悪い魔女
この物語の始まりの物語。
白いティーカップに、薫り高く飴色の紅茶をなみなみと注ぎ、砂糖とミルクを適量入れる。
海の魔女が、開くお茶会で用意するのは、いつもストレートの紅茶だけ。あとは参加者がそれぞれ好きに持ち寄るのだ。
円卓には席が六つ。そのうち四つはすでにそれぞれの魔女が座っていた。魔女たちの服装はバラバラで、個性的なセンスが表れていた。
「おヤ、お菓子の魔女と硝子の魔女は来ていないのかイ? しまったナ、お菓子の魔女がいないと、お菓子が楽しめないじゃないカ」
主催である海の魔女は、エメラルドブルーの髪と、濃紺のドレスの裾から見えるタコ足をうねらせながら向かいに座った林檎の魔女に尋ねた。
林檎の魔女は、暗い赤色をしたローブのフードを深くかぶっているため見えるのは口元だけだ。彼女は持参したリンゴの薄切りを紅茶に入れようとする手を止め、右隣の空いた二つの席を眺めるも首を少しかしげただけで何もしゃべろうとはしなかった。
「お菓子の魔女は、また木こりに恋をしたんだとよ。手紙来てたぜ? 見てないのかよ。しっかし、そろそろあいつは名前を竈の魔女とかに変えたほうがいい。何度灰にされたって、懲りずに人間を愛して子供作って幸せだとかほざくんだぜ? 狂ってる」
見かねた薔薇の魔女が、短い白髪にかかる、かぶったマントとおそろいの深紫色をした三角帽子の装飾の白バラをなでながら皮肉気にこたえる。その場にいない同僚に対して、嫌悪すらにじませて注がれていた紅茶にミルクだけを入れて薔薇の魔女はすべて飲み干した。
「薔薇の魔女ちゃん、この場にいない相手の悪口をいうのはどうかと思うわ。林檎の魔女ちゃんも、硝子の魔女ちゃんはともかく、お菓子の魔女ちゃんとはご近所さんなんだから、ちゃんと知ってなきゃダメでしょう」
上品に笑い、左隣に座った薔薇の魔女を窘め、獣の魔女は右隣の林檎の魔女の頭をなでた。撫でるたびに、ふわふわとした獣の魔女が着ている黄金のケープの裾がくすぐるからか、林檎の魔女は鬱陶しそうにその手を払った。
「獣の魔女は、相変わらずのいい子ちゃんぶりだな。じゃあ、お前は知ってんのかよ? 硝子の魔女が今日来れない理由をよぉ」
機嫌がさらに悪くなった薔薇の魔女が、右隣に座る獣の魔女に噛みつくように言うと。獣の魔女の肩にとまっていたフクロウが首を直角に傾げ、薔薇の魔女の目をじっくりとにらみつける。
「えぇ、彼女の今いる国の舞踏会が、今日行われるからこちらのお茶会を欠席するそうよ。粗忽物で嫌われ者のあなたと違って、彼女社交的だから」
獣の魔女が挑発的な発言をすると、さらに怒り狂った薔薇の魔女の足元から、数本の太い棘の生えたツタが地面を食い破って出てくる。
「黙って聞いてれば好き勝手言いやがって! お前だって王子がなびかなかったからとか言って獣にしてたくせに何を偉そうな口きいてんだ」
「私は、彼をさらに男前にして挙げただけだわ。さすが、住んでたところのお姫様の生誕祭に呼ばれなかっただけで、呪いを送り付けた陰険さん。手のはやいこと」
火に油を注ぐ獣の魔女に、掴み掛らんとする薔薇の魔女。獣の魔女の陰から、低く唸る鳴き声が聞こえてくるが、獣の魔女は、あくまでも余裕そうな顔で砂糖を数個入れただけの紅茶をすすった。
林檎の魔女は、その様子に全く興味を示さず、砂糖とミルクと林檎の薄切りを入れた紅茶を飲んで、また首をかしげた。そして、砂糖を少し紅茶と言っていいのかわからないそれに投入する行為を続けていたため、役に立ちそうもない。
海の魔女は、そんな魔女たちの様子に、ため息をついて、タコ足を大きく地面に叩きつけた。
「薔薇の魔女も、獣の魔女も落ち着きなさイ。ここで暴れるようなラ、深海に放り出すヨ」
低く、笑顔を浮かべて言えば、暴れだしそうだった二人の魔女は、そっと今まで出していたものをしまい込んだ。
「さテ、仕切り直しといこうカ。お菓子の魔女にはまたご祝儀を送ろう。いくら今の彼女に記憶がないとはいえ、踏み倒すのもいけないだろうからね」
声音を明るく、指先を躍らせ、ふわりと光の軌跡を光らせれば、その手には青色の香水瓶が握られていた。その様子に周りの魔女は眉をひそめた。
「香水振りかけて魔女としての記憶を消すことで、人間として普通に過ごせるなんて都合のいい話がないのは理解しておる。だがその対価に、死んだ際に人間と恋した記憶だけ切り取って生き返らせても、同じような奴に恋して、また灰になるんじゃ。いっそ、本当に死んでしまったほうがええじゃろ」
それまで沈黙していた林檎の魔女が、フードの下から真っ赤なリンゴ色の目を光らせながら海の魔女をにらみつけた。
「同朋の死を望むだなんテ、相変わらず他人に対する興味が毛ほどもないみたいだネ。僕はみんなを愛しているんダ。次もちゃんと会うための努力を惜しまないのは当然だろウ」
海の魔女はふわりと笑って、呼びつけたウミネコに香水瓶を持たせた。ほかの二人の魔女も林檎の魔女と同じようにいやそうな顔をしていたが、その行為自体に悪い感情を抱いているわけではなかった。
「だからって香水はねぇよ。変な臭い付けないでくれ、俺のバラの香りが澱んじまうだろ」
「私の鼻が大変よく利いてしまうのをご存じなのに、この場で香水を出す方の愛なんて信じられませんわ」
個性的な他二人に、林檎の魔女は、ため息をついて海の魔女をにらむのをやめた。
「他人に興味がないわけじゃない。美しいものがわしは好きじゃ。お菓子の魔女の恋する様は美しいと感じる。じゃからこそ、その美しさは一瞬でなければならんとも思うのじゃ。わしの求める美しさに、永遠は必要ないでの」
そういって林檎の魔女は新しく注いだ紅茶に、砂糖を少しだけ入れて飲みなおした。
「刹那的なものに美しさを求めるようになるだなんて、林檎の魔女ちゃんどうしたの? 昔はあんなにも永遠の美しさを欲しがってたじゃない」
獣の魔女がくすくすと笑いながら聞いた。薔薇の魔女はその様子を、「どうせ知ってるくせに」と思いながら、持ってきていたバラのジャムのふたを開ける。
「やっぱり白雪のことを娶りに来た死体愛好家の王子さまは、生理的に無理だったみたいダネ。硝子の魔女のところの王子様や、うちの人魚のお姫様を寝取ったあの畜生みたいなのの恋は美しいみたいだけど、さすがにあそこまで執着されるときもいってことかナ」
自分の大切だったお姫様のことを思い出したのか、海の魔女はティーカップの持ち手にひびが入るほどの力を込めて語った。
そして、海の魔女の方から強く風が吹いたため、薔薇の魔女は帽子を、林檎の魔女はフードを抑えてその風を巻き起こした本人を見た。
「ごめーん。これそうだったから急いできたけど、まだお茶会してる? してるよね。うんしてた! 良かった、舞踏会でおいしかったお料理をいくつか持ってきたの! 今回はガラスの靴の似合う女の子がいなかったから、本当にただご飯食べてきただけでお喋りあんまりしてないからみんなにあえてうれしいの」
先ほどまで舞踏会に出席していただけあって、上品に整えられた金糸の髪と、深緑色のドレスローブの裾を払った硝子の魔女は、話を聞かない彼女らしく、力強く登場した。
「硝子の魔女ちゃん、元気そうで何よりだけど、足元を見たほうが良いですわ」
引き気味に、獣の魔女が指をさしたその先には、足を数本とドレスの裾を踏まれた海の魔女。うつむいて震える彼女を見て、正面にいた林檎の魔女は、そっと目をそらし、耳をふさいだ。
「硝子の魔女、君はよほど僕に愛されたいみたいだネ」
「ご、ごめんなさいなの。お金はちゃんと払うから、差し押さえはやめてほしいの!」
すぐさま飛びのき、海の魔女に謝罪する硝子の魔女。その様子を見ながら獣の魔女は紅茶をすすり、残りの二人は硝子の魔女が持ってきたという料理を勝手に彼女の杖から取り出していた。
「安心していいヨ、今回のドレスは君の作ったガラスの靴二足で許してあげるル。それに足を踏んだことに関しては、君が五十年僕のお茶会に毎回参加することで許してあげるからサ」
怯える硝子の魔女を若干面白がりながらも、海の魔女はそう命令した。それに安心したのか、彼女の左隣の空いた席に硝子の魔女は腰を下ろした。
「硝子の魔女は変わらな過ぎて安心するよな。あいつ、いつになったら学ぶんだろう。でもいがいと海の魔女も許す基準が緩いよな」
「海の魔女の気に入ったものへの愛は少々猟奇的じゃからな。……お気に入りの者の一部を保存したいとか怖すぎじゃろ。この間なんて、人間にする代わりに鱗と声をよこせとか言ってたしの」
料理をつまみながら、再開されたお茶会は、とりとめのない会話を軸にくるくると回りだす。
最近、人間を拾って育てる魔女が多いだとか、婚期がどうだとか、そんな話をして時間は過ぎていく。
魔女の会話は基本的にかみ合わないし、自分の好きなことしか言わない。年に四回開かれるお茶会では、大抵ろくな相談事もなければ、気にするような心配事を他人に話すような素直な魔女がまずいないからだ。
「ところで、この中で一番悪い魔女って誰かしら?」
獣の魔女が終わり掛けにふと尋ねた。
「そりゃ、きめらんねぇだろ?」
薔薇の魔女が肩をすくめる。
「そうだネ、みんなおやつとおんなじくらい気軽に人を呪ってるシ」
海の魔女が首を傾げて。
「うーん、でも対価の代わりにしかたなくってときもあるし、一概に悪いといえないと思うの」
硝子の魔女が笑い。
「そもそも、魔女になるような女に、ろくなのは居らんじゃろう」
林檎の魔女はそう締めくくった。
出てきた魔女のモチーフ
『人魚姫』
『白雪姫』
『眠り姫』
『ヘンゼルとグレーテル』
『シンデレラ』
『美女と野獣』