだけで、桑島さんなら理解できただろう。
「カムロさんでいいんですよね?」
次いで、松尾政孝に呼びかけていた。
『はい』
返事があった。刑務所での通話では口出ししてこなかったから、わたしは不気味なものを感じていたのだけど……。
『なにかよからぬことを考えているんじゃないでしょうね?』
いまの桑島さんとの会話から、そう予感したのだろうか。
『警察が組織的にここへ押し寄せたら、桑島誠一さんは、死ぬことになる』
「警察がそちらに行くことはありません」
『それが賢明です』
「そのかわり、わたしが行きます」
『お嬢さんが?』
「はい」
『見上げたものだ。愛する人を救うために?』
「ロマンチストなんですね」
『きみがね』
「わたしは、冷たい女ですよ」
『ふふ、おもしろいね……きみは』
「どうですか? この話にのりますか?」
『ここに来る理由は?』
「犯人がわかりました。そこにいるんですよね?」
『……ほう』
感心している声音が耳に響いた。
『では、犯人の名前は?』
「名前は知りません。ですが、そこに二人いますよね? そのうちの、どちらかです」
『ずるいですね』
「いいえ、ずるくありません。いまの時点では、わからないのです」
『それでは、犯人はわかっていないということになる』
「ちがいます。わかってはいます」
まるで、禅問答のようだった。
『どういう意味ですか?』
「犯人の特徴を聞きました。榊原悠から直接です」
榊原悠に会っていたことは、松尾政孝も知っているはずだ。
『では、それを教えてください』
「とても抽象的な表現でしたので」
『どのような?』
「森に沈む暁光のような背中をしているそうです」
『……きみにも理解できないんじゃないですか?』
そのとおりだ。
「いえ、わたしには理解できるような表現をしたのだと思います。とても文学的な方でしたから」
『嘘はやめてください』
「ほかにもこう言っていました。種火を金星の土で湿らしたような膝をしているらしいです」
もはや、真剣に口にしているのかを疑うレベルだった。それがわたし自身の口から飛び出しているというのが、恐ろしい。
「ね? わたしが、直接その人を見ないとわからないでしょう?」
『あなたなら、わかるというのか?』
「わたし、詩人ですので」
なにを言っているのだ。
『まあ、いいでしょう。ただし、きみ一人だけですよ。少しでもほかの人間の影を感じたら、愛しの桑島さんは、ドカンだ』
「わかっています」
『これから言いますが、聞いているのはきみ一人でしょうね?』
「はい。スピーカーにもしていません」
『場所は──』
都内某所の住所が耳に流れた。
通話を切った。
「場所はどこ?」
「いえ、それは言えません」
「まさか……きみ一人で行くつもりじゃないだろうね?」
「もちろん、一人で行きますよ」
「……そんな危険なことはさせられない」
「だれといっしょでも、危険なことにかわりはありません」
「むこうは、きみの顔を知らないかもしれない」
「なるほど、女性警察官をかわりに──と考えているんですね? 高卒であれば、わたしのように若い警察官もいますからね。ですが、その策には穴があります」
「声だろう?」
「はい」
わたしは、二人の会話を呆然と聞いていた。
「わたしに、まかせてもらいます」
わたし=加奈さんは、歩き出していた。
「待って!」
結城さんが追いかけてきた。
廊下のさきにエレベーターが見えた。ちょうど扉が開いた。一人が降りて、すれちがうようにわたし=加奈さんが乗り込んだ。なかには、もう一人が乗っていた。
その乗っている人物の奥へ入り込んだ。なにごとかと、訝しげな顔をされた。
「待って、わたしも乗ります!」
追ってきた結城さんのために、乗っていた人物は「開く」のボタンを押そうとしていた。
「ごめんなさいね」
わたし──いいえ、加奈さんがそうつぶやいたと思ったら、乗っていた人物を突き飛ばしてしまった。
なんてことを!
外に飛ばされたその人と結城さんが、ぶつかった。
わたし=加奈さんだけを乗せたエレベーターの扉が閉まった。下降をはじめた。
一階につくと、すみやかに外へ出た。後ろを振り返ると、結城さんが怖い形相で走ってくる。
「しつこいわね」
冷酷な響きすらある加奈さん=わたしの声を聞いて、少しゾッとしていた。エレベーターで突き飛ばすまえも、至極冷静に行動をおこしていた。
地下鉄の入り口を降りた。
駅のホームに逃げ込むと、ちょうど電車が来たところだった。エレベーターもそうだが、加奈さんのそういうタイミングは神がかっているのではないだろうか?
「いえ、これはあなたの仕業よ」
え?
いま、だれに言ったの?
わたし=加奈さんは、わたしの疑問をなかったことのように、電車に乗り込んだ。ちょうど扉が閉まったときに、結城さんの姿が窓の外に見えた。悔しげな顔をしていた。
あろうことか、わたし=加奈さんは、バイバイというふうに手を振っていた。このあと、なんてあやまろう……。
二つ先の駅で降りた。
そこからはタクシーで目的の場所へ向かった。
カムロこと松尾政孝は、墨田区にある雑居ビルの名を口にした。正式名称ではないだろうが、『お化けビル』というらしい。
タクシーの運転手がそのビルのことを知るよしもなく、一旦、押上周辺で降車した。
お化けビルを調べる方法は、どうするのだろう?
「SNSで調べれば、わかるでしょう?」
加奈さん……。
まちがいない。わたしの疑問に答えているのだ。それはつまり、わたしと会話ができるということだ。
加奈さん、いますぐわたしとかわってください──。
「ええーと、お化けビル……と」
わたしの声を無視して、加奈さんは携帯で検索している。わたしの声が聞こえているはずなのに。
それとも、聞こえていないのか?
「そうですね……わたしにもくわしいことはわかりませんけど、たぶん……疑問、質問だけは聞こえるようですわ」
では、それ以外の意思疎通はできないということなのだ。
「あった……錦糸町」
ちょうど、やって来たタクシーに乗り込んだ。連続でタクシー移動をしていることになる。
「ここに行ってください」
運転手に携帯をみせて、わたし=加奈さんがそう伝えた。
五分もかからずに到着した。
「どうやら、暴力団と中華マフィアの抗争で死者が出たみたい。その後は貸し手もつかず、ビルのオーナーも投げ出して、廃ビルのようになってしまった……」
加奈さんは、わたしに説明してくれたようだ。だけど、検索して知り得た情報は、同時にわたしも眼にしていることになる。
「ここでまちがいなさそうね」
わたし=加奈さんは、ビルのなかへ足を踏み入れた。
廃ビル、という雰囲気ではなかった。飲食店だったと思われる店舗が一階フロアに並んでいる。まだ営業前なだけで、いまでもやっているのではないかと錯覚するほどビルの内部はきれいだった。すくなくとも、ちゃんと管理は行き届いているようだ。
すべての扉には鍵がかかっているので、各店舗の内部は確認できなかった。
このビルは五階建てのようだから、上の階へ向かった。エレベーターは動いていないので、外階段であがっていく。
二階、三階、と階数が上がっていくほどに、逆に汚れているようだ。不思議だった。四階では、落書きのほか、扉も強引に開けられ、店内は荒れ放題だった。
「このビルの構造がそうさせているのね。下層階は通りから丸見えだから、侵入してイタズラをすれば、すぐに通報されてしまう」
加奈さんは、その見解を口にした。これもわたしに聞かせたかったのかもしれない。
しかしそれがわかっても、あまり意味はない。いまは桑島さんをさがすことが先決だ。
四階から、さらにあがった。だが、五階への扉が開かなかった。
「どうやら、ここみたい」
ドンドン、と金属製の扉を強く叩いた。
いまのわたしに痛みはない。だけど、いつものわたしなら怪我をしてしまいそうな叩き方だ。
「来ましたよ、開けてください!」
もうやめて! 自分の手が心配になって、叫んだところで、カチッと音がした。鍵が解除されたのだ。
わたし=加奈さんが、扉を開けた。
眼の前に、二十代の男性が立っていた。わたしは松尾政孝の容姿を知らないから、断言はできない。
「あなたが、カムロさん?」
「そうです。はじめまして」
わたし=加奈さんは、軽く会釈をした。
松尾政孝は、人を拉致して爆弾をしかけるような人間には見えなかった。ただし知能犯になら、こういう男性がいてもおかしくはないと、わたしは感じた。現に、詐欺の犯人ではあるのだけど。
「桑島さんは、どこですか?」
「まだ会わせるわけにいきません」
廊下の左右に、いくつかの部屋ある。そのどれかに監禁されているはずだ。
「では、べつの二人に会わせてください」
「それを待っていたんですよ」
カムロが、一番奥の扉をあけた。
わたしの予想は、はずれていた。
そこにいたのは、男性二人だ。うまいぐあいに首と両腕、腰がイスにくくりつけられている。これでは身動き一つできそうにない。
でもどういうこと?
真犯人は、榊原悠の友人か、恋人だったはず……。
「いまどき、めずらしくもないですわ」
独り言のように加奈さんはつぶやいた。わたしへの言葉だ。疑問だけは、わたしの声が聞こえるのだ。
いまどき、めずらしくもない……。
そうか。榊原悠の相手は、男性だったというわけだ。
「どちらが友人? どちらが恋人?」
加奈さんは、二人に問いかけた。が、答えは期待できない。二人とも猿轡をされているからだ。イスから立てないとはいえ、電話ができた桑島さんにくらべると、かなり厳重な拘束だった。
「それすらわからないのですか?」
「言いましたでしょ。背中と膝のことしか聞いていません」
「いいですよ、そんな嘘は。ぼくもね……きみに会ってみたかったんだ」
「あら、光栄です」
「ですが、犯人がわからないのなら、桑島さんには死んでもらいます。もちろん、これから犯人を特定できれば、そのがきりではありませんが」
「わたしが来たのですから、犯人はすぐにわかります」
「すごい自信ですね」
本当にそのとおりだ。
「事実ですから」
「桑島さんが解き明かすということですか? それともあなたが?」
「わたしと桑島さんの二人です」
うまい、と思った。そう言っておけば、桑島さんに会わせてくれるだろう。
「ですから、桑島さんと話をさせてください」
「できるじゃないですか」
え?
「そのために電話をもたせてるんですから」
わたしたちの思惑など、松尾政孝はお見通しのようだ。
「……」
わたし=加奈さんは、携帯を操作した。
「桑島さん、いまここに来ています」
『え? 一人で?』
いまそれを知ったということは、部屋の防音は完璧なのだろう。それとも、このビル内にはいないのか……。
「一人といえば一人です」
その言い方は、わたしたち二人という意味だ。桑島さんなら理解してくれるはずだ。
『眼の前に、真犯人かもしれない二人がいます。爆弾を仕掛けられているかわかりませんけど、身動きはとれません』
『そうか……』
「これから、どちらかを特定しようと思ってるんですけど」
『カムロの意味は、わかるかな?』
どういう意味?
「そういうことですか……」
加奈さんには通じるようだ。
わたしにはわからない。
「わたしはここまで。あとはまかせる……」
え?
急に、自身の体重を感じた。
「あれ?」
わたし=ひよりは、もどっていた。
『吉原さん?』
「は、はい……」
『吉原さん?』
「はい……」
『吉原さん……だよね?』
「そ、そうです……」
もどってしまったことは、理解してくれたようだ。
「どうした? 話はすんだか?」
松尾政孝には、どうやって答えよう……。
「ま、まだです……」
「どうした? さっきまでの自信満々な態度はどこへいった?」
それは、加奈さんだ──と訴えたところで、彼には通用しない。
「桑島さん、どうしましょう……」
『大丈夫、自分を信じて』
「もういいだろ」
耳から携帯をひったくられた。松尾政孝によって切られてしまった。桑島はすぐ近くにいるというのに、遠く感じる。
「さあ、本当の犯人はどっちだ?」
ひよりは、囚われている二人を凝視した。
名前も知らない二人だ。
すがるような四つの瞳が見返している。
腹をくくるしかない。
「どちらが恋人ですか?」
「やっぱり、わからないんですね……」
「口を隠されてるし、わたしはそもそも二人の顔もよく知りません」
ここは正直に言っても問題ないはずだ。
「右ですよ」
あっさりと教えてくれた。そもそも松尾政孝は、ひよりが本当に真犯人をみつけているとは思っていないのだ。
「左の男性が、友人ということですね?」
あたりまえのことを確認したが、少しでも時間をかせぎたいからだ。
「ええ」
「……」
「では、犯人はどちらですか?」
「……殺害されたのは、あなたにとって大切な人だったんですか?」
「それも知らないんですか?」
「はい、知りません」
ここも正直に答えた。
「……まあいいでしょう。大切、ですか……大切といえば大切なんでしょうね」
なんだろう、その言い回しは?
「殺されたのは、商売敵でね。つまり、そいつも詐欺をやってたんですよ」
「仲間ではなくて?」
「仲間どころか、一度は殺し合いをしようとしていたぐらいだからね」
「……それなら、こんなことをする必要はないんじゃないですか?」
「いやほら、ライバルがいなくなるとさ、ぽっかりと穴が空いちゃうことがあるじゃない」
そんな心の揺れぐあいを語られても、共感できるはずがない。
「だからこんなことを?」
怒りが込み上げてきた。
「だからこそですよ。空虚とは、絶望に近い。その感情を打破するには、これが必要だったんです」
「どうして、桑島さんだったんですか?」
「優秀な警察官といえば、桑島警視でしょう」
たしかに、生贄事件や吸血鬼事件が話題になったから、桑島に白羽の矢がたったのも不思議ではない。
だが、ほかに理由はないのだろうか?
「……それだけですか?」
それについては、答えてくれなかった。
「そんな話より、真犯人を答えてもらいましょう」
「わたしが答えたら、どうするんですか?」
「もちろん、殺します」
「……」
「もしきみがまちがえたら、きみのせいで無実の人間が死ぬことになる」
「それなら、教えるわけにいきません」
「桑島さんが死にますよ?」
ずるい。
いや、そんなことは最初からわかっていたではないか。
そのうえで、どう切り抜けるべきなのか。
(どうして加奈さんは……)
自然にもどったのではなく、彼女は故意に入れ替わった。こんな大事な場面にこそ、彼女が必要のはず……。
それなのに、なんの役にも立たないわたしに──ひよりは、そう考えずにはいられなかった。
理由があるはずだ。
「……」
桑島は彼女との会話で、最後に言った。
カムロの意味。
ひよりは、カムロという言葉の意味を知らない。だがそれは、彼女にだってわかるはずだ。それがとても重要なことなら、なんらかのヒントをあたえてくれなければおかしい。
それがないということは……。
「真犯人は──」
どっちにする?
「右の人です」
ひよりは、答えた。
「そうですか……では、この人を殺します。いいですね?」
「いいわけありません……」
「約束ですので」
「……」
松尾政孝は、リモコン装置のようなものを取り出していた。安直に予想をたてるとしたら、その装置のボタンを押せば、爆発するのだろう。
「では、死んでもらいます」
その言葉は、ひよりにではなく、選ばれた右の男性に向かって伝えたのだ。
その彼の首が、横に振られた。
「ううう、うう!」
叫びをあげているのだろうが、猿轡でそれができない。
どうする?
ボタンを押させないように抵抗するべきか。
「死ね!」
冷酷な宣告のあとに、松尾政孝はボタンを押していた。
右の男性は、絶望に眼を見開いた。
バン!
身体が震えた。
「……」
だが爆発音がしたのに、部屋のなかに異常はなかった。
「見えないか……なら、みせてやろう」
松尾政孝が、壁際に歩いた。
幕のようなものがかかってる。いや、それはカーテンなのだ。それをめくると、大きな窓が姿をあらわした。透明なガラスだ。外がよく見える。すでに陽が暮れかかっていた。
「もう一度、死ね」
再び松尾政孝が、ボタンを押した。
窓の外が光った。
バン!
「……花火?」
ひよりだけではなく、囚われている二人にも見えているはずだ。
「これは……」
頭が混乱していたが、さらに室内も混乱に包まれた。
「動かないで!」
大勢が部屋になだれこんできた。
先陣をきっていたのは、結城だった。
「抵抗するな!」
松尾政孝は、捜査員に囲まれていた。抵抗はしていない。
爆弾の起爆スイッチを結城が奪った。いや、松尾政孝がおとなしく渡しようにも見えた。
「結城さん……どうしてここが……」
「あなたの居場所なんて、携帯から調べることぐらい簡単なのよ」
言い聞かせるように、結城は語った。
たしかに、携帯の電源は入れっぱなしだった。いや、もしかしたら加奈は、だからこそ携帯を使用していたのかもしれない。
ひよりとの会話を打ち切って、結城は連絡を入れていた。
「佐野管理官、犯人を確保しました。はい、はい……桑島警視の保護はこれからです」
そして、松尾政孝に向き直った。
「警視は、どこ!?」
「あっちの部屋だ……」
すぐに、結城が向かった。その部屋は、ひよりがあたりをつけていた部屋と同じだった。
鍵はかかっていなかったようだ。
結城がなかへ入り、そのあとに数人の捜査員が続いた。ひよりも、急いだ。
桑島は、平然とした顔で座っていた。
「桑島さん!」
「ぼくは、大丈夫です」
結城が、座っているイスの底裏を確認した。
「いま爆破処理班を呼びます」
「その必要はありません」
「え!?」
ひよりは、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
桑島が、ゆっくりとイスから立ち上がってではないか。
バン! と外で音がした。
この部屋には窓がないからさだかでないが、同じように花火が打ちあがったのではないだろうか。
「カムロとは、花火の一種です」
「……桑島さんは、爆弾じゃないことがわかっていたんですか?」
「はい」
悠然とした天使のように、桑島は認めた。
「それじゃあ……どうして……」
ひよりは安堵とともに、怒りの感情もわきたっていた。
「ごめんなさい。でも、こんなことをした動機が知りたかった」
桑島のもとには、不可解な事件が集まってくる。それを突き詰めれば、動機の解明が難しい事件ということになるだろう。いわば桑島にとって、こういう犯人は絶好のサンプルでもあるのだ。
そう考えると、やはり桑島は一般人の感覚とはちがうところで生きている。
「あら、あなただって……」
「え?」
結城になにかを言われそうになった。
考えていることが表情に出ていたのかもしれない。
あなただって、普通じゃない──そう続けようとしたのだろうか。
普通じゃないのは加奈さんのほうで、わたしではない──そう言いたいのをこらえた。この状態を受け入れている自分も、普通ではない。
やはり、桑島とは似ているのかもしれない……。
桑島は、監禁されていたとは思えないようなしっかりした足取りで、傷害致死の犯人かもしれない二人が拘束されていた部屋に移動した。
すでに、二人の拘束は解かれていた。
松尾政孝は捜査員に囲まれていて、身動きのとれない状況だ。もう二人に復讐することはできないだろう。
「あれが爆弾じゃないと、最初からわかってたんだろ?」
松尾政孝が、そう問いかけた。
「カムロという名前でね」
桑島は、簡単に答えていた。
「どうして、つきあった?」
さきほど、ひよりに伝えた言葉を繰り返すのだろうと予測した。
「いろいろ考えてみました。ぼくを選んだのは、あなたではないですよね?」
「それも、お見通しか……」
どういう意味だ?
桑島が巻き込まれたのには、もっと裏があるということだろうか?
「ぼくを選んだのは、だれですか?」
「よくは知らない。ただ《参謀》という名前だ」
「参謀?」
「ああ。おれは真犯人の名前がわかれば、それでよかった。《参謀》は、そんなおれに今回の作戦を立案したんだ」
「どんな人物ですか?」
「これ以上は、なにも言えない。そういう契約だからな」
「いいなさい!」
結城が嚙みついた。
「黙秘する」
「どうしてですか? 命が狙われるからですか?」
たまらずに、ひよりは言葉をはさんでしまった。出過ぎたまねなのは、自覚している。
「そういうんじゃない」
松尾政孝は、もうそれ以上、なにも言葉を発しなかった。それは、その後の取調でもかわらなかったらしい。
6
カムロこと、松尾政孝は完全黙秘を通した
榊原悠がおこしたことになっている傷害致死事件については、再捜査が決まった。榊原悠の恋人である三木悟志と、友人である花尾祥太が、自分がやったと自供したのだ。しかも突発的な傷害致死ではなく、二人による計画的な殺人だったという。
今回の件で、相当な恐怖を味わったようだ。すらすらと罪と認めた。収監中の榊原悠は証言を拒否しているから、今後の展開は迷走することになる。
警察としては、捜査を進めるしかない。検察は、自らのミスを認めることになるので、消極的になる。裁判所も同じだ。再審請求は通らないかもしれない。いや、そもそもだれが再審請求を訴えるのか。榊原悠がそれを望まないのなら、事件はこのまま終わりということになる。
もしかしたら、松尾政孝はそれを明るみにすることで、司法・検察・警察を混乱させることが目的だったのかもしれない。
松尾政孝と被害者は友人でもなく、むしろ敵対していた。そのほうが、しっくりくる。そして、その立案を《参謀》という人物がおこなった。
参謀……。
風土病事件で、犯人が毒ガスを製造した場所を黙秘しているのに似ているような気がするのだ。
いや、それは飛躍しすぎだろうか?
* * *
ひよりは大学から寮への帰り道で、あの女性と会った。
「元気してた?」
その女性は、さらりとそんな挨拶をした。
「……」
「どうしたの、怖い顔」
「……立花さん、でしたよね?」
たしか、立花渚沙という名前だったはずだ。本名なのかはわからないが。
「覚えててくれたんだ」
「……まさかとは思いますけど、今回の事件にも、あなたが?」
「それは誤解よ。あの風土病事件も、吸血鬼事件も、わたしはなにもしていない」
「でも、知ってはいるんですよね?」
「さあ、どうかな」
そのとぼけ方は、むしろ清々しいほどだった。
「あなたが……《参謀》ですか?」
「まさか」
立花渚沙は、オーバーアクションで答えた。
「知ってはいますよね?」
「今日はここまでよ」
塾の先生のように、彼女は言った。
歩き去っていく姿を眼にしても、焦る気持ちはわかなかった。どうせ、またすぐに現れる。あの女性は、ひよりにとって──いや、ひよりと桑島にとって鍵となる人物なのだ。
そのことだけは、鮮明に予感していた。