CASE.4 病院霊 中編
3
深夜になってから、急な呼び出しをうけた。桑島の職務上、そういうことはめずらしい。
結城の母親が入院する病院で、事件がおこったという。
病院に急行した。桑島が到着したときには、すでに結城も来ていた。捜査一課の彼女は、こういう呼び出しには慣れているのだろう。
「被害者は?」
「被害者かどうか、まだわからない」
答えたのは結城ではない。佐野だ。キャリアである佐野が臨場することはめずらしい。
「おまえが首を突っ込んでる病院で死亡者が出たんだから、うちが出張ることになった。事件とはかぎらない」
つまり、事故や自殺の可能性もあるということだ。
深夜の病院とは思えないほどに、中庭は明るくなっている。捜査員と鑑識も大勢いるから、とても騒がしくなっていた。
病室から見下ろしている視線が、いくつもあった。
倒れている遺体を確認した。
「あの医師です」
結城の声も重かった。
山根だった。
「死因は?」
「転落死だと思われます。脳挫傷になるでしょうか」
頭部から出血がある。
「どう思う?」
佐野の問いかけに、桑島は即答できなかった。
「おまえが調べてた人物なんだ……簡単に自殺や事故だと断定はできないな」
「……」
表立って捜査一課が動くことはないだろうが、このまま所轄署に判断をさせることはないだろう。つまり桑島が裏で動くことになる。
「まさかとは思いますけど……あの騒動が関係しているってことは、ありえませんよね?」
結城の表情は硬かった。
「考えようによっては、過剰に反応していたともとれるね」
「幽霊に?」
桑島はうなずいた。
「これで、そのバカげた噂話についても捜査しやすくなったな」
佐野の指摘は、不謹慎なものだった。
4
「ここの先生が亡くなったんですってね」
翌日──いや、あのときはすでに日付が変わっていたから、その表現はまちがいか。
とにかく朝から病院を訪れると、まずは結城の母親の病室に顔を出した。
「はい。その捜査もすることになりました」
「まあ……」
「山根先生について、知っていることはありますか?」
「いえ、わたしはよく知らないんですよ」
「なんでもいいから、山根医師についての話はない? 噂でもいいから」
結城が、かわりに追求していた。昨日までの幽霊捜査よりは、やる気が出たということだ。
桑島は、表情で彼女をたしなめた。
「山根先生のことじゃなくてもいいですよ。なにかおもしろそうな話はありませんか?」
不適切な物言いだったが、そう続けた。
「……これも、幽霊の噂のようなものなんでしょうけど」
ことわりを入れてから、語ってくれた。
「夜中にだけ出勤する医者がいるんですって」
「それって、ただの夜間勤務ってことでしょ?」
「そうなのかしらね」
桑島は、親子のやりとりに口を挟まなかった。
「だれから聞いた話?」
「小さな女の子かな」
「なにそれ。入院してる子?」
「だと思うけど」
桑島の脳裏に、昨日の少女が重なった。
「夜勤の医者の話を子供がしてたってことだよね?」
結城は、参考になりませんよね──という顔で桑島のことを見た。
「女の子は、何歳ぐらいですか?」
「小学生にあがるか、あがらないか……ぐらいでしょうか」
「その子なら、ぼくも会ったかもしれません」
「そうですか……桑島さんなら、そうなのかもしれませんね」
「?」
その言葉には、結城だけではなく、桑島も疑問に感じた。
そこで看護師が入室してきたので、桑島たちは病室を出た。
「まさかとは思いますけど……いまの話を信じて、夜勤の医者をさがすなんて言わないですよね?」
「医者なら、さがさなくてもすぐにわかりますよ」
桑島は聞き込みを開始した。
もちろん、夜勤の医者についてだけ話を聞くわけではない。
「山根先生についてですか?」
昨日は患者だけだったが、看護師に話しかけた。
「とても良い先生でした。患者さんからも信頼されてました」
杓子定規な返答だと思った。
「ほかには、なにかありませんか?」
「いえ」
三十代の女性看護師は、困ったような顔になった。おそらく、警察関係者によけいなことは言わないように──と、おふれが出ているのだろう。
「では、ここに夜勤だけの先生はいますか?」
「夜勤だけ? 系列の病院から来ている先生はいますけど……」
その医師の名前は、尾上というらしい。
「尾上先生は、普段はどこの病院にいるんですか?」
看護師は、べつの区にある病院の名を告げた。
「あともう一つ、幽霊の──」
「あ、いえ、なんでもないです!」
結城に口をおさえられてしまった。
「幽霊は、もういいですって! ちゃんとした捜査ができるんですから」
看護師が遠くに離れてから、小言で責められた。
「わかってくれましたか、警視?」
「ま、まあ……」
桑島はため息をつくと、廊下の隅に小さな姿をみつけた。
「あ」
桑島と眼が合うと、すぐに女の子は走り去ってしまった。
「どうしました?」
「……なんでもないよ。尾上先生をたずねてみようか」
「え?」
タクシーをつかって、系列病院に向かった。
「いつもですけど……とくに今回は、警視がなにを考えているのかわかりません」
車内でも、結城の愚痴は止まらなかった。
系列病院につくと、すぐに尾上医師をたずねた。
だが──。
「そのような医師は在籍しておりませんが」
受付で告げられた。
「もう一度、確かめてもらえますか?」
「……過去にもいないようですけど」
狐につままれたような気持ちになった。
「どういうことでしょう? あの看護師がまちがっていたんでしょうか?」
その病院を出て、またもとの病院にとんぼ返りしていた。
「どうだろう……」
もう少し、もとの病院で聞き込みをいていけばよかったと反省するしかない。
「警視?」
「医者じゃないのかもしれないね」
「え?」
だとしたら、不吉な予感がする。
ただの幽霊騒ぎではすまないような……。
5
もとの病院にもどってから、本格的に聴取を開始した。
「尾上さん……ですか? そんな人のことは知りませんけど」
ある看護師は、そう言うと、そそくさと離れていった。べつの医師も、似たような応対だった。
「おかしいですね……。さっき話を聞いた看護師をさがしましょう」
だが、どこをさがしてもいなかった。顔は覚えているが、名前は聞いていない。この病院は、医師はネームプレートをつけているが、看護師はつけていない。
「どういうことですかね?」
「早退したってことかな……」
桑島は、不思議そうな顔の結城に答えた。
これでは埒が明かないので、事務局長をたずねた。一度会っているから、スムーズに話は進むだろう。
「尾上先生? さあ……そのような医師は、うちには在籍しておりませんが……」
どこか困ったように、事務局長は応じていた。
「そうですか……わかりました」
やはり、尾上という夜勤の医者は知らないという。
考えられるとしたら、あの看護師が嘘を言っていたか、それとも──。
「警視は、どちらだと思ってるんですか?」
「……」
答えに迷っていると、廊下のすみに、あの女の子が見えた。そして、すぐに去っていった。
「……たぶん、みんなのほうが嘘をついている」
「緘口令が?」
桑島は、うなずいた。
「……そうなると、尾上という医師の話をした看護師は、強制的に帰宅させられたということになります。この病院にとって、触れられたくないということでしょうか?」
再びうなずいた。
「なんでそんなことを……」
「尾上という人物は、後ろめたいなにかなんだろうね」
「山根医師と関係あるんでしょうか?」
そう見るのが普通だ。だが、あまりそれに惑わされないほうがいいだろう。
「どうしますか? もっと強く尋問しますか?」
「……そこだよね。警察がその気になれば、病院関係者のだれかは、落ちるだろ? そもそも、この緘口令はあまり意味がない」
「意味がなくても、そうせざるをえない──そういうことじゃないですか?」
いまの段階では、結城の言うとおりに解釈するしかないのかもしれない。
少し頭を冷やしたくなった。
「お母さんのお見舞いでもしようか」
「え? またですか?」
「まあまあ」
結城の母親の病室へ行った。
「お母さん?」
入るなり、結城が声をあげた。その意味はわかる。とても苦しそうな顔をしていたからだ。
「あら、どうしたの? また来たのね」
平然として、結城の母親は言った。
「大丈夫? 先生呼ぼうか?」
「大丈夫よ。なんともないわ」
その様子だけを見ていると、いつもとかわらない。
「……なんだぁ、なんにもないのね?」
「ありませんよ」
母親は、桑島のことを見た。
「どうしました? 捜査に行き詰ってるんですか?」
「はい。そのおとりです」
桑島は、素直に認めた。
「……大丈夫だと思いますよ。桑島さんなら、真相にいきつきますよ」
気休めとは思えなかった。
「お母さん……」
「香澄、わたしは少し桑島さんと話がしたいわ」
「なんなの? わたしはいないほうがいいってこと?」
母親は、うなずいた。
「もう! わかったわよ」
結城だけが病室を出る。
「……おつらいですか?」
「娘の前では、しっかりしていないとね」
「……娘さんの前だからこそ、弱みをみせるべきかもしれませんよ」
「わたしには、できないみたいです」
はっきりした口調で発言しているが、苦痛に耐えているはずだ。
「もう来ないほうがいいですか?」
「そんなことはありません。あなたたちから元気をうけとっています。苦しさも忘れそうにね……」
「あの──」
「?」
「あの女の子は……」
「桑島さんにも見えるんですよね?」
「はい……」
「わたしは、もうじきですから……見えてしまうんでしょう」
「では、ぼくも?」
「いいえ。桑島さんは、そういう星まわりなんだと思います」
「……」
「ある意味、死と近いところで仕事をしている」
「そうかもしれません」
「わたしは、お話もできるんですよ」
「あの子は、なんと言っていましたか?」
「でも、真に受けてはいけませんよ。わたし、言いましたよね。人は、見たいものを見るのだと……」
桑島は、浅くうなずいた。
「あの女の子は、香澄の子供のころにそっくりなんですよ」
「そうですか……」
「あの子は、わるくはない、と」
「悪くはない?」
「きっと、よくもないのでしょう」
「どういう意味ですか?」
「さあ」
「……」
「桑島さんにも、同じことを伝えたかったのかもしれませんよ」
わるくはない──。
病室を出た。
「警視? なんの話だったんですか?」
「うん……ちょっとね」
悪くはない。良くもない……。




