陸で溺れる5
ハッピーエンド
薔薇の魔女の住処は、もとは多くの人が行き交った城だ。しかし、あたりを森に囲われているし、内部にもあちこちに茨が蔓延っている為、居住空間は狭い。
その中でも一番大きくてきれいな部屋で、彼女は寝起きしている。
「おはよーございます。エマ、朝ですよー。おきてくださーい。起きないと、貴女の朝ご飯は薔薇たちの餌にしますよー」
来た当初は、なんだかんだ同じ部屋で生活させてもらっていた。しかし、月日は流れて、サメの人魚らしく大きく成長したイスルスは、別の部屋に寝泊まりするようになった。
カーテンを開けて、大きな寝具に寝転がる薔薇の魔女のそばに近寄る。寝具の上に長く伸ばした彼の海色の髪が広がり、日の光が波のように流れていく。
あらゆる知識を教え込み、一人前の魔法使いにまでしてくれた彼女に対する恩返しとして、彼女の世話を焼くイスルスは、もはや人魚である自覚は少しもない。
海に対する多少の郷愁はあるけれども、二本足での生活は、ヒレで泳ぐよりも楽だと気が付いたし、火を通した陸の料理は美味しいし、植物……特に薔薇は美しいから。
「ああ? ……なぁになめ腐ったこと言ってんだお前。起きてるに決まってんだろうが。くっそ、前まではちびだったくせに、急にでかくなりやがって。ウルスラに、苦情でもつけてやろうか」
寝起きは、普段の三割増しで目つきの悪い薔薇の魔女に彼は苦笑する。
「残念なことに、種族的に大きくなるのは当然なので、あきらめてください。というか……小さいほうの俺の方が好みだったなら、成長止めちゃえばよかったのに」
「ばか野郎。ガキの成長を歪めるのは、俺の信条に反する。……さっさと飯の準備してろ。こっちは見んなよ」
「はいはい」なんて返事をしながら、掌にちょうど良く収まる杖を一振りして、朝食の準備を済ませる。朝の紅茶は、自分も彼女もストレートだ。
衣擦れの音、なんて杖を一振りですべて解決できてしまう魔女には必要ない。だが、着替えは見られたくないらしい。
「お前、いつ海に帰るの」
「泳ぎは苦手なので」
体面に座り、いつもの朝の問答をする。ここ数年は毎朝だ。薔薇の魔女は、彼を海に返したいらしい。
だが今日の二人は、いつもよりもおしゃべりを続けた。
「当初の役目は終わったし、魔法も知識も教え終わったと思うが?」
「俺は、恋をしているんで、いま海に帰ったら泡になって消えます」
「……なんでお前が泡になるんだ。魔法使えるんだから、相手に呪いでもかけてモノにしろよ」
固めに焼いた目玉焼きにナイフを入れながら、薔薇の魔女は嘆息する。
「貴女みたいに?」
しかし、イスルスがそう言うと、彼女は今度こそ悪い顔をした。
「何のことだ?」
「俺はもともと、何もしないで海に帰ったら、海の魔女の魔法薬の代償で、足の先から激痛が走って、呼吸もできないまま、泡にもなれずに死ぬ予定だったはずです。貴女のかけた魔法のせいで、今は泡になるだけだから、多少はましになってるけど」
「違いますか」と首をかしげる彼に、薔薇の魔女はにっこりと笑う。出来のいい生徒をほめるように、彼女は口を開いた。
「確かに、お前に俺は呪いをかけてる。けど、どうしてそれが、お前を泡にするだけだと思った? 海水に足を付けたら茨が足を絡めとる呪いかもしれないぞ」
「それこそ、勘。エマは、俺のこと好きで、ずっといてほしいんでしょ? でも、俺を縛り付けようとするくせに、茨の眠りを俺にはくれないから。あるとしたら、俺を材料にする海の魔女様への意趣返しに、材料にさせずに、泡にするくらいかと思って」
ギザギザの歯を見せる笑顔。薔薇の魔女が一等気に入ったという顔をして、イスルスは彼女を見つめた。
「……おまえ、そこまでわかっててどうして、俺がお前をかえしたくないからとか答えないんだよ」
恥ずかしいやつめ、そう吐き捨てる彼女に、彼は今度こそ破顔した。
「いっただろ? 俺は、溺れるような恋をしてるから」
イスルスと薔薇の魔女は今後も別の話で出てきます。