ー闇刀ー
揺れる蝋燭の火を闇刀は眩しそうに瞳を細めて見ていた。
「次の生贄はどうする。」
低く渇いた声で男が言う。
「此度の大雨で富士川が氾濫した事を理由にすれば名目としては心配ないじゃろ。」
年老いた男が答えた。
「本当に叶うのか?」
老人の言葉を遮るように、男が噛み締めた歯の隙間から唸るような声を出す。
「本当に叶うのだな?」
「あぁ、勿論だとも。」
苦しげな男の問いかけに老人は大きく頷いた。
「その為にここまで来たのじゃ。」
落ち窪んだ目をギラリと光らせて、老人は男にニヤリと笑いかける。
「時が満ちれば必ず叶う。お前の恋しい彼者に必ずや再び相見えるだろう。」
老人の力強い肯定の言葉に男は安堵したような表情を浮かべて頷き返した。
ジャラリと重い鎖が音を立てる。男と老人は同時にその音の方へと視線を向けた。
闇刀は虚ろな瞳で手首に巻かれた枷を見つめていた。何の感情も映さないその目は漆黒の闇そのものの色をしている。やせ細り、薄汚れて、汚い着物を纏っていても、闇刀はとても美しい少年だった。
陶器のように滑らかな白い頬。長い睫毛に縁どられた呂色の瞳。形の良い額の上に落ちた癖のない黒髪は、柔らかくその輪郭を縁どる。
憐れだな
と、老人は思った。覡の血を濃く持つばかりに、こうして神の依代となるべく囚われの身となった少年は、もう二度とここから出る事は叶わない。だが、老人にも成さねばならぬ使命があった。どんなに憐れに思ったところで、少年をここから出してやる訳にはいかない。
「常世にある非時香菓には不老不死の力があるという。必ずや、必ずや手に入れてみせるぞ。」
しわがれた老人の呟きに隣の男はゴクリと喉を鳴らした。
俺たちはきっと、恐ろしい事をしでかそうとしているのだ。人の身でありながら、神を冒涜するこの行為は決して許されはしないだろう。でも引き返すことはできない。何を犠牲にしても。誰を犠牲にしても。
男は闇刀から目をそらした。その姿は男の罪そのものに見えて恐ろしかった。
やがて老人は闇刀の近くに捧げ物をするように、恭しく水の入った小さな桶と幾つかの握り飯を置いた。
日に一度こうして老人が食べ物を供えに来る以外、ここに立ち入る者は誰一人いない。
昼間でも光の差さない暗い穴蔵で、生きたまま朽ちて行く少年をやはり憐れだと老人は思った。
「もうすぐ時は満る。この苦しみもあと少しじゃ。」
誰にともなくそう言って、老人は蝋燭を手にすると少年に背を向けて歩き去る。その後ろを男は黙って追いかけた。
どろりとした静寂の中で少年は地べたに座り込んだまま、膝の上に手のひらを上にして両手を落とす。
ジャラリと鎖が音を立てた。何も映さない瞳がぼんやりとその手を見つめる。
もうすぐ終わる。それはなんと甘美な響きなのだろう。早く終わらせて欲しい。早く死なせて欲しい。
闇刀の願いはただ、それだけだった。




