ー淺月ー
「朔夜!」
ドスドスと床を踏み鳴らして少年は大股で歩きながら声を張り上げた。
「朔夜!いないのか!?」
白い月華に似た淡い髪を靡かせ、部屋から部屋へ足早に移動する。
まったく、好奇心旺盛な従姉妹殿は一刻たりともじっとして居られないらしい。
少年は思案するように腕を組み、長い人差し指で自分の頬をトントンと軽く叩きながら眉を顰めた。どこかからクスクスと押し殺した声が聞こえる。
「見つけたぞ。」
少年は柱の陰で蹲り、溢れる声を押し殺すように両手で口元を覆う少女に向かって手を差し出した。
「おいで。土産がある。俺が留守の間、良い子にしてたか?」
少女は少年の腕に飛びつくように自分の両手を絡ませて嬉しそうに笑った。
「淺月、おかえりなさい!」
「朔夜の近頃のお気に入りは隠れん坊なのか?」
2つ年上の従兄弟の呆れた声に、朔夜は得意げに頷いた。
「私が本気を出せば、翁にだって見つからないわ。」
淺月は竜胆の花のような薄紫の瞳を優しく細めて朔夜の頭を撫でてやる。
「お前はもう十になったのだろう?いつまでも童のように振舞っていては、亡くなられたお前の母上も心配して、心を痛めておられるのではないか?」
少年の言葉に朔夜は拗ねたように唇を尖らせた。
「童じゃないもん」
その仕草が幼さの証しのようで少年はクスリと笑う。
朔夜が駿河国の富士川に近いこの里に来たのはまだ8つになったばかりの事だった。朔夜の母親が病の為にこの世を去り、母方の親族である淺月の家に引き取られて来たのだ。
昨今、唐に習って戸令が置かれ、婚姻にもある程度の制約があったが、今でも男が女の家に通う「通い婚」が一般的で子の養育は母方で行うのが習わしである。
血筋を重んじる風潮は根強く、皇族や豪族は自分達の一族の中で近親婚を繰り返していた。朔夜もまた、淺月の婚約者として淺月が15、朔夜が13になったら婚姻を結ぶ手筈となっている。
ふいに朔夜が爪先立って背伸びをすると、淺月の淡い月白の髪に触れた。
「淺月の髪、綺麗ね。」
うっとりしたように朔夜は淺月の髪を撫でる。
そうした朔夜の髪もまた、藍白の薄い色をしていた。近親婚を繰り返してきたからなのか、この里にはこうした不思議な髪色と瞳を持つ者が多く居る。その時ふと、夜の闇を思わせる黒い瞳が淺月の脳裏に浮かんだ。
ーー あさき!
幼い子供の声が聞こえた気がして、淺月は軽く頭を振る。それは時々訪れる奇妙な感覚だ。
ーー あさき
自分と同じ顔をした漆黒の瞳が淺月を見ている。
吸い込まれそうに黒い闇色の目が、悲しそうに歪んで行く。
「……しずき」
記憶の底にある懐かしい面影に胸が痛んだ。
5つの時に死んでしまった幼い弟。この里の中で、雫月の漆黒の髪と瞳は異質だった。皆、赤い目や青い目をしている中で濡れた黒曜石のような黒い瞳は逆に浮いて見えた。
「淺月?どうしたの?」
急に黙り込んだ従兄弟を心配して朔夜が淺月の顔を覗き込む。
「何でもない。おいで、土産をあげよう。」
淺月は朔夜の手を取ると悲しげに揺れる黒い瞳を頭の中から追い出した。




