―淺月―
はらり と落ちた紅い葉が水面に小さな波紋をたてる。水鏡に映る淺月の顔もその小さな波に歪んで揺れた。
まるで泣いているようだ と淺月は思う。おぼろげに水に浮かぶ己の姿が、今は亡き幼い弟の泣き顔と重なり胸が痛んだ。それはとても頼りなげに、今にも泣き出してしまいそうな瞳でゆらゆらと此方を見つめ返している。
「淺月様」
ふいに背後から名を呼ばれ振り返ると、淡い銀白の髪を風になびかせ朔夜が心配そうに立っていた。
「2人の時はいつも通りの呼び方で良いんだぞ。」
淺月が薄藤色の瞳を細めて微笑むと朔夜も小さく笑った。
二つ年下の従妹は秋を迎えて急に大人びた表情を見せるようになった。側仕えの侍女に女子としての慎みを懇々と説かれて、近頃は思うままに外で走り回る事も減っているようだ。
「少し歩くか。」
淺月が手を差し伸べながら言うと朔夜はそっとその手に自分の手を添えて頷いた。朔夜の手を握り庭の池に沿ってゆっくりと歩き始める。
「ごらん、粟花だ。」
淺月の指差す先には、真っ直ぐに伸びた茎の先端に小さな薄黄色の花が集まって可愛らしい房をつけた女郎花が咲いていた。
「きれい」
朔夜は白い指を伸ばして黄色い花に触れる。
「朔夜、摘むのはやめておけ」
淺月は繋いだ手を少し強く握って朔夜を自分の方へ引いた。
「せっかく咲いた花だ。野の花は、野にあってこそ美しい。」
朔夜は伸ばした指を引っ込めて淺月を見上げる。
「それに、粟花は切り花にすると臭くなる。」
悪戯っぽく笑いながら淺月が言うと、朔夜は花に顔を寄せて香りを嗅いだ。
「臭くないわ」
「野にある時は臭くないんだ。でも切り花にして水に挿すと、とても臭くなる。」
淺月はついと瞳を細めると朔夜の頬にそっと触れてその顔を覗き込む。
「自由な空の下から摘み取られ、花器の中に閉じ込められるとこんなに可憐な花も腐ってしまう。」
揶揄するような響きを含んだ淺月の声に朔夜は鈍色の瞳を瞬かせた。
「お前も自由に思うがままに生きれば良い。」
「淺月様……」
「2人の時はいつも通りで構わないと言っただろ。」
冬の香りを乗せた冷たい風がさらりと朔夜の髪を舞い上げると、淺月はそれを指で掬って耳にかけてやる。
「……侍女達は私の振る舞いが、いずれ淺月の評価にも関わるのだから自覚を持つようにと言うの。」
「なるほど。」
しょぼくれた顔の朔夜は、やはり幼なさが見えて可愛らしいなと淺月は思う。
「あと2年もすればお前は俺に嫁ぐのだろ。」
「……」
唇を噛み締めて俯く朔夜の頭をポンと撫でて淺月は優しく笑った。
「俺に嫁ぐのは嫌か?」
「嫌じゃない!」
朔夜はパッと顔を上げ言った。
「淺月が大好きだもん!」
淺月はそんな朔夜を抱き寄せて小さな背中をそっと撫でる。
「ならば問題ない。夫の俺が良いと言っているんだから、お前は何も心配するな。」
朔夜は淺月の淡藤色の瞳を見あげて困ったように眉尻を下げた。
「淺月は私が好き?」
「もちろんだ。」
「ほんと?」
「本当だよ。」
クスリと笑って淺月は朔夜を抱く腕に力を込める。
「だから何も案ずるな。お前の事は俺が守ってやる。」
朔夜は花がほころぶように笑うと、淺月の背中に両手を回して抱きしめ返した。
朔夜が言う「好き」は、兄を慕うような気持ちなのだと分かっている。きっとまだ朔夜は恋を知らない。それ故に尚更、朔夜が向けてくれる純粋でひたむきな好意に淺月は胸が温かくなるのを感じた。
俺は里の為、家の為に自由に生きる事は叶わない。いずれは父上より家督を継いで、ここを守っていかなければならない。自分の意思よりも一族の意思を尊重して生きる覚悟を生まれた時から叩き込まれてきた。
そんな中で自由に野を駆け無邪気に笑う朔夜は、淺月にはとても眩しく見えた。出来る事ならその笑顔が曇らぬように守ってやりたいと思う。
はらはら と紅い葉が舞いながら落ちてゆく。腕の中で幸せそうに微笑んで頬を寄せる朔夜の温もりに、淺月も知らず笑みが漏れた。
幼くしてこの世を去った弟に見せてやれなかった景色を、朔夜には見せてやりたい。閉じ込められ外の世界を知らずに、羽を捥がれた小鳥のように檻の中で儚く散った雫月の笑顔を、朔夜に重ねているのかもしれない。
もう二度と大切なものを失う事のないように俺は強くなる。
燃えるような紅い葉の中で、淺月は朔夜を抱き寄せる腕を強くして瞳を伏せた。




