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CASE.4 病院霊 前編

       1


 桑島は、このところ結城の様子がおかいしことに気がついていた。仕事上でのことではないだろう。桑島の下についていることで迷惑に思っているだろうが、結城はハッキリとその愚痴を口にしている。だから不満をため込んでいるわけではないはずだ。

 プライベートなことに首を突っ込むのは、なにかしらのハラスメントに引っかかってしまうから、追及することも難しい。

「ねえ、結城さんなんだけど……」

 桑島は、ちょうど部屋にやって来た佐野に声をかけた。特別特殊捜査室は、いまはなんの事件もかかえていない。動機の解明が困難な事件しか担当しないから、こうして暇な状態が数日続いていた。

 それにくらべ、管理官である佐野はいつも忙しいはずだ。が、こうして頻繁に部屋を訪れている。

「あ? 彼女、優秀だろ? おまえにつけたことを感謝したくなったか?」

「うん、そうだね……」

「さすがだな、おれ。人を見る眼には自信があんだよ」

 自画自賛が続きそうだった。

「でもそういえば、お母さんの具合が悪いってことだったな……」

 なんとか本題にいきついたようだ。

「病気なの?」

「ああ。もう長くはないって」

「そうなんだ……」

「ま、こっちが気をつかいすぎるのも彼女が嫌がるだろうから、あまりその話題には触れないようにしている」

「休みをとることをすすめないの?」

「そう言って休むようなら、ことは簡単だ」

 佐野にしてはめずらしく、苦悩しているようだ。

 桑島が休眠状態だから、結城は本来の捜査一課としての業務をこなしている。現在は、葛飾区でおきた殺人事件の捜査にたずさわっているようだ。

「病院は知ってるの?」

「あ? 一応、聞いてる。これでも上司だからな」

 直属の上司は係長ということになるはずだが、結城は佐野の特命で動いている。いや、直属という意味では、桑島こそが上司になるのではないか。

「どこの病院?」

「そうだな……おまえも知ってたほうがいいな」

 病院の名前と所在地を教えてもらった。

 それから桑島は、広報課に向かった。

「あ、警視……どうされたんですか?」

 牧村の職場に出向くのは、はじめてになる。

「これを調べてもらいたいんだけど……」

 メモを渡した。

「え? よくわかりませんけど……これを調べればいいんですね?」

「はい。お願いします」

 そして二日後、特別特殊捜査室に結城を呼び出した。

「なんでしょう、警視。いまは、こちらの任務はないはずですが……」

「今朝、新しい事件の要請をうけました」

 桑島は告げた。

「そうですか……」

 結城は、どこかうかない顔をしていた。彼女の担当する事件が大詰めをむかえていたのかもしれない。

「さっそく、現場に向かいましょう」

 桑島は、結城をつれて出発した。

「あの、どんな事件なんでしょうか?」

「よくわかりません」

「は?」

 道中、そんなやりとりを何回かおこなった。

「あの……いまは警視が動くような事件なんて、おきていないはずですが」

「まあまあ」

 その現場の近くにまで行きついた。

「ここ……」

 彼女になら、見覚えはあるだろう。

「警視……どういうことですか!?」

 結城の声には、憤りが混じっていた。

「ここが現場です」

 結城の母親が入院している病院だった。


       2


「どうも、桑島です。お嬢さんには、いつも助けてもらっています」

「こちらこそ、いつも娘がお世話になって」

 結城の母親は、病人のような弱々しい雰囲気はなかった。凛とした強さをその身にやどしている。

「警視……事件はいいんですか?」

「まずは、挨拶です」

 結城は不満顔だ。

「もうすみましたよね? そもそも、事件なんて本当にあるんですか?」

「ありますよ」

 桑島は懐から折りたたんだA4用紙を取り出した。

 それを開いて、内容を読んだ。

「この病院には、幽霊がいるみたいです」

「は?」

 結城は、唖然としていた。

「ふざけてらっしゃるんですか?」

「いえ、真剣ですよ。ちゃんとした通報です」

「……なんですか、それ?」

「ですから、この病院には幽霊がいると、市民の方から相談をうけているんです」

「あの……警察が、そんなことで動くんですか!?」

「市民の不安を払拭するのも、警察の役目ですよ」

「……いいんですか? キャリア警察官が、そんなバカみたいな活動をして。そんなだから、警視は──」

「こら、香澄」

 母親が、そんな娘をたしなめた。

 恥ずかしながら、桑島はそこではじめて結城の下の名前が香澄だということを知った。

「ごめんなさいね、桑島さん。礼儀は教えたつもりだったんですが、わたしの育て方が悪かったようです」

「いえ、そんなことはありません。結城さんは、とても立派な警察官です」

「でも、立派な警察官が、立派な人間とはかぎりませんよ」

 含蓄のある言葉だと思った。

「お母さん!」

 今度は、娘のほうがたしなめる番だった。

「警視、行きますよ」

 結城に追い立てられるように、病室を出た。

「どうするんですか?」

「え?」

「本当に捜査するのかってことです」

「もちろんです」

 まずは、病院に捜査活動の許可をもらわなければならない。

「はい?」

 受付で事務局長を呼んでもらって、概要を話した。小さな病院ではないから、即院長や理事長に許可をもらう、という構図にはなっていない。

「ですから──」

 桑島は、説明を繰り返した。

「はい?」

 事務局長は、真面目そうな五十代ほどの男性だ。これは冗談などではないが、冗談が通じなさそうな外見をしている。

「ですから──」

「警視! わたしから──」

 結城が事務局長の耳元で、なにやら囁きはじめた。

「そうですか……わかりました。患者の迷惑にならなければ、調べてもらってかまいませんよ」

 了承を得ることができた。

 事務局長のもとを去ってから、

「なんて言ったんですか?」

「今度、警視総監のお孫さんが、この病院で診察をうけることになっているのですが、幽霊の噂を信じてしまって、真偽を調査することになったんです、って」

 完全な嘘だ。

 年齢的には警視総監に孫がいても不思議ではないが、実際には総監の娘がまだ高校生だったはずだ。孫ができるのは、ずっとさきのことだろう。

「真面目な顔で、幽霊を捜査しにきました、っていうよりはマシですよ」

「でも、その話を信じるのだって難しくないですか?」

「こうして、許可をもらったじゃないですか」

 たしかに、結果が証明している。

「たぶん、桑島警視のことを知っていたんですよ。警視が特殊なポジションにいることは有名ですから」

 あれだけ報道されていれば、顔を知られていても不思議ではない。

「警視総監に問い合わせられたら、バレちゃうんじゃないですか?」

「そんなことを確かめる人はいませよ」

 さらに小声で、

「ああいう人は、偉い人の名前を出しておけば了承してくれます」

 さすがに暴論だと思ったが、反論はしなかった。

 こうして捜査をするチャンスを得たわけだから、無駄に時間を過ごすつもりはない。

「幽霊についてはぼくがやっておきますから、結城さんはお母様についていてください」

「警視を一人にはできません。どんなトラブルに巻き込まれるか……」

 気をつかわれるのを嫌っているわけではなく、本心からそう考えているようだ。

 まずは、中庭で散歩をしている患者に話を聞くことにした。

「すみま──」

「ちょっとよろしいですか?」

 桑島から声をかけようとしたのだが、結城に奪われた。

「あの、この病院で幽霊を見たっていう噂があると思うのですが……」

「幽霊? ああ、知ってるよ」

 四十代ほどの男性は、不思議がることもなく、そう答えてくれた。

「あそこの部屋でしょ?」

「あの病室ですか?」

 男性が指さしたのは、三階にある部屋だった。

「そうそう。あの部屋で死んだ人が化けて出てるって聞いたことあるけど」

 さらにべつの中年女性も、

「屋上でしょ。飛び降り自殺したって」

 さらに──。

「手術室に出るってやつでしょ?」

 何人かに話を聞いてみた結果として、すべてがちがうエピソードだった。

「ほら、このての噂なんて、どこの病院でもあるものなんですって」

 だが警察に通報があったことは気にかかる。そんなどこの病院でもあるような幽霊話で、通報などするだろうか?

 そのことを結城に伝えたら、

「もっとくわしい内容は、わからないんですか?」

「うーん、警視庁のほうでも詳細は記録していないみたいなんだ」

「110番通報ですか? それとも交番か署のほうに相談があったんですか?」

「電話みたいです。110番ではなく、#9110のほうです」

 緊急通報するほどではなかったり、110番するか迷ったときなどにかける番号だ。

 とはいえ、内容が内容だけに、まじめに取り合わなかったのだろう。細かなやりとりは残っていなかった。

 とにかく牧村に、この病院に関する通報・相談をさがしてもらって、幽霊話があったということだけをつきとめたのだ。

「どうします? まだ調べますか?」

「きみのお母さんは、いつから入院してるの?」

「ここには、半年前ですね」

「じゃあ、聞いてみようか」

「え? 母にですか?」

「うん」

 当然のごとく、桑島は返事をした。

 病室にもどった。

「あら、なにか調べることがあるんじゃないの?」

「そうなんだけど……」

 結城は、言いよどんでいる。

「あのさ、お母さん……この病院に出る幽霊について聞いたことない?」

「幽霊?」

「そう。バカみたいだと思うよね?」

「ほほ、そんなことないわ」

 ニッコリと母親は微笑んだ。

「人はね、見たいものを見る動物なの」

「幽霊を見たい人に見えてるってことを言いたいの?」

「まあ、そういうことね」

 小声で結城が、母は心療内科医だったんです、と伝えた。

「でも、幽霊なんて見たいと思わないんじゃない?」

「見たくないものも、見たいものなのよ」

 なるほど、と桑島は感心した。

 その表情を読み解いたのか、

「お恥ずかしい。わたしは、ユングもフロイトも、てんでダメで。ほとんど、独学のようなものなんですよ」

 結城の母親は、そう続けた。たしか精神科医や心療内科医は、心理学を学ばないはずだ。もしかしたら、心理カウンセラーとしての側面もあったのかもしれない。

「……なんにしても、やっぱりデマだったってことですね」

 結城が言った。結論をまとめたような響きがあった。

「帰りましょう、警視」

「いや、まだ証言がとれるかもしれない」

 結城が、ふくれっ面になった。

「わたしは、帰りますよ」

「香澄、その態度は失礼ですよ」

「お母さんは、だま──」

 言い返そうとしていた声を、結城はとどめた。余命の短い母に対する態度ではないと反省したのだろう。

「……わかりました。もう少しご一緒します」

 そう言って、病室をさきに出ていった。

「ごめんなさいね、本当に」

「いえ、あやまらないでください」

「……あの子だって、桑島さんが好意でやっていることはわかってるんですよ。素直になれない娘ですから……」

 深い愛情を感じた。

「わたしは、もう準備はできています。こうして、娘の働く姿も見れたことですし……わたしは幸せです」

「……」

 返す言葉がみつからなかった。

「桑島さん、あなたはユニークな人みたいですけど、ちょっと真面目すぎるところもあります。もっと、いい加減でもいいんですよ」

「は、はあ……」

「警視!」

 さきに出ていた結城に呼ばれてしまった。

「ぼくは、けっこういい加減ですよ。では、行きます」

 そう言葉を残して、病室を出た。母親は、軽く手を振っていた。

「なんの話をしてたんですか?」

 桑島は、表情でごまかした。

「どうせ、わたしがいらたないとかですよね」

「そんなことないよ」

 そこで桑島は気がついた。近づいてくる人物がいる。偶然、通りかかったのではなく、あきらかに意志をもって歩いていた。

 白衣を着ている。ここの医師なのだろう。

「あなたたちですね? 幽霊がどうのこうのとふれまわっているのは」

 あきれたような響きがあった。

 年齢は四十代ほどで、気難しそうな男性だった。

「はい。あなたは、ここの医師ですか?」

「そうです。あなたたちこそ、何者なんですか?」

 結城が警察手帳をみせた。

「警視庁です」

「本物……ですか?」

「もちろんです。捜査の許可は、そちらの事務局長さんから得ています」

「……そうですか。ですが、患者を不安にはさせないでいただきたい」

 その医師から、不快な感情は消えてくれなかった。

「ですが、幽霊の噂を解明したほうが、不安がなくなるのではないですか?」

 桑島は言った。

「幽霊って……信じてるわけじゃないですよね?」

「……そこは、まあ」

 桑島は、表現をはぐらかした。

「ご迷惑にならないよう気をつけます」

 結城がそう言ったことで、その医師はしぶしぶ離れていった。

「だからやめようって言ったじゃないですか」

 愚痴を聞きながら、桑島の眼は、ある人物をとらえていた。

 年齢は、まだ幼い。六、七歳といったところだろうか。女の子だ。

 ジッと、こちらを見ている。

「警視?」

 桑島は、その少女に近づこうとした。

「あ……」

 すぐに走り去ってしまった。

「警視? どうしたんですか?」

「いえ……」

 少女は廊下の角を曲がっていて、すでに見えなくなっている。

 病棟から中庭に移動した。さきほどは人がいたのだが、いまはだれもいなくなっている。

「もう気がすみましたよね?」

「うーん……」

「煮え切らない態度ですね。引っかかってることがあるのかもしれないですけど、幽霊なんていないんですから、おとなしく撤収しましょう。あの医師にも注意されたことですし……」

「ぼくは、もうちょっと調べてみます。結城さんは、もう一度、お母さんに会ってきてください」

「え? いいですよ、もう」

「そんなこと言わず、せっかく来たんですから」

「……」

「これは、警視命令です」

 階級を利用したパワハラだが、かまわずに言った。

「ずるい……」

 彼女は、しぶしぶ病室に向かっていった。

「……引っかかってること、か」

 桑島は、病棟にもどりながら、つぶやいていた。

 心に引っかかりがあるのだとしたら、それはさきほど抗議してきた医師についてだ。

 どこが、ということではない。根拠のない感覚的なものだ。

 胸のネームプレートには、山根と記されていた。山根医師について、聞き込みをするつもりになっていた。

 どうやら、外科の医師らしい。悪い噂のようなものはなく、答えてくれた全員が、良い先生と口にしていた。

「こんなこといっていいのかな……」

 最後のつもりで話を聞いた入院患者から、それまでとは毛色のちがう証言を得ることができた。

「山根先生が、口論しているとこ見ちゃったんだよね」

「口論? だれとですか?」

「ここの先生だと思うんだけど……」

 尋常でないほど、取り乱していたということだった。かなり激昂していたようだ。

「でも、それは幽霊とは無関係ですよね?」

 再度合流した結城に、指摘された。

 その日は、これで帰ることになった。

「え? 明日も来るつもりですか!?」

「まだ捜査の途中だから」

 結城は、心底あきれたような顔をしていた。


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