ー闇刀ー
何も見えない。何も聞こえない。あるのはただ、昏い闇だけだった。
少年は膝の上に力なく落とした手のひらに視線を向けてぼんやりとそれを眺める。ジャラリと重い鎖が音をたてた。細い両腕の縛めは重く冷たく、少年の自由を奪いそこにある。
今がいつなのか、自分が何者なのか、少年には思い出す事も出来なかった。もう幾年ここでこうして居るだろう。涙などとうに枯れ果てた。羽を捥がれた蝶のように、地べたに縫い付けられて逃げる事も叶わない。
ーー地獄とはどんな所なのだろう。
少年はふと考える。
もしここが地獄ではないのなら、地獄とはどれ程の場所なのだろう。いや、むしろ……
少年は虚ろな瞳を閉じて願う。
むしろ、地獄に堕として欲しい。ここではない何処かに行けるのならば、そこが地獄でも構わない。
「泣いてるの?」
心細げな小さな声が聞こえた。
また幻聴だろうか。ポタリと落ちる雨漏れの音が、人の囁き声に聞こえるなんて以前は何度もあった事だ。
「泣かないで」
その声はとても頼りなげに掠れてはいたが、少年の耳にはっきりと聞こえた。少年がゆっくりと視線を上げると、目の前に幼い少女が立っていた。
夢を見ているのだろうか。それとも、自分はついに狂ったか。何もかも諦めたはずなのに、それでもまだこんな幻を見るほどに、現世に未練があると言うのか。
「痛いの?」
少女は小さな白い手を伸ばし、そっと少年の頬に触れた。ビクリと肩を震わせて少年は目を見開く。
「痛いの?」
少女はもう一度問いかけながら、少年の頬を指先で撫でた。
少年の頬には墨で引いたような文様があった。額から左目の上を通り頬へと流れるそれは顎から首筋へと続いている。
「泣かないで」
少女はその文様を辿るように、指先を少年の頬から首筋へと滑らせた。そのあたたかな温もりが少女の存在を確かなものにする。
「私は朔夜っていうの。」
少女はあどけない声で少年に向かって言う。
「あなたの名前を教えてくれる?」
闇の中、朔夜は少年の頬を小さな手のひらで包み込むようにその熱を伝えて問いかけた。
少年の瞳から一粒の涙が溢れる。渇いた唇を微かに開いて、少年は吐息を押し出すように震える声で答えた。
「…… や、と……。」
ほんの一瞬でも見失えば朔夜が消えてなくなりそうで、少年は瞬きする事すら怖かった。
「…… 闇、刀」
「闇刀」
朔夜はその名を口の中で確かめるように繰り返した。その甘美な響きは、闇刀の胸に小々波がたつように染み込んで熱を灯す。
ふわりと闇刀から甘い甘い香りがした。




