ー琥珀ー
「私が生まれたのは雨が降る日だったの。」
音もなく降る雨の中で、雨音は楽しそうに笑う。裸足のまま下草の上でくるくると回ってお日様みたいな笑顔で笑う。
琥珀はこの笑顔を愛していた。
「雨の音を聞いたら私を思い出して。あぁ、雨音が歌っているのだと、私の事を思い出してね。」
いつまでも少女のようにあどけなく、自由で掴み所のない雨音から琥珀は目が離せなかった。
「雨音」
琥珀が呼ぶと雨音は雨に濡れて肌に張り付いた髪をかきあげて、琥珀に向かい両手を広げる。
「珀、来て!」
たまらず琥珀は雨音を強く抱きしめた。少しでもこの手を緩めたら、雨音が消えてしまいそうで怖かった。
「珀……。愛してるわ。」
甘く囁く声を閉じ込めるように、琥珀は雨音の唇を自分の唇で塞ぐ。吐息すら飲み込むように、飢えたように激しい口づけだった。
「愛してる。どんな時も、どこに居ても、何をしていても。」
雨音の金色の瞳が琥珀の蒼い瞳を映して揺れている。
愛してる。誰よりも強く、何よりも激しく。
抱きしめる腕に力を込めると、雨音は小さく呻いた。
「珀、そんなに強くしたら痛いわ。」
琥珀の口づけで赤く艶めいた雨音の唇が、緩く笑みを浮かべて欲望を誘う。琥珀は雨音の身体を抱き上げて露草の上に横たえた。
空から止めどなく降る雨から守るように琥珀は雨音を組み敷いて口づけを落とす。重なり合う肌の熱を奪うように雨が2人を包んでいた。
「雨音っ!」
自分の叫び声でビクリと身体を震わせて琥珀は目を覚ました。たった今までこの手に愛する人を抱いていたのに、空に伸ばした腕は冷えた夜の闇を虚しく切って夜具の上に落ちる。
「…… 夢、か」
目尻から熱い涙が溢れて頬を濡らす。ふと、外から雨の音がした。トタトタと庭に落ちる雨粒が、まるで歌っているように旋律を奏でる。
「雨音……」
恋しくて恋しくて、琥珀はその音に耳を傾けた。
「俺を慰めてくれているのか?」
優しい旋律はサラサラと流れて、琥珀の胸に染みていった。
忘れられる筈がないだろう。諦める事など出来る訳がない。雨音がこの世を去ってから、幾つもの夜を越えてきた。それでも恋しい気持ちは枯れる事なく、むしろ愛しさが募ってシクシクと疼くのだ。
会いたい。お前に会いたい。
琥珀は両の手首を瞼に当てて声を立てずに涙を流す。
雨音が死んだ日も雨が降っていた。
その日は隣りの村に市が立つのだと雨音は嬉しそうに言った。
「父さんと市で竹で編んだ籠を売って、売れたら何かお土産を買ってくるわね。」
久しぶりに里の外に出られるのが嬉しいのだろう。雨音は終始、笑顔だった。琥珀はそんな雨音と離れるのがなんとなく不安に感じて、そっと細い腰に手を回す。
雨音は甘えるように琥珀の胸に顔を埋めて「なるべく早く帰るから、待っていてね」と言って微笑んだ。
それが琥珀が雨音を見た最後になった。
待てども待てどもその日、雨音は帰って来なかった。
夜になって不安を抑えきれなくなった琥珀が家を飛び出すのと、重い雲の間から雨が落ちて来たのは同じ頃だった。
激しさを増す雨の中で、琥珀は雨音の名を呼びながら山中を一晩中走り続けた。まるで雨音が泣いているようで、じっとしてなどいられない。いつしか夜が明け、白々と朝日が昇る頃、竹藪の中で変わり果てた雨音と雨音の父が見つかった。
物盗りの仕業だろうと皆が悲しそうに言う。
苦しかっただろう。痛かっただろう。怖かっただろう。
雨音は見も知らぬ男達に凌辱されてボロボロだった。
掻き切られた首がパックリと口を開き、赤黒く肉を覗かせている。
雨音が何をしたと言うのか。
こんな理不尽が許されて良いと言うのか。
咆哮を上げて雨音の身体を抱きしめる琥珀に、誰も言葉をかける事が出来なかった。
ポタリポタリと雨が降る。
ーー 雨の音を聞いたら私を思い出して。あぁ、雨音が歌っているのだと、私の事を思い出してね。
甘く囁く声が聞こえる。
たとえこの身が地獄に堕ちても、必ず雨音を取り戻してみせる。人の道から外れ、畜生にも劣る罪を背負っても、俺はお前を諦めない。
ポタリポタリ
雨の歌は泣いているようで、琥珀はそっと目を閉じた。




