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すべて私のせいだった

 彼がまったく動かないことに気づき、我に変えった。

「……豊?」

 私は地面に傘を置き、彼の亡骸を抱きかかえた。

 その瞬間。闇が一斉に消えた。

 再び雨が降ってきた。濁流の音や、雨音も聞こえだした。

 私は、自宅の真ん前にいた。

 その自宅が、黒滓(くろかす)大橋の出口を塞いでいるのだ。

「えっ?」

 私は思わず当惑してしまった。本来、こんな場所に家があるはずがない。

 降りしきる雨が、私の全身を濡らした。服が肌に張り付く感覚が不快だった。

 私は、地面に置いていた傘を拾い、差そうとした。

 しかし、私が差していたはずの傘は、血まみれのテレビ用リモコンに代わっていた。

 その後、雨のことを気にしている場合でないことに気が付いた。

 私は今、手に子供の亡骸を抱えている。

 どうしよう。どうしよう。

 これを、隠さなきゃ。

 そう思った私は、欄干(らんかん)に身を乗り出し、亡骸を川に落とした。

 子供が、息子の豊が、川に向かって落ちてゆく。

 やがて着水し、雨で増水している御霊(みたま)(がわ)の濁流にのまれて、姿が見えなくなってゆく。

 その様を見て、すべてを思い出した。

 私は、豊を御霊川での水難事故で(うしな)ったんじゃない。

 私は、豊を殺して、雨の日の御霊川に遺棄したのだった。

 これまでの記憶が、走馬灯のように、一気によみがえってくる。


 私が結婚したのは、24歳の時だった。

 夫の克久は、大学時代からの知り合いだった。

 元々、同じサークルに入っていたのが、出会いのきっかけだった。

 私たちが入っていたのは小さなサークルで、同期生もそれほど多くなかった。その数少ない同期生の一人だった克久は、私が気を遣うことなく話せる相手の一人だった。

 彼とは、歓迎会での飲み会で、こんな話をした。 

「なあ、綾子ちゃんってなんか趣味あんの?」

「う~ん。そうね……」

「なんでもいいぞ。何か好きな事とか」

「……じゃあ。お菓子作りかな」

「そりゃいい。何作るの?」

「ケーキとか。後は、クッキーとか……」

「クッキー作れるのかぁ! 機会があったら俺たちにも作ってくれよ」

「うん……。考えておこうかな」

 この日をきっかけに、私と克久の関係は、より親密なものになっていった。

 その関係が交際に発展したのは、3年生になってからだった。

 告白してきたのは、克久からだった。

 ある日、彼が私を、キャンパスの近くにある瀟洒(しょうしゃ)なカフェに呼びだした。

「いきなりこんなところに呼び出して、な~に?」

「実は……。大事な話があるんだ」

「えっ。何? サークルでトラブルとかあったの?」

「いや……。そんなんじゃないんだ。ただ……」

「ただ?」

「伝えたいことがある」

「伝えたい、こと?」

「そうだ」

「うん。何?」

「……俺と、付き合ってくれ」

「……えっ?」

「頼む。俺で、俺でよければ……」

「うん。こちらこそ、私でよければ」

 この日をきっかけに、私たちは交際するようになった。

 大学卒業後、克久は、大手商社に入社し、私は、保育士になった。

 卒業後も、交際は続いていた。

 正直に言って、ここまで長く関係が続くとは思っていなかった。

 彼と結婚するということが、なんとなく想像できなかった。それどころか、いつか別れの日が来るだろうと、悲観さえしていた。

 私は、彼とは別れたくなかった。こんな私に、優しさを与えてくれる彼を、ただ、手放したくなかった。

 私の悲観は、結果的に外れた。私たちは、その後、結婚することになったからだ。

 プロポーズも、克久からしてきた。

 ある日、携帯のメールを見てみると、克久から、メッセージが届いていた。

 そこには、驚愕(きょうがく)の内容が書かれていた。

 “こんど、一緒にフレンチレストランに行かないか。”

 この誘い、まさか……。

 そのまさかだった。

「俺と……結婚してくれ」

 彼の、この言葉を、生涯忘れることはないだろう。

 なぜなら、私はこの時、人生で最大の糠喜(ぬかよろこ)びをしたのだから。

 その後、私は保育士を辞め、勤務日数に融通が利くパートタイマーとして働くようになった。家庭と仕事を両立するには、柔軟に休みが取れるほうがいいと思ったからだ。

 そうして、商社に勤める克久を、私は働きつつもサポートするようになった。

 それから月日がたち、26歳になったころ、私は妊娠した。

 産婦人科で診断が下された後の帰り道、克久と、こんな話をした。

「なんだか、実感がわかないな」

「俺もだ。だけど、自分の子供ができるって、やっぱり嬉しいよ」

「うん。でも、少し不安な気もする」

「大丈夫だ。俺がお前も、お腹の子供も支えるから」

「……本当?」

「当たり前だ。それが、一家の大黒柱としての責務だからな……」

 克久は、そんなことを言っていた。

 だが、彼はその責務を、完全に放棄してしまった。

 その後、私は無事、男児を出産した。

 克久にも立ち会ってほしかったが、彼の仕事の都合で叶わなかった。

 出産は、かなりの苦痛だった。しかし、自分から生まれたばかりの我が子を見ると、その苦痛も霧散してしまった。

 思わず、涙腺が緩んだ。

 血のつながった子供が、こんなにも愛おしいもなんて、思いもよらなかった。

 あの時、私は子供を心から愛していた。

 本当は今も、そのはずだった。

 子供が生まれてから約1時間後に、克久は病院に到着した。

「生まれたのか!」

 彼は慌てながら、病室に入ってきた。

「うん。無事に……」

「……ありがとう。新しい家族を産んでくれて」

 そう言って、彼は私を抱きしめた。その抱擁の温もりが、心から嬉しかった。

「ねえ、見てあげて。私たちの子供だよ」

「ああ……。もちろんだ」

 彼は子供を抱いた。そして、両目からほろりと涙を流した。

「一生、大切にしよう」

 彼は感涙を拭うこともなく、そう言った。

 名前は豊と名付けた。心身ともに豊かになるようにと、2人で決めた名前だ。

 私たちは豊を、ゆーくんというあだ名をつけ、可愛がった。

 そして、彼が幸せな人生を送れるように育てようと、決めた。

 そう、決めたつもりだった。

 あっという間に5年が過ぎた。

 5歳になった豊は、生まれたときよりもずっと大きくなっていた。

 子供の成長の早さに驚きつつ、私たちは息子が健やかに育っていくことを嬉しく思っていた。

 豊は食ベ物の好き嫌いが激しかった。

 嫌いな食べ物はまったく口にしようとしなかった。特にグリーンピースは、料理に入っている際には丁寧に残していくほどだった。

「ほーら、ちゃんと食べなさい!」

「いやだ……」

 彼は頑としてグリーンピースを食べなかった。

 私はもはや諦めて、大人になれば、きっと食べられるようになる。そう願うことにした。

 あの時は、当たり前のように、豊が大人になるものだと思っていた。

 逆に、甘いものは食べすぎるので、ほどほどにしなさいといつも叱っていた。

 特にクッキーが好きで、一日に10枚近く食べたときもあった。そのため、彼の目に着くところにクッキー菓子を置けなくなる事態になった。

 その習慣もあり、私たちは市販のクッキーをあまり買わなくなった。

 しかし、豊はやはりクッキーを食べたがった。

 そこで、私は彼にクッキーを作ってやることにした。

 Webサイトを使って調理法を調べ、実際に作っていった。オーブンできれいにできるか心配していたが、無事に、見栄えよく焼くことができた。

 その日は克久も私もオフ日だったので、昼ご飯を食べた後、家族3人でクッキーを1人5枚ずつ分けて食べた。

「おっ、うまく焼けてるじゃないか!」

「ありがとう。豊、どう? おいしい?」

「おいしい」

 豊は満面の笑みを浮かべていた。その笑顔を、今でも鮮明に覚えている。


 夏の日、家族3人でビーチに行った。

 その日が酷暑(こくしょ)だったこともあってか、思った以上に人が少なかった。

 特に、私たちのような家族連れは、ほとんど見当たらない。

「思ったより、人がいないね」

「まあな。でも、こんな静かな海辺もいいだろ」

「まあ、そうだけど……」

 克久と、波打ち際でそんな立ち話をしていた。

 すると突然、豊が海水を私にかけてきた。

「えいっ!」

「うわあっ!」

 いきなり水をかけられたので、すこし驚いた。海水は思った以上に冷たかった。

「あははは」 

 豊は私のそんな反応を、笑いながら、面白そうに眺めていた。

 私も、つられて笑ってしまった。

「やったな~」

 彼にも、両手いっぱいに掬った水をかけてやる。

「うわあっ。やったな~」

 豊は再び水を(すく)い、私にかけてくる。

 そして、それを浴びた私が、再び彼に水をかける。

 そのような感じで、しばらく2人でじゃれあっていた。

 あの時間は、とても楽しかった。

 しかし、もう、このような時間がくることはない。

 私たちの(しあわ)せは、いとも簡単に崩れ去っていったのだ。

 海へ行った日から約1か月がたったころ、克久が会社の後輩女性と不倫していることが分かった。

 最悪だったのは、不倫相手の女が妊娠してしまったことだった。

 無論、不倫が発覚した日の夜は、リビングの中、2人で激しい口論となった。

「お前が悪いんだ! 俺のストレスに気づけなかったお前が……!」

「なによ、私のせいだっていうの!」

「ああそうさ。お前がちゃんと俺の苦しみを理解してくれれば、俺は……」

「そんなのただの言い訳でしょ!」

「言い訳じゃないさ。ストレスには捌け口が大切なんだよ。本当はお前がその捌け口になるべきだったんだ!」

「何よ! さも自分だけが苦労しているかのようにいいやがって!」

「その言葉、そっくり代えさせてもらうよ。お前さぁ。俺が今、どれだけ重要な案件を任されているか知らないわけ?」

「それとこれとは別のことでしょ!」

「まあ、そうだけどな。だけどな……」

 私を冷罵する克久の顔は、口元だけで私を(わら)っていた。

「何もわかってないんだよ、お前は」

 何もわかっていない……? 私にとって、この言葉は、心外でしかなかった。

「何よ……。何が分かっていないのよ?」

 怒るということは、想像以上に体力を消耗する。私は完全に疲弊しきり、これ以上、声を張ることができなかった。

「俺は、商社に向いていなかった……」

 克久は、少し俯いた。

「ずっと辞めるタイミングを探していた。だけど、収入がいいから、辞める勇気がなかったんだ。そして煩悶しているうちにお前と結婚し、豊が産まれた」

 先ほどの怒鳴り声から一転し、鬱々(うつうつ)とした口調で、彼は自分の本心を告白した。

「でも、やっぱり向かないって、思った。だけど、だけどよ、妻子持ちなんだし、続けるしかないじゃないか、仕事を!」

 彼の目から一筋の涙が流れた。それは彼の俯いた顔を(すべ)りながら、おとがいまで流れた。

「そんな俺は、気づけば社内でいつも下を向いて歩くようになっていた。そんな俺に、そんな、そんな俺に……。あの子は声をかけた。『今日もお疲れ様です』って」

 言下(げんか)、彼は突然、正面を向いた。

 その目は、何かにとり憑かれているようにさえ見えた。

「その瞬間、あの子は俺の天使だって、思ったんだ……!」

 そう言って彼は口元だけで笑った。

「あの子だけが俺を救ってくれる。お前も、豊も、俺は愛している。だけど、俺は、俺は、俺は、俺は……」

 彼の狂態を、私はただ黙ってみているしかなかった。

 その時、豊がリビングに入ってきた。

「ぱぱ……」

 豊は、その時、何が起こっていたのか、知る由もないだろう。彼は奇妙そうに、滂沱(ぼうだ)の涙を流している父の顔を、穴が開くほど眺めていた。

 克久は、豊の方へ歩み寄り、彼を強く抱きしめた。

「なあ、豊。パパはいつも、頑張っているよな?」

「うん、がんぱってるよ。ぱぱ」

 その二週間後、克久は私たちを残して不倫相手の女と心中した。


 その後、私はシングルマザーとして、豊を育てることになった。

 はっきり言って、生活は苦しかった。生計を立てるために、現在の仕事よりもより高い収入が得られる職を探さなければならなかった。

 パートタイマーをしながら転職活動をし、なおかつ子育てまで行うことは、至難の業だった。

 そして私は、余裕がなくなるにつれ、豊を可愛いと思えなくなっていった。

 豊は好き嫌いが激しかった。なので、仕事帰り、作った料理をろくに食べず、ほとんど残してしまうこともあった。

 欲しいものも、買ってやれなくなった。だが、豊はアパートなどで玩具(おもちゃ)を見かけるといつも駄々をこねて、それを買うようにねだった。

 豊が急に発熱したために、志望先の面接に急遽、参加できなくなったこともあった。

 そして、時折、克久にしきりに会いたがった。

「ぱぱにあいたい……」

「パパはもういないのよ。ゆーくん」

 そんな日々が、私のフラストレーションを溜めこんでいった。

 そして、あの日、私は限界に達した。

 それは、仕事が休みの、日曜のことだった。

 その日は、今日と同じような、大雨の日だった。

 私は朝のニュース番組を見て、明日の天気を確認していた。日頃の疲労のためか、天気以外の情報は、まったく頭に入ってこなかった。

 豊も起きており、私の隣に座っていた。

 すると、豊が喉の渇きを訴えたので、私は初期棚からコップを出し、彼に渡した。

 そのコップが、たまたま、克久との旅行先で買った記念品だった。

 あんな別れ方をしたのに、処分に踏み切れず、彼の亡きあとも使用を続けていた。私はどこかで、彼との未練を感じていたからだ。

 そして、最悪な形で永訣(えいけつ)した彼と私をつなぐたった1つのものが、このコップなのだと思っていた。

「……これ、よごれてるよ」

 彼がそう言うので、コップの中を見てみた。食洗器の調子が悪かったのか、コップの汚れが完全に落ち切っていなかった。

「洗面台に、置いてきなさい」

 私がそう言うと、彼はそのコップを、洗面台に持っていこうとした。

 私は家事にとりかかろうと、テレビを消そうとリモコンを手に取った。その時だった。

 パリン、と何かが壊れる音がした。

「……豊?」

 私はキッチンに入ると、彼は粉々に砕けたコップを前に、呆然としていた。

 彼が、そのコップを割ってしまったらしい。

 ただ、それだけだった。それだけだったのに。

 私の中の、何かが壊れた。

 気づけば、豊を殴りつけていた。そして、何度も、何度も、彼が()こうが、出血しようが構わず殴り続けた。

 気づいたときには、既に豊は死んでいた。

 彼が動かなくなってしばらくした後、我に返った。気づくと、目の前には、出血し、片目がつぶれ、顔中に(あざ)をつくっている豊が横たわっていた。

 豊が死んでいる。私が豊を殺した。

 殺してしまった。もう戻ってこない。

 捕まる。ばれたらきっと死刑になる。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう……。

 私はパニックに陥り、彼の亡骸を、隠さなくてはと思った。

 その時、まだ処分していなかった段ボールがあるのを思い出し、彼をその中に入れた。

 そして、それを車の荷室に入れ、黒滓大橋の付近まで走った。

 黒滓大橋に着くと、大雨の中の御霊川が荒れ狂っていた。悪天候のためか、周囲には誰もいなかった。

 川に流せ、川に流せ……。

 そして、私は豊の亡骸を段ボールから取り出し、御霊川に放り投げた。


 それが、私が御霊川を嫌悪するようになった経緯と理由だ。

 豊はその後、行方不明者に指定された。あの日から1年ほど経つが、彼の遺体はまだ見つかっていない。

 今はもう、克久も、豊もいない。だから、全部忘れてしまおう。

 他の誰もいない、この私しかいない家で。

 そう思い、私は家のドアノブを握った。

 その時だった。何者かが裾を掴んできた。それと同時に、濡れるような冷たい感触を覚えた。

 私はそっと、後ろを振り向いた。

「いっしょにかえろう。まま」

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