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世界に魔法は必要か  作者: 佐場野あまた
2/6

陸で溺れる1

サメの人魚が主人公の話。

 海の底にぽっかりと空いた横穴で、これまでの取引を振り返りながら、海の魔女はため息をつく。どうにも気分が乗らなかった。

「お茶会でも開こうカ? いや……だめだネ」

 口に出した提案を、海の魔女は自ら否定する。トレードマークの濃紺のドレスから覗く八本な足が、友人たちの顔を思い浮かべるように海中を漂った。

「林檎の魔女は、義娘の結婚相手から執拗に仮死薬を求められて逃げるのが大変らしいシ」

 暗い赤色のローブに、真っ赤な目を持つ美しい林檎の魔女は、死体マニアの義理の息子に精神的に追い詰められている。この間は熱した鉄の靴で踊らされたから足が痛いと薬を買いに来た。

「薔薇の魔女は、また催しに呼ばれなかったとかで国とドンパチしてるシ」

 深紫色の三角帽子とマント、白薔薇の飾りが印象的な薔薇の魔女は、今度は別の魔法使いも絡んだ事件になったらしく、巻き込まれた魔法使いの方から取引が持ちかけられたところだ。

「獣の魔女はまだ見ぬ男を求めて旅に出てるシ」

 黄金のケープをまとった妖艶な獣の魔女は、真実の愛を探すため、まずは見た目が理想の男を求めて、縄張りを離れるという報告を受けたばかりだった。

「お菓子の魔女は、最近また灰になったシ」

 稲穂色の髪に青い瞳が印象的な、見た目は普通の女みたいなお菓子の魔女は、また結末を迎えたらしいので青色の香水瓶を用意しなければならない。記憶を操作する薬の調合は面倒なため、材料の確認が急務だ。

「硝子の魔女は、新しいお姫様のプロデュースに文字通り粉骨砕身してるシ」

 金糸の髪に、深緑色のドレスローブを着た落ち着きのない硝子の魔女は、お気に入りの女の子のために命を削る事も厭わない女だ。そのこと以外に、目を向けなくなる。


 総合すれば、今お茶会を開こうにも参加者が集まることはないのは明らかだった。

「なんだか本当にやる気が出ないネ。今日の仕事もそうだけド。最近の取引がうまくいったっていう印象が薄いからカナ」

 お気に入りだった人魚のお姫様を、うっかり取り逃した出来事。海の魔女が、考えられる限りの苦痛に満ちた試練を見事に乗り越えた彼女は、自由に海を泳ぐきれいな尾ヒレと美しい声を海に残して陸で幸せに暮らしている。

 その様を、自慢の魔法で覗き見してしまった日と同じくらい憂鬱だった。

「取引があったとはいえ、陸で過ごす対価としては安すぎたかナ? 等価交換は守らなくてはならなイ。彼女がこれから享受する陸での幸せと、同等の価値があったのカ……今更、気になってきたネ。君もそう思うダロ?」

 穴の隅、檻の中にいる小さな塊に向けて声をかける。もぞり、一塊になっていたそれは体を起こした。

「モノへの価値なんて、その時によって変わるでしょう。とりあえず、相手にとって、海という故郷と、美しい声と歌という過去の栄光は、愛にすがるだけの不安定な世界で生きることと等しかったんだと思いますよ」

 ギザギザの歯を見せるように欠伸をし、浅瀬の海と同じ碧色の腰まで伸びる髪を鬱陶しそうにかきあげる。青と白が特徴的なサメの尾を何度か揺らした、一見少女と見紛う少年人魚は興味がなさそうに返答した。

 体の各所にまかれた包帯には血が滲み、健康的とは言い難い。彼の無気力な声に、海の魔女は、ほんの少し気分を上向かせた。

「お前は相変わらず、逃げようという気力もないんだネ。兄貴のしりぬぐいとして、金貨五百枚と引き換えに魔法薬の材料として売り出されたっていうのニ。兄貴を恨んでる様子もなシ……心が死んでるのカイ?」

「逃げたところで、サメがこのあたりの海を自由に泳げるとお思いですか? 最近は人も人魚も王族がしっかり統治なさってるもので、はぐれたサメは生きにくいんですよ。餌に困る感じに。それに、俺泳ぐのヘタクソなんですよね。逃げて今よりひどい目に合うくらいなら、切り刻まれても治してもらえる環境で、金貨五百枚分の働きが終わるの待つほうが楽なんですよ」

 彼はそういうと、再び檻の中で体を伸ばした。サメの人魚にしては小柄な体躯が、檻の隙間からはみ出している。

 それ以上の動きを、彼はしない。

 しかし、穴の入り口を絶えず見る少年の様子を眺めることが、この頃の魔女にとっての暇つぶしだった。

「そうかイ。それなら震えるといいヨ。近々、その役目は終わるカラ」

 だが、それも近々終わってしまう。彼の価値は、金貨五百枚。人魚の皮や骨、血肉だとか色々を使用した魔法薬は、一瓶金貨五枚の価値がある。三日に一瓶のペースで作ってきて、もう百五十日が経った。あと十七日もすれば彼は自由を手にできる計算だ。

「あぁ、もうそんな時期ですか。……なんだかんだ至れり尽くせりなこの檻から出されたら、たぶん俺生きてけなさそうなんですけど」

「人魚の癖に、泳ぎがヘタクソなのは致命的だネ。餌が手に入らないし、そもそもこのあたりの海じゃ寒くて死んじゃうんじゃなイ?」

 少年人魚がため息をつくと、同じように思い至った海の魔女は嗤った。

 彼の一族は、温かい海域を遊泳する放浪者だ。そしてサメらしく、あたりの魚たちを脅かしながら、暴虐を振りまくアウトローな彼らに恨みを持つものは多くいる。

 彼をこのまま外に出せば、彼の家族やサメに恨みを持つ者によって捕まり今以上の不幸や不運に見舞われることは間違いなかった。

「支払いが完了したとしても迎えはたぶん来ないですし、魔女様さえよければ、俺のこと買ってくれません? 今より多少の自由があったら、薬の材料になるくらいは安いんで」

 その言葉に、心が少し揺らぐくらいには、少年人魚のことを海の魔女は気に入っていた。だが、その言葉にはうなずけない。

「魔法の才能があるのに、材料に積極的になりに来るその心意気は好きだヨ。けど残念なことに、金貨五十枚で君を買いたいっていうやつが現れたから無理なのサ」

 引っ張り出した契約書を、少年人魚の眼前に差し出す。

『サメの人魚 イスルスを金貨五十枚と、百年間の業務提携を結ぶことで買い取る。 フラック』

 端的に書かれたそれに、たっぷり五回も上から下に目を動かした少年人魚は渋い顔をして海の魔女を見た。

「フラックっていうと、海賊船の船長……キャプテンフックですよね? あの船の魔法使い。えぇ、確かに俺と係わりもあるし、顔を見たことありますけど、なんでいまさら」

 苦々しいものを隠しもしない少年人魚に、海の魔女はおかしそうに笑う。

「なんでも、私のお友達の薔薇の魔女と何やらやらかしたらしいヨ。まぁ、お前は手土産サ。薔薇の魔女はアタシ以上に魔法薬づくりに凝ってるからネ。……人魚は、若返りの薬のもとだシ、それ以外にも使い道がある便利な素材ダ」

「だったら、今回の取引は魔女様にとって不利な条件に」

「これがならないのサ、腹立たしいことにネ。海から出れないアタシにとっては、あの男と人魚一匹程度で百年も関係を持てル。それだけで、金貨千枚は儲けが出るんダ」

 彼は、海の魔女の視線から逃れるために檻の中で小さく体を丸める。

 それは、子供がすねる様子とさして変わりがなく、魔女は愉快だと口の端を釣り上げた。

「それで、自分はいつ頃引き渡されるんですか?」

 それでも、外に出られることに対して、喜色を滲ませた声音に海の魔女は極めて冷静に言葉を返した。

「今日、今からサ」

 少年人魚が何かを言おうとしたとき、魔女の住居には不釣り合いな光が入り口からもたらされた。


 しばらく見ていない日の光とは、また違う温もりのない明りに二人は目をくらませる。

「本日は、お招きいただきありがとう。海の魔女ウルスラ、契約通り人魚を受け取りに来たよ」

「お前の顔面は相変わらず忌々しい太陽のようだネ、船の魔法使いフラック。予定の時刻より少しばかり早いじゃないカ」

「お互い学生時代のようにとはいかずとも、その手足のように態度を柔らかくしてもいいんじゃないのかな」

「オヤ? 絞められるのがお好みカ?」

 褐色の肌に、金糸の刺しゅうが美しい白いシャツ。記憶にある豪奢な黒いマントは置いてきたのだろうが、上品にまとめられた装いをした船の魔法使いは、優雅に水の中を歩く。

「それもいいかもしれないね。だが今は少しばかり、事態が切迫している。エマ……薔薇の魔女がついに茨の呪いをわが友にかけた。彼女の暴走は予想外だったから、地上の魔法連盟は大わらわ。上から下まで尻に火が付いたみたいに、方々へ走り回っているというわけさ」

 海の魔女の手を取り、恭しく一礼した船の魔法使いは、檻を確認し目を細める。少年人魚は体をはねさせ、狭い檻の中で体を隠そうとした。

「お前の友というと、連盟のトップ。あのいけ好かない星の魔法使いかナ? それはまた薔薇の魔女も思い切ったことをするネ」

 海の魔女は脳裏に、ひげを蓄えた大柄の男が薔薇の魔女の育てた美しい茨に囲われた姿を思い描いて皮肉気に笑う。だが、あの星空を写したかのような目が閉じられていることは少しだけ惜しいと思った。

「他人事のようだね。君の友人だろう? 今度こそ、彼女が処分されるとは考えないのかな?」

 片眉を吊り上げ、歌うように告げる船の魔法使いに、海の魔女は適当に檻の鍵を投げつけた。

 片手で問題なく受け取った船の魔法使いが、杖を一振りして檻を浮かせる。そうしてすたすたと、海面に向かって海の中を歩いていく。


 ……穴の中は、海底らしく冷たさと闇に包まれた。


 そうして静かになった穴の中で、海の魔女は、静かに陸へと連れていかれた人魚を思う。

「それこそ愚問サ。お前たちは、力の強い魔法使いを殺さなイ。だから、今回はイスルスを連れて行くんだろウ? ……新しい仲間の誕生になるのか、はたまたバラの肥料になるかはまだ読めないけれど、美しい結末になるといいネ」

 上に登っていく泡を眺めて、悪い結末ではないかと納得して鍋に向かう。新鮮な材料があるうちに、友人へ贈る薬を作らなければならないからだ。


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