ー闇刀ー
「闇刀!」
零れるような笑顔で朔夜が呼ぶ。
はっと顔を上げて闇刀はもどかしげに両手を持ち上げ少女へと差し伸べた。
「朔夜」
闇刀の掠れた声に、朔夜は背中に隠していた両手をそっと差し出す。
「見て、闇刀。綺麗なお花!」
小さな手に握られた白い花が、闇の中で仄かに浮かんで見えた。
あの日から朔夜は度々、こうして闇刀に逢いに来るようになった。目を閉じていても開いていても、闇しかなかった闇刀の世界に鮮やかな色を運んで、朔夜は眩しい程の微笑みを向けてくれる。
「…… 月見草」
闇刀はその花を見つめて瞳を細めた。
この花が咲いていると言うことは、今は夜なのだろう。まだ十にも満たないであろう幼い朔夜が、そんな時間にこんな場所に居るのはどうしてだろうか?
そんな事を考えていると、ふいに小さな指が白い花を闇刀の手にそっと乗せて、それを包みこむように握りしめた。
「闇刀にあげる。」
朔夜は闇刀の手の中の花に顔を寄せて、香りを匂うように一つ呼吸した。
「闇刀が一人で寂しくないように、月見草あげる。」
柔らかな微笑みを浮かべる朔夜を見ると、闇刀は泣きたくなった。理由なんて分からない。きっと、どんなに手を伸ばしても届かない月に恋い焦がれて夜に咲くこの花のように、朔夜が遠く感じるからだ。
「月見草はね」
闇刀は睫毛を伏せて手のひらの花を見た。
「別名、待宵草って言うんだよ」
「まつ、よいぐさ?」
朔夜はキョトンとした顔で小首を傾げる。
「このお花は誰を待っているの?」
月に焦がれ日暮れを待って夜に咲く、この花は誰の為にこんなにも美しく咲きほころぶのか。どれ程求めても、空にある月に届く事はないと言うのに。宵闇の中では、誰かに愛でられる事もないのに。
「月を待っているんだよ」
闇刀は掠れた声で呟いた。
「お前を待っているんだ……」
この花は誰かの為に咲くのではない。夜の闇に咲き、ただ月に焦がれて暁を見ずに枯れて行く。闇刀は花の儚さに自分を重ねて喉に込み上げる痛みを飲み込んだ。
「たぶん、もうじき俺は死ぬ。」
闇刀は昏い瞳を薄く閉じて、重ねられた小さな手を握り返した。
「だからもう、ここに来てはいけない。」
あの男達に見つかればただでは済まないだろう。
自分では朔夜を守ってやる事も出来ない。
でもそれも、もうすぐ終わる。この命が消える時、やっと闇から逃れられる。闇刀にとって死は絶望ではなく希望だった。
「朔夜……。いつか生まれ変わったら、また巡り会って俺を見つけてくれるかな?」
朔夜は今にも泣き出しそうに大きく目を開いて闇刀を見ていた。
「どうして……? 」
闇刀の首筋にギュッと腕をまわし、しがみつくようにして朔夜は言った。
「どうして闇刀、死んじゃうの?」
「俺は……神の依代だから。」
陶器のように白く滑らかな頬に黒い文様が浮かび、その顔を覆うように蠢く。
「常世の神が呼んでいる。もうすぐ俺は……」
「いや!」
朔夜は怒ったような声で叫んだ。
「常世神に闇刀はあげない!」
ぽろぽろと涙を流して、朔夜は縋るように闇刀を抱きしめる。小さな身体から温かな体温が伝わり闇刀を満たして、闇刀は切望するように朔夜の背を抱き締め返した。
何もかも諦めたはずなのに。やっと闇から抜け出せると言うのに。闇刀は初めて温もりを求めた。
知らずにいられたら良かったのかもしれない。
だけどもう闇刀は知ってしまったのだ。それは死への誘惑より甘く切なく、闇刀の心を蝕んでいく。
希望などなくて良い。叶わない夢なら見なくて良い。諦めだけを抱いて、終わりを待つ方が楽なのだから。それなのに……!
「お前と居ると、俺はバカな夢を見そうになる。とうに枯れた悲しみが湧いてくる。俺はどこにも行けないのに。」
その悲痛な声は、闇刀の放つ甘い香りと共に闇に溶けた。




