6.再会
入り組んだ街並みを抜けてついに道が開けてきました。潮風に飛ばされそうな帽子を片手で押さえながらスノウは真っ直ぐ前を見据えます。穏やかな海。月の落とした蜜が海面にとろりと溶け出しています。
今こそ待ちわびたとき。救いになれたらそれに越したことはない。でももし拒絶されたとしてもいいんだ、一目その姿が見られたなら……スノウはそんな思いでいました。
――姫。
夜が好きだと言っていた姫。それは今も変わらずにいてほしい。願いを込めて呼びかけてみます。高まる想いはスノウの身体に再び変化をもたらしました。全身から漲るヴァンパイアの波長。人ならざる者の能力。血潮の瞳が懇願します。普段は閉じ込めておかねばならない全てを遥か彼方へ送り込むように。
「応えておくれ、僕の姫……!」
実に一方的かつ身勝手な言葉だと知りながら、口にせずにはいられませんでした。直後に凪が訪れました。うねる砂に足を掴まれたのもほぼ同時です。
――――!
息の飲む頃にはもう遅くて。ずぶずぶと砂に飲み込まれたスノウの身体はもう上半身しか動かせません。だけどスノウはこんな事態にも希望を見たのです。海と砂を自在に操る、この能力を持っている者は人魚の中でも限られた者だけであったはずと知っていたから。
「まさか私を呼んだんじゃないよね?」
冷たい声を受けてスノウはすぐに顔を上げました。人魚が一人、砂浜から少し離れた岩の上に居ました。
あの頃とは違う声。あの頃とは違う身体。だけど艶やかな青い髪も漂う気品もあの頃のまま。そして今も胸に光っている。変わったものと変わらないものを同時に受け止めたスノウに変化が起きました。目頭が熱を持ったのです。もう二度と潤うことはない思っていた瞳、そこがみるみるうちに光を帯びていきます。
「僕が呼んだのは君だよ。君以外にいない」
「どうして」
「やっと記憶を取り戻したから。誰よりも先に恩人である君に逢いに行こうと決めていた」
「恩人? なんのことだか知らないけど、君の目的ならわかったよ。人魚の生き血探しだね。君も欲望の為に私を利用する気なんでしょう」
湿った前髪を搔き上げ、蔑んだ目で見下ろす人魚。だけどその声は何処か切羽詰まっていて、まるで小動物の威嚇のようです。両腕で砂を押し分けるスノウも諦める気はありません。
「僕は人間じゃない。幼い頃、君に助けてもらった吸血鬼だよ」
「そう。ならますます信用できないね。母から聞いたよ。吸血鬼が人魚の血を吸うと、不老不死になるだけでなく絶対無敵と言っていいくらいの能力まで手にするって。正直に言いなよ。君はそれが欲しいだけなんでしょう!? 人魚は他の種族の影響を受けないから、仲間にする為の儀式も必要無い。ただ利用するだけの道具としてはちょうどいいもんね」
「まずは受け取って。これを……!」
スノウは片手で荷物を手繰り寄せ、中からピンクの薔薇を一輪取り出して放ちました。それはあとわずか海には届かず砂の上で乾いた音を立てて落ち着きました。
人魚は静かに見つめていました。吸血鬼と薔薇を交互に。そして次の瞬間、悶えるようにかぶりを振りました。精一杯と思しき声で叫びました。
「要らない。そんなの要らない! 今すぐここから立ち去ると誓え!! さもないと今ここで息の根を止めてやる。私だって仲間を守らなくてはいけないのだからね!」