腹鳴痛
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん? 遠いけれど、これ救急車のサイレンだよね。
暑い日が続くからなあ。熱中症患者として運ばれる人、もうけっこう出ているみたいだよ。このあたりでもさあ。
聞きなれていることもあって、僕たちはすぐに事態を察することができる。他の音に関しても、ちょっと耳に入っただけで「あ、あれだ」とすぐ頭にピンと来るものがあるだろう。
これが共通認識だったなら、まだいい。
しかし、自分だけが知る特別なものだったなら、どうだろう?
訴えても、心の底から共感して、手を差し伸べてくれる相手はいないかもしれない。
ましてや若い時などは、誰かに怒られたくない、その手を煩わせたくないと、恐れと気遣いのはざまに立たされ、自力での解決を理想とすることもままある。
私も自分ならではの感覚で対処しようとした経験があるんだが、そのときのこと、聞いてみないか?
横になると、ときどきお腹がぐるぐる鳴ること、ないかい?
ガスが溜まっているだとか、物を早く多く食べ過ぎだとか、運動不足だとか……もろもろの原因が考えられるよね。
私も小さいころ、夏場になるとしょっちゅうお腹を鳴らしていた。食事終わりやお風呂上がりなどにね。
けっこう大きな音が立つから、おうちの人にも聞こえる。そのたび、「お腹冷やさないようにしなさいよ」と、腹巻を投げ渡される始末だった。昔ながらの家だから、この手のものは常備してある。
しかし、私はお腹が鳴り始めると、神妙にその内容へ耳を澄ませるようにしていた。
凡百な鳴り方でおさまるなら、それで構わない。けれども、過去に何度かあった奇妙な鳴り方に対する警戒をしていたんだ。
こいつは一度鳴ってから、かっきり三十秒後に兆候が訪れる。
放られた腹巻を抱えたまま、私は頭の中でゆっくりと三十を数えた。
ぽん、ぽこん、ぽん、ぽん……。
それは、金だらいの底を裏側から叩いたような、間の抜けた音だ。
先走った「ごろつき」の音どもよりも、ずっと小さい。以前、すぐ隣にいた親も気づいた様子はなかったくらいだ。
そいつが聞こえてくると、私はすっと息を吸い込んで止める。
そのまますぐに、家の台所へ突っ込むんだ。
用があるのはお湯だ。いつもはポットの中から出すんだが、このときはあいにく切らしていた。
――これ、やばいかもしれないぞ……。
内心、そう思いながらも私はもくもく作業を進める。
だんまりのまま、水をたたえた雪平鍋をコンロにかける。強火マシマシだ。
鍋の底からあふれんばかりの火力だが、構いやしない。私はそのままコンロ前に陣取り、お湯の上がり具合を絶えず観測していく。
準備ができたら、すぐに取り掛からなくてはいけない。
もし、この私が行っている「だんまり」が少しでも乱れてしまうことがあれば、いささかまずいことが起こってしまう。
その経験があるからこそ、私はすんなりとことを済ませたかったのだが。
どどど、と階段を勢いよく駆け降りる音。
弟の足音だ。家族全員、それぞれの重さやテンポによって、誰が上り下りしているからはなんとなく私にはわかっている。
あいつは迷いなく、私のいる台所へ飛び込んできたよ。
問題は、こいつの動作があまりに雑だということ。
外面はいいと聞くが、家の中ではそのあたりのストッパーを解き放っているんだろう。
物が壊れかねない乱暴な扱いをして、悪びれもしない。
このときも、私のすぐ背後の冷蔵庫からアイスを取り出そうとして、戸を思い切り開け放ったんだ。
そっと開けていたなら、私には戸が届かずに済んだだろう。
だが、弟の力を受けた戸は、思い切り私の背中を強打してきたんだ。
「ごめ~ん」などと、形ばかりの謝罪を告げ、走り去ろうとする無礼者きわまりない弟。
が、その脚は、私が止めていた息を吐き出してしまったことで、驚きとともに停まることになる。
私は白い、白い息を吐き出した。うだるような、夏の空気の下で。
以前の経験から、被害をいたずらに広げるまいと、とっさにうつむく私。
コンロの真下の棚から床にかけてが、瞬く間に真っ白に染まった。私の吐息に合わせて、彼らには寒々しい霜が降りていったんだ。
しかし、それが純粋に白くいられたのは、わずかな間だけ。
すでに私の喉奥は、冷えに冷え切っていて痛みさえ覚えていた。ほどなく、その開いた口からぽたり、ぽたりとシャーベット状になった赤いものがまぶされていく。
すぐさま口を閉じたものの、もはや被害はごまかしきれない。
ちょうど泡立ちはじめたお湯を手に取ると、私はそのまま霜たちへ向けて一気に垂れ流していく。
たちまち彼らは氷解し、湯気を立てながら本来あるべき台所の姿へ戻っていった。
後ろで弟が、なにやら騒いでいるものの、私にはまだやるべき本命のことが残っている。
私は天井をあおぐと、いまだ湯気を吐く鍋の残りを、口の奥へどんどんと注いでいったんだ。
平時で同じマネをすれば、さすがにタダでは済まない。だが、この吐息を出してしまう時ならば、話は別だ。
心地よいぬくみに、ついうとうとと、意識を手放しかけてしまう。そのような快さが、五臓六腑にしみわたるんだ。
成人してから、酒を飲んだらこのようなものになるのかと思ったけれど、実態はだいぶ異なっていたよ。あれはあのときでなくては味わえないものだ。
弟は夢中になって家族へ話すも、信じてはもらえなかった。当人の私も、先の気づかい精神でとぼけたふりをしていたさ。
あのお湯呑みしないと、いざトイレで用を足すときがつらい。
小も大も、なかば凍り付いたような状態で、出口になる部分へ飛び上がりそうな痛みをもたらす。
声を出さずにはいられない痛さで、それから腹の鳴るのを私はよく警戒していたんだよ。