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2.奪う者



 蜂蜜色をした満月のもと、崩れそうな煉瓦造りの壁面を何処から溢れたかもわからない滴りが濡らしていきます。夕闇の訪れを感じ取ったカラスたちが続々と飛び立った後、アルミのゴミ箱を倒した黒猫がけたたましい音に驚いてにゃあと鳴く。アスファルトに染み込んだガムの跡。乾いた足音を立てて転がっていく何処ぞからの紙切れに……

 人気ひとけの無い路地裏に佇むスノウが見上げる先にもまた貼り付いています。街中の至るところに飾られた手配書が。


 ここはかつてスノウが生まれ育った街です。辿り着くまでには何十時間もかかり、夜行列車も用いました。恩人である老紳士が遺した屋敷の周辺とはもう違う、殺伐とした雰囲気の漂う治安の悪い場所として知られています。もしスノウが未だこの街に住んでいたら、やはり賞金がかけられ追われる立場になっていたことでしょう。

 そしておそらくもうしばらく進んだ先に、スノウにとってのもう一人の恩人が居るのです。ふところ の手配書を取り出して愛おしげに眺めます。指先で写真をなぞり、頰、鼻、唇へと触れていきます。実物はさぞ柔らかいのだろうと想像して頰を染めます。一度は手放していた記憶。それでも思い出したが最後、想いはどんどん色味を増していったのです。


「今逢いに行くよ……姫」


 スノウはどうしてもこう呼んでしまう。事実を知ってもなお心の中の名称は変わりませんでした。でもいくら自分にとって自然な響きでも本人が嫌がる可能性が高い。そしたら今度こそあの子自身が望む名称を聞くんだと決めていました。


 塵だらけの鬱蒼とした路地裏にはなんとも不釣り合いなスノウ。街の者でないことは一目瞭然でしょう。更にもう道も忘れてしまっている。もとよりある種の開き直りの元で訪れていました。

 やがてスノウは路上にしゃがんで酒を飲み交わしている二人組の男を見つけました。迷わずそこへ近付いていきます。


「ちょっといいかい。この人魚を探しているんだ」


 如何にもがらの悪そうな目つきで見上げた二人組でしたが、スノウが突き付けた手配書に目を凝らすなり、ふふ、と意味ありげな含み笑いなんかを零します。興味を示した二人組が口々に喋り出しました。


「おう、兄ちゃんも人魚の生き血探しかい」


「ありゃあ不老不死の効力があるっていうからな。ライバルは多いぞ~」


「しかも見ろよ、この写真……」


「ああ、なるほど! いい年頃な上に綺麗な容姿をしてやがる。俺も聞いたことがあるぞ。こういう奴に高い値がつくんだってな」


 やんややんやと実に楽しそうに騒いでいる二人組に、スノウはふっと密かにため息をついて更に尋ねます。


「それで、知ってるの?」


 高みから見下ろすその瞳はただひたすらに冷たい色です。

 やがて顔を見合わせた二人組が揃ってうんうんと力強く頷きました。片方の男が太い指先で彼方を示して言いました。


「ここから南側へ五キロ程先へ行った海岸沿いでちょうどこんな感じの人魚を見たって話を聞いたぞ! 一つに束ねた青い髪にサファイアみたいな瞳。多分同じ奴なんじゃねぇのか?」


 その話を聞いてスノウは目を細めました。微笑みとは違うけれど、少しばかりの安堵が滲んだ表情になりました。

 だって確信に近いものを得ることが出来た。


(ああ、君はやはりここに居たのか)


 君へ確実に近付いている。待っていて、出来るだけ安全な状態で。もう少しだからね。たった今、指し示された方向を見つめ、届けと願いつつ心で呼びかけます。

 表面上は冷静に見えても内心は居ても立っても居られない。手配書を丸めたスノウがありがとうと言って二人組の横を通り抜けようとした、その時でした。


「おい待て、兄ちゃん」


「ここまで聞いといてまさかタダってことは無いよなぁ?」


 スノウが振り返ると二人組の男が立ち上がっていました。身体を左右に揺すって近付いてきた一人がスノウの肩を強く掴み、後ろのもう一人が空になった酒瓶を勢いよく壁に叩きつけます。鋭利な凶器となったそれをスノウへ突き付けてニタ、と口角をつり上げました。


「へっへっ、そのなりだと兄ちゃん? 貴族だな。何故賞金首なんか追ってるのか知らんが金ならたんまり持ってんだろう?」


「我ながら名案だぜ。賞金首を狙うよりこっちの方が手っ取り早い。痛い目に遭いたくなければさっさと有り金全部よこすんだな!」


 しかし威勢良くにじり寄られても対するスノウは静かなものでした。静かなまま、その瞳の色だけが変わっていきます。セピアが一度沈んだ後、傷口から血が滲み出すように。

 口角だけで作る、妖しの微笑み。向かい合う男たちはまだ異変に気付いていません。しかしそのときは刻一刻と迫っていました。


「あなたたちにあげられるものなんて無いよ?」


「んだとぉ!?」


「……僕が貰うものならあるけどね」


 満ちた月の角度が僅かに変わってスノウを惜しみなく照らし出す。マントが宙に踊り、羽毛のように広がった髪の隙間から異形の耳が覗きました。みなぎる血潮の色が二人をしかと捉えていました。はっと息を飲む音が二つ。


「おい、見ろよコイツの目の色!」


「なっ、お前、まさか……っ!」


『うわぁぁぁぁぁぁ!!』


 そこからは。

 きっと誰もが目を覆いたくなる光景だったでしょう。長旅で乾いた喉、長年抑え込んできた欲求、二人分の血でも足りない程でした。片手で口元を拭ったスノウは鎮まったセピアの瞳で二つの亡骸を見下ろします。もう十分無残な姿、それでも踏みつけてやりたい衝動。


 誰がこんな世にした。もう涙も出やしない。身体は潤されても補いきれないやるせなさがスノウの中にあったのです。



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